なんかさいしょかこうとしてたこととちゃう

この春やりたいこと。もう暦は3/30。
この春やりたかったこと、かもしれない。
かくゆう僕は昨冬大学受験を終え(一応無事合格もして)最も自由になるかも思われたこの春やりたかったことは出来ただろうか。少しひと月ふた月ほど戻った気でやりたいことを書き出してみようか。
読書(小説,哲学書,等々)、古歌等々を嗜む、第二外国語の予習、読書(漫画)、、、、、この程度か。
自分の無欲さに少しばかり呆れることもあるが、普通の人より受験勉強の際したいことを我慢することをしなかったことの結果であろう。Youtube,漫画,したいことは全てやり、その時していたことは今春全くやっていない。お笑いも好きだったが本当に最近は疎遠になっているし、その道の方々のYoutubeさえもも見れていない。興味が無くなったのだろうか。勉強をしながらでもできる特に得のないことだったのだろうか。そう言えばあの時の自分の笑い声が勉強をしている自分を隠す為のものだったようにも思える。飢えた親鳥のように本当に喰いたいものを喰わずかろうじて喰えるものを喰い喰い繋いでいたのか。そんな気もしてくる。
では先程あげたやりたかったことではどれが出来ているだろうか。今していることを軽くあげてみる。
くずし字の勉強とともに百人一首なども読みつつ小説,哲学書,等を読みたまに第二外国語の勉強をしている。漫画を読むことが抜けている程度でほとんどが出来ているように思えるが「出来ている」というの「どれほど出来ているのか」が大事であろう。それも客観的なものでなく主観的な物差しで。その答えはほんの一目盛にも満たない程度だろう。本は二冊ほど読了、あとは中途半端に読んでいるのが2冊。くずし字だってちょっと見なれないのがあれば平仮名でさえ読めない。第二外国語なんて50章くらいある内のまだまだ10章に行かない程度。まあ「出来てない」だろう。かろうじて喰っていたものを見逃し本当に喰いたいものを少ししか採ってこれていないような状況である。今自分が何をしているのだろうか。何を出来ているのか。常々自分への疑問が湧き出す。疑問がお湯でさえあれば僕は億万長者にもなり得るのだろうが。歩く温泉などとも揶揄されたりするのだろうか。
と、そんなことを考えていて気づいたのが自分のやりたいことはやっておきたかったことなのだ。心のどこかで本は今までのうちに読んでおきたかったし、くずし字も昔からしておきたかったもの。第二外国語に関してはアウトオブ眼中というものだったろうが。ということはやはりどこか中高の6年間の生活で勉強、通学時間に追われ、やりたかったことが出来なかった自分がいるのだ。そう気づけただけで自分が常人である証明のようでなんだか嬉しく、また時間を有効活用出来ていなかった自分への呆れもある。この反省はこれからの生活に活かしていきたいと思う。
ということで結果として僕がこの春やりたいことは本心からしたいことをやらないといけないことを言い訳にやらないことをしないことということを決意し、実行していくこと。こんな文は受験国語なら減点回避のため書き直しだろうが、そんなことはしたくない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?