宗教 5 宗教は全て営利目的か

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◎宗教はすべて営利目的か


「宗教はすべて営利目的か」・・・結論から書くと、全ての宗教が営利目的というわけではありませんが、営利目的の宗教が「大半」を占めていると言えます。
※信者についてもその多くは営利目的です



宗教団体に入ると、たくさんのお金を納めるように促される場合があります。
「納めるお金が多いほど徳積みになる」という考え方からです。
たしかにその理屈はありなんです。
仮に信者が手持ちの全てのお金を納めれば、その人には後がなくなりますから、言ってみれば「背水の陣」です。


「背水の陣」は逃げ道を絶つ行為なので、信者も「覚悟」が違ってきます。
信者の立場から言えば、手持ちのお金を全部納めれば、その宗教を信じ抜くしかなく、結果的に信者自身の「信じる力」が自分を救うことはありえます。
ただ、全財産を受け取った教団幹部たちが、そのお金で遊んでしまうことも多いんです。
これでは愛ではないですよね。
幹部を遊ばせるために信者のお金があるわけではないですからね。

活動にかかる費用が高いほど、怪しい団体だとマスターは思います。




◎教祖は利他から利己へ


多くの教祖は、人を助けたい気持ちがあって宗教を始めますから、教祖が宗教を始めたときは、「利他」の気持ちです。
しかし、みなさんも経験があるように、人間の意思は弱いものです。
たとえば、高い志をもって「医者」や「弁護士」になった人のほとんどが、やがて当初の志を忘れてお金を求めるようになります。
仕事の辛さに耐えかねて、「こんなにがんばってるんだからお金をもらわないとやってられない」という心境になるんだと思います。
矛盾だらけの世の中を見せ付けられ、「こんなに矛盾や不正があるなら、自分も・・・」などと。


実際に、不正をした方が目先の現金収入は上がる場合がほとんどです。
病院であれば、不正請求は普通にありますし、弁護士であれば、同じ労力で現金収入が多い仕事を優先する人は少なくありません。
本当は弁護士事務所の中にいるのに、面倒な客には「居留守」を使うことなんてあたりまえです。
実は昔、マスターが付き合った女性の父親は医師でした。
また、マスターの同級生が現役の医師だったり、マスター自身が難病を患っていることもあり、医療現場の裏は長く見てきました。
母が法律事務所に10年間勤めていたこともあり、法律関連もある程度見ています。
悲しい現実ですが、多くの医師や弁護士が「利他」からスタートし、やがて自分の利益を追求し、「利己」になっていきます。


新興宗教の教祖も同じです。
新興宗教は、基本的に「ワンマン経営」のため、「利他主義」から「利己主義」になってしまうとその変化は過激です。
教祖の周りには「反論しない人」が集まりやすくなりますから、教祖は調子に乗り、自分には無限の力があると勘違いしてしまう人も出てきます。
ここ30年ぐらいの間に、そんな教祖が何名か逮捕されましたね。印象に残っているのは、警察の家宅捜索が入ったとき、大人が立てないほどの小部屋に現金を抱えて隠れていた教祖です。


こんな教祖を信じた信者としては、どんな気持ちだったんでしょう。
「考えることをやめ、楽をしてしまったツケが回ってきた」と素直に思えたんでしょうか・・・


しかしみなさんも、そんな利己的な教祖たちを責めることはできないかもしれません。
恋愛や仕事も、「利他」から「利己」になっていくことが多いからです。

「あなたのためならがんばる」

「この会社のためならがんばる」

こんな利他の気持ちでスタートしたはずが、やがて、「私のためになにかしてよ」「仕事内容のわりに給料が少ないわよ」なんてことになっていく人もいたはずです。


宗教団体のトップは、少なくとも物質的執着を超えていなければ務まりませんが、物欲を満たすために頑張っている教祖がいるのも事実です。


余談ですが、昔話題になった「織田無道」というお坊さん、知っていますか?
バブル景気のころにメディアにもてはやされた、派手なお坊さんです。
彼は、お金の問題で捕まったことがありましたが、これが「利己」のひとつの見本です。
実は当時マスターが通っていたバイクショップに、修理中の珍しいバイクが置いてあり、ショップのオーナーいわく、織田無道さんが息子に買ってあげたバイクだということでした。
そのバイクは、普通では手に入らないオーダーメイドのバイクで、改造費用に数百万円かかっていました。
織田無道さん自身も2000万円ぐらいで買った車に乗っていましたが、息子にも高価なバイクを与えていたようです。
※息子さんはバイクに乗ってすぐに事故を起こし、修理をしていたようです


織田無道さんはお酒を飲むことでも有名で、「キャバクラで遊ぶお坊さん」としても知られていました。
そんな彼を「豪快なお坊さん」として持ち上げたメディアも、彼が逮捕された後は急速に彼から離れました。
なによりも、多くの信者を失望させてしまったことは残念です。


利他から利己へ・・・
これは人間ですから避けられないことかもしれませんが、宗教にしても仕事にしても、そして恋愛にしても、当初の気持ち、つまり「利他」の気持ちを貫ける人はなかなかいないようです。


次回は、在家信者を集める理由と、お酒とタバコをやる信者を許す理由について、マスターの考えを書いてみたいと思います。
人を救うためなら、お酒もタバコもやめさせる方が明らかに愛です。
みなさんも教祖として本心から人を救いたいと思ったら、お酒やタバコを「不可」とするはずです。
しかしそれらを「よし」としている宗教団体もあります。
なぜなんでしょうか・・・

・・・

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