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人だから弱さもある。だから。

人は自信のないことに感情を湧かす。
それは、自分が進むべき道を阻むことになる。

そんな時、誰かに手を引かれ、誰かに背を押してもらい進みもできるが、
必要なのは自分の意思がそれに伴うかが大切となる。

たまたま、上手く行ったとしてもそれは偶然なのかも知れないし、
誰かにより先が保証されていたことに歩めただけかも知れない。

それが悪いとは言わないが、それではいつも誰かの支えがなければという条件を心に生み出す。それは。

自転車の補助輪がいつも倒れないという安心を与え、
いつまでも補助輪を外せなくなってしまうのと同じ。

小さな子供のうちならそれも良いが
大人になるに連れて羞恥という感情を湧かしだす。

だから。
自転車に乗らないという選択をする人もいる。

ただ。
自転車の補助輪の代わりに人が支え練習をする人もいる。
それは、補助輪に頼るのと人に頼るのとでは大きな異なる点があるからに他ならない。

それは、人は相手のこころの状態を感じ、
支えていた手を放すことができることにある。

この人は”もう大丈夫だ”と感じた時、
そっと気づかれずに放し送りだせる。

その放すという動作は紛れもなく、
相手の自信へと変わった瞬間になる。

物事というのには、人だから弱さもある。
ほんの少し支え放すことが自信となり活きるチカラになるとも知らず。

人はこころにより活きるひとと
心により生かされる人に分かれる。

それは、人の素晴らしさは自分だけでは分からないことにある。
もし、自分がそう思えてしまうのであればそれは感情という。

人だから感情で思うのは自由だが、それに囚われれば心に弱さをつくりもする。そんな心を誰が素晴らしいと言うのか。

だから。
そっと手放すように互いの気持ちが通じ合う時のように、口に出さずともそれを素晴らしいと感じ合えれば十分。そうやって、互いのこころの素晴らしさを分かち合えばこそこころは強く育み。そうやって、こころにより活きて行くチカラが生まれます。

まだまだ、自分たちはこころの使い方を知らず感情を湧かしてしまいます。それはこころを知らないから仕方ないが、意外に物事の答えはこころの中にあるのです。その答えは感じることで感情に埋もれた心の中心からでも知り得れます。

(心のカタチより)

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