「親孝行」とは 短編2話

(読了目安7分)

◎「親孝行」とは 1


「親孝行」とはいったいどういうことでしょうか・・・


あなたが生まれてきたことがすでに「親孝行」だと思いますが、それではつかみどころのない話になってしまうので、ここでは親孝行の定義を、「ども供がなにかして、親が喜ぶこと」としましょう。


となると、「肩を揉む」なんていうのも親孝行になりそうですよね。
しかしもう少し大きな意味で親が喜ぶこととはなんでしょうか・・・


以下、「親孝行をしたい」と思ったときのヒントにしてください。


昔、マスターの知人女性が、「親孝行」のつもりで、両親に海外旅行をプレゼントしようと提案したことがありました。


しかし、両親から

「そんなことはいいから結婚してよ」

と言われたんだそうです。


・・・そう、親は海外旅行より、娘の結婚の方が嬉しいんです。


彼女の両親にとっての親孝行は、「娘の結婚」だったんです。
ただ、すぐに結婚は難しいですから、その女性がその場でできる現実的な親孝行は、結婚の準備、つまり、「結婚するための本質的な努力」です。
親としては、「結婚したい」という娘の思いを聞くことや、それに向けて成長していく娘の姿が、なにより嬉しいわけです。


では、なぜ親は、海外旅行より娘の結婚を望むんでしょうか。


みなさんが親になったら、きっと子どもの将来を心配します。
娘が30代半ばを過ぎても独身だったりした場合、「私たちがいなくなったとき、一人で寂しい思いをするんじゃないか」と、とても心配になるんです。
自分がこの世を去った後の子どものことを考えると、はやく結婚し家庭を持ってもらいたいと考えるわけです。


以下、あなたのことだと思って考えてみてください。


あなたは独身で、両親と一緒に住んでいます。
あなたに結婚の気配はなく、両親は「結婚してもらいたい」と願っている・・・そんな状態と仮定してみましょう。


あなたの親は、自分たちがこの世を去ったあと、娘が一人で寂しい思いをしないか心配しています。
しかし、あなたが結婚すれば、「私たちが死んでも娘は寂しい思いをしなくてすむ」と安心できますよね。
そして孫が産まれれば、「娘の老後は孫が見てくれる」と信じることができ、自分たちが死んでもあなたが孤独にならないと信じることができます。


さらに、あなたの両親は、いつか周囲から、「おじいちゃん・おばあちゃん」と呼ばれる年齢になります。
そのとき自分に孫がいなかったら、「私には孫がいないのに・・・」「孫がいたらなあ・・・」と寂しくなります。
しかし娘が子どもを産めば、名実共に、「おじいちゃん・おばあちゃん」になれますから、周囲からの呼びかけに、素直に返事ができるんです。
あなたが結婚することで、親は本当に安心し、さらに「孫」の顔を見ることで、安心と同時に、本当のおじいちゃん・おばあちゃんになれるわけです。


また、孫と遊ぶことで、あなたの両親は、新しい生きがいをひとつ見つけることになります。
孫と遊ぶことがどんなに楽しいか、みなさんもその一端を想像できると思います。


「自分の命が未来に繋がっていく」という確信は、「孫」や「ひ孫」がもたらしてくれます。
たとえば、40歳を過ぎた娘に子どもがいなかったら、250万年続いた命のバトンがほぼ途絶えることを意味します。
そういう意味でも、孫の顔を見せるということは、両親にとっての希望になります。

娘の幸せを願う気持ちが、

「そんなことはいいから結婚してよ」

という言葉になるわけです。


現代社会での代表的な「親孝行」とは、あなたが結婚し、孫を見せることです。
「なにをつまらないことを」と思う人もいるかもしれませんが、実はマスターも20代のときは、結婚や孫の姿が親孝行になると思っていませんでした。
しかし、結婚して子供が生まれてから、親孝行とはなにか、よくわかるようになったんです。


「結婚したい」と思ってすぐにできる人はいませんよね。
ですから、まず結婚したい気持ちを親に伝えることが親孝行です。
そして、結婚に向けた本質的な努力も親孝行です。


あなたがもし結婚と出産が可能な立場なら、ぜひ本当の意味での親孝行に挑戦してみてください。
それはなによりも、あなたの幸せに直結しています。



◎「親孝行」とは 2


「親孝行とは、あなたが幸せになること」という話です。


親孝行とはなにかと考えたとき、親が「子どもの思考」の人か、「大人の思考の人」かで、定義が変わります。


親が「大人の思考」なら、あなたが幸せになることが親孝行ですし、それが本質的な親孝行と言えます。


親が「子どもの思考」なら、親自身が幸せになることが親孝行です。
「子どもの思考」の親がどんな親か書いておきますね。

子どもから幸せをもらおうと思っています

親自身が満足することを親孝行だと思っています


自分が得するかどうかで子どもの行動を判断します


「あなたのため」と言いながら自分のことを優先します


子どもを利用して自分の幸せを追求します


自分の力で幸せになれません


「親孝行しなさい」と言います


「誰のおかげだと思ってるの!」と言います



こんな感じです。


子どもに対して「親孝行しなさい」と言う親は、自分は不幸だと思っています。
また、子どもに対して「育ててやったのになぜ恩を返さないんだ!」と思っています。
そんなことを思う理由は、子育てが苦痛だったからです。
ではなぜ子育てが苦痛だったのか、その理由は、子どもに対して愛をそそがなかったからです。
愛をそそがなかったから子育てが苦痛になり、「あれだけ苦しんだんだから見返りがあって当然」と考え、子どもに対して恩返しを要求するわけです。
つまり、子どもに対する愛情がない親が、親孝行を要求するんです。
「私を幸せにしてちょうだい」と言っているのと同じですから、親は自分の責任で幸せになれない人です。
ですから、親孝行を要求する親になにかをしても、ひたすら要求がエスカレートするだけで、あなたがいくらがんばっても、あなたは親を満たすことはできません。
「親孝行しなさいと言う親には親孝行できない」ということです。


また、たとえば実家で夫婦ゲンカばかりの両親が、理解者が欲しいあまり、東京で一人暮らしのあなたに「あんた親孝行しに実家に帰ってきなさい」と命令したとします。
あなたが渋々それを受け入れたとしても、それは決して本質的な意味での親孝行ではありません。


親孝行をするために、

「子どもが無理をする」

「子どもが不幸な思いをする」

「子どもがストレスを溜める」

ということはありえません。

ですからあなたが親孝行するために「苦しんでいる」なら、あなたは親孝行していないことになります。


自分の力で幸せになれる親は、すでに自分が満たされているので、「親孝行しなさい」とは言いません。
大人の思考の親は子どもの幸せを願っていますから、そんな親にとって親孝行とは、子どもが幸せになることです。
ただし、「誰が見ても幸せだと思える幸せ」を手に入れることが親孝行です。
たとえばあなたがお酒まみれになり、妊娠しては中絶してばかりで、「私は幸せ」と言っても、周囲は信じることができません。
ですからこれは親孝行ではありません。
愛とは、「私もあなたも周りも楽しい」という状況です。
あなたが、愛の条件を満たす幸せを手に入れることが、親孝行です。


「大人の思考の親」にとっての親孝行とは、あなたが幸せになることです。
大人の思考の親は、人類が愛に近づくための努力を惜しみませんから、子どもが自分の幸せを追求するのを応援してくれます。
なにより、子どもの幸せは、親自身の幸せでもあるんです。


「親を笑顔にしたい」「親を安心させたい」「親になにか買ってあげたい」、こんな気持ちも大切ですが、一番大切なのは、あなたが幸せかどうかです。
親に直接なにかをすることが必ずしも親孝行ではありません。
あなたが幸せになることが親孝行ですから、すでに親が他界したという人でも、親孝行はできます。
あなたがこの世を去るまで、親孝行をするチャンスはあるわけです。

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