充電池

電池切れ

・・・先週2日程note投稿してなかった。

しまったー!!

今週はどこかで埋め合わせしよう・・・。


電池切れってのは文字通り私の電池切れではなく、携帯の電池が切れたんです。

営業先へ向かう時に電池を消耗しすぎてしまい、夕刻までもたなかったのです。

正確にはなんとかもったのですが、いつもの楽しみであるお仕事帰りに音楽を聴くということができませんでした・・・。

贅沢な悩みです。

昔はCDプレーヤーとかMP3プレーヤーとかいろいろあったので良かったんですが、今は携帯になんでも入り過ぎていて、携帯の電池が切れると結構不便だな、ということに気付きました。

家族、知人、取引先への連絡も、そして、電子決済や今回のように音楽を聴くということも携帯1つで出来てしまいます。

そうなると携帯の電池がなくなるというのは致命的です!

携帯がないだけで多くのことができなくなります。

最悪、仕事にならない人もいるんじゃないでしょうか?

改めて携帯のありがたさが分かった日となりました。

さて、携帯を人に置き換えてみるとどうでしょうか。

私たちはいつも多くの事をしていると思います。働いたり、遊んだり、食べたり・・・。

家族サービスなり、家事なり、掃除なり、記事を書いたり・・・。

本気を出せば結構なことができると思います。

では、私たちの電池とはなんでしょうか?

とか、考えてみたりしました。

私の場合は寝ることはもちろん、子どもと遊んだり、自分と同じ理想(子どもが笑える社会を目指す)を持った人と話したり、同じマーケット意識を共有したり、お酒を飲んで語ることが電池となります。

やはり、疲れすぎはいけません。

もちろん精神面を鍛えることは大事ですが、その精神面も扱う肉体面もきちんとケアしなければなりません。

自暴自棄や目先の楽なことに流されず、自分のことを本当に考えながら行動しなければならないな、と感じました。

・・・そこまで固く考える必要もあまりないと思いますが、

「何が自分にとって電池となりうるのか?」

ここはしっかりと認識しておいた方が、リフレッシュがしやすいと思います。

コレが無いとだるくなる。

コレがあれば結構楽しめる。

などは、人それぞれなので、あなたにしかわかりません。

あなたの電池は何ですか?

そして、充電できてますか?


本当のあなたは結構なことができるのに電池がないだけで、もったいないことになっていませんか?

今一度あなたの電池を探してみませんか?



虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。