宗教 2 なぜ宗教が必要なのか

(読了目安3分)

宗教は、その「信者」にとって必要なだけではなく、宗教の「教祖」にとっては、自己表現や他人を助けるためのツールとして必要です。
宗教団体の「職員」にとっては、給料を得るために必要ですし、また、「国」は政治の手段として宗教を必要としています。


なぜ宗教が必要なのか、以下、それぞれの立場で簡単に書いてみます。
それぞれに理由があることがわかります。


<信者にとっての宗教>

「苦しみから解放されるための手段として」

「苦しみを和らげる手段として」

「仲間を作るための手段として」

「お付き合いで始める趣味として」


<教祖にとっての宗教>

「自己表現として」

「人助けのため」

「お金を集めるため」

「名声や権力を得るため」

「愛人や彼女をたくさん作るため」


<教団職員にとっての宗教>

信者と同じ理由の他に、「給料を得るため」



<国にとっての宗教>

「国民をまとめるための手段として」
※「政治家が個人的な利益を得るため」


このように、いろいろな人が宗教を必要としていますが、ここでは、大人になってから「痛み止め」として宗教を始める「一般の信者」にしぼって書いてみます。



一般の人が宗教を必要としている主な理由は、

「平和や安定が欲しいから」

「悩み事を自身で解決できないから」

「苦しみから解放されたいから」

などです。


物事が思い通りに進まない、常になにかに不満がある、周囲の理解がない、人間関係がうまくいかない・・・
その他、病気や仕事、金銭問題なども全て「悩み事」ですが、自分の力だけでそれらを解決できないと、人は他の力に頼ろうとします。


もしあなたに悩み事があるとして、それをパートナーや親、親戚、または友達や上司などに相談して解決するならいいんですが、逆に否定されるばかりだったらどうでしょう。
あなたがどんなにがんばっても、そしてだれに相談しても、悩み事が解決しない状態です。


そんなとき、解決の選択肢のひとつとして、「宗教」があります。
一般の人にとっての宗教は、悩み事や苦痛の解決または緩和の方法(痛み止め)として存在します。
物事がうまくいっているときに宗教を始める人が皆無なことからも、人が宗教に求めているのは、目先の苦痛を和らげる「痛み止め」的な役割だということがわかると思います。


マスターも難病を持っていますから、なにかに頼りたい気持ちはありましたし、それを知った宗教者たちに宗教を勧められたことがあります。


宗教はなぜ必要なのか・・・繰り返しますが、その答えは
「苦しみから解放されるため」
「痛み止めとして」
です。


ということは、苦しみから解放されるなら他の方法でもいいんですが、「宗教」というツールを選ぶ人には、それなりの理由があるんです。


次回に続きます。

・・・

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