私が受けた苦しみを・・・
(読了目安6分)
大学最後の冬休み、すでに就職が決まっていたA子さんは、スキー場のペンションで、2週間の住み込みのバイトを始めました。
スタッフは6人いて、A子さんだけが新人でした。
朝、バイトのリーダーから仕事内容が発表され、A子さんだけが、2週間通して屋外の仕事を任されました。
事前の募集要項では、「屋外の仕事もある」ということは、A子さんも理解していました。
しかしA子さんは、「自分だけ外の仕事」という指示を以下のように感じてしまいました。
「みんな暖かい屋内で仕事、ずるい」
「なんで私だけ外仕事で寒い思いをしなくちゃいけないの?」
「こんなことになるならバイトなんかしなければよかった」
「私はイジメられている!!」
・・・まさにマイナス思考ですよね。
A子さんは身体が寒いだけでなく、心まで寒くなり、「私だけ仲間外れにされた、私は嫌われているのね」と、ストレスを溜めてしまいました。
いつも下を向き、周囲を疑うように過ごしたA子さんの周りには誰も近づかなくなりました。
1週間後、A子さんは運悪くインフルエンザにかかってしまい、バイト期間の後半は、ペンションの一室で寝込んでしまいました。
「いじめられたあげくインフルエンザなんて最悪・・・」
「屋内の仕事だったらインフルエンザにならなかったかもしれない」
・・・冬のバイトは、A子さんにとって「苦痛」の思い出になりました。
この件、みなさんはどう思いますか?
A子さんは、外の仕事を「イジメ」だと感じましたが、もしA子さんが以下のように解釈できたら、状況は違ったはずです。
「人の役に立ててお金をもらえるなんてありがたい」
「事前に外の仕事のことは聞いていたから、なんら問題ない」
「仕事はチームワークだから私の仕事も大切」
「仕事させてもらえる体力があるだけでもありがたい」
実は、そのペンションの習わしとして、外の仕事は新人に任せることになっていたんです。
単純作業であることと、冬の厳しさを知ってもらうための、「新人が受ける洗礼」としての要素もあったわけです。
先輩スタッフの誰にも悪意はなく、
「この程度の仕事ができないなら冬の仕事は無理だよ」
という意味の通常の指示でした。
しかしA子さんにとっては「イジメ」であり、加えて「インフルエンザ」という二重の苦痛を味わい、現場を離れることになりました。
悪いことに、A子さんはこの苦痛をひきずったまま社会人になってしまったんです。
◎私が受けた苦しみを・・・
その後A子さんは大学を出て会社に就職し、数年後には「中堅」と呼ばれる立場になっていました。
しかし、「大学4年の冬にバイトでいじめられた」という思いが頭から離れず、新人に対しては常に「イジメ」の行動をとっていました。
「私が受けた苦しみを味わうがいい!」
という気持ちをぶつけていたんです。
これでは新人はたまったもんじゃありませんよね。
新人は、A子さんと同じ苦しみを繰り返してしまいます。
A子さんにできる愛とは、「私は苦しかったから、新人にはあんな気持ちを味わってもらいたくない」というものです。
これができれば、なんと言ってもA子さん本人が楽になれます。
・・・
さて、みなさんは今、A子さんのようなことを誰かにしていませんか?
また、A子さんのような人から恨みをぶつけられていないでしょうか。
いずれにしても、この状況は悪循環になってしまいますから、あなたの力で断ち切ってしまいましょう。
まずA子さんのようなことをしている人は、過去の恨みを卒業してしまいましょう。
それが結局自分を幸せにします。
そしてA子さんのような人から恨みをぶつけられている人は、相手に同情するスタンスをとり、常に気にかけてあげてください。
これでストレスも減るはずです。
また、あまりにもイジメがひどく、「私に対しての嫌がらせはそんなレベルの話ではない」と感じるなら、この際、相手のことを「心の病気」と認識し、病人の面倒を見るスタンスをとってみると、ストレスも軽減されるはずです。
人にはそれぞれ事情があります。
相手に対して「精神的健常者」を期待してしまうと、自分が辛くなりますから、自分を守るためにも、「あの人は心の病気なのね」と、考え方をシフトすることが必要です。
大きな視点から見れば、人類は、地球という「小さな家」に住む家族です。
「私が受けた苦しみを味わうがいい!」
この考えでは、人類は愛から遠ざかります。
人類が愛に近づくには、「人の幸せを願う気持ち」が必要です。
「私が受けた苦しみは味わってほしくない」
これが長く愛される考え方です。
◎自分に対しても
「私が受けた苦しみは味わってほしくない」・・・
これには「自分」も含みます。
あなた自身も、あなたにとって大切な人の1人だからです。
つまり、
「私が味わった苦しみを、今後私は味わってはいけない」
ということです。
言い換えれば、
「私は同じ過ちを繰り返してはいけない」
ということです。
今のあなたがもし幸せではないなら、これまでの教訓を活かし、同じ間違いを繰り返さないようにしてください。
自分が受けた苦しみは、他人に対してはもちろん、自分に対しても繰り返してはいけないんです。
◎まとめ
いつの時代も、多くの人が「愛が欲しい」と願いながら、目先の出来事に左右され、「利己」に生きています。
「経済社会」では、お金を手に入れるためなら人をだますことも平気な人がいます。
「男女の駆け引き」の場面では、男性の多くは、自分の性欲を満たすためならなんでもしますし、一方女性は、男性の性欲や寂しさ、虚栄心などを利用して、様々な駆け引きをします。
しかし、目先の欲に左右され愛を見失うと、短い快楽の向こう側に大きな壁を見ることになります。
長く愛されないのは、目先の欲に気を取られてしまい、大きな視点から愛をそそごうとしないからです。
マスターは、自分の子どもたち、そしてみなさんに、これまでにマスターが感じてきた様々な苦しみを味わってほしくないと願い、その苦しみを回避するためのヒントを書き続けています。
特に、人生や恋愛でつまずいたときの、命を削るような苦しみを味わってほしくないんです。
マスターの思いが伝わるかどうかは、マスターの「伝える力」、そしてみなさんがこのnoteを読む「タイミング」にかかっています。
そして人間は、先人の助言や教訓を活かすことができない生き物です。
ですから、noteの内容に目を通していても、空しい助言になってしまうこともあるかもしれません。
しかし、今はマスターの言葉が役に立たなくても、いつかタイミングが合えば、きっとみなさんの役に立つときが来ると思っています。
・・・
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