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何をもって自分なのか? vol.71

私は元々、自分の身体の声や魂の声を無視して生きてきました。

大丈夫?無理したらあかんよ!と言われても
『うん!私は大丈夫!まだ行けます!』と、自分は大丈夫だと思っていたけれど

実は、身体の細胞は、自分が思っている以上にボロボロなんて事はよくあります。

そうなると、どうなるか?って言うと
例えば身体に発疹が出たり、頭痛が出たり
熱が出たりと、身体はSOSを出して来ます。

私は、このSOSを『体質』だと思っていたので

何でこの症状が出ているのか?と原因を考えずに
症状をおさえる為に、薬を飲んだり、薬を塗ったり

症状を抑え込む事で、治ったと思っていました。
※確かに一時的には治りますしねw

身体からすると
『薬とかちゃうねん‼︎またそれ処理すんのにこっちはエネルギー使わなあかんねん!
こっちのことも考えてくれる?

寝てくれたら、治るんです(涙)脂物控えてくれたら、楽なんです(涙)砂糖は疲れるんです(涙)』

と訴えてるんかもしれませんね。

なぜ、心とは、『こころ』と言うのでしょうか?

私はついつい、『心こ声』だけを『私』だと勘違いしてしまいます。

心とは、コロコロ変わるという所から『こころ』と言われるようになったと

高校の時の、仏教の授業で習いました。

心は、外からの刺激によって
傷つく痛みや、苦しみ
不快や、快感
怒り、悲しみ、喜び
ウキウキ、ドキドキ、ワクワクなど
常に外から影響を受けてコロコロと変わっていきます。

それに反して、魂と言うのは、普遍的なもので
自分の根本。本来の自分の願いを持って、私の中に存在しているものだと思います。

魂とは、自分の核の様な感じてしょうか?

それに、心がくっつき、考える脳がくっつき
細胞がくっつき、人間として生きているのだと
私はイメージしています。

60兆個以上の細胞が日々入れ替わり、役180兆の菌が身体の中に居てくれるから人間は生きていられると、解剖学の先生が話してはるのを聞いた事があります。

そう思うと、私とは、何をもって『私』なのでしょうか?

この身体の事を、疑いもなく自分だと思っているのに

ジャンクフードを食べたり、カサブタをつい取ってしまう時

その皮膚や、内臓の気持ちを考えた事はありません。
それは、心で感じて、脳(思考)が決めているからやと思います。

もしも、皮膚の気持ちになったとしたら
せっかく出来たカサブタを取ってしまう事はないだろうと思います。

でも、治りかけってかゆいんですよねw
かゆいに反応して、つい、掻いたら取れちゃうんです。

それに、人間は、刺激に左右される生き物だから
刺激によって脳から出るオキシトシン、セトロニン、ドーパミンなどによっても左右され

やる気が出るなど、良い方に働く時もあれば
快楽を求めて、抑制出来なくなる事もあるので

その時は、俯瞰して自分を見る事が大切だと思います。

ミクロに見る虫の目
マクロに見る鳥の目
時系列で、どうしてこうなったか?
と言う視点で見る魚の目

色んな目で自分を見ながら、いつも頑張ってくれている
この身体を大切にしていこうと思います。

寝ている間も、頑張って動いてくれてありがとう!
タフな身体に、本当に感謝します。
大事に思っていますよ。
ありがとう!

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