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記述式問題の傾向と対策

第1問
次の言葉の意味を説明せよ。
「ワインバーガー」


 これは某雑誌社の入社試験で実際に出題された問題で、答を先に明かすと、アメリカのレーガン政権で国防長官を務めたキャスパー・ワインバーガー。人の名前だ。
「ワインバーガー」という著名人はほかにもいるようだが、試験が実施された当時でワインバーガーと言えば、このワインバーガー国防長官だったろう。
 だが、試験当日はワインバーガーという人名は知らなかったし、ワインバーガーという言葉自体も聞いたことがなかった。そこであれこれ考えてみた。
 考えてみて解答が導き出せるような問題ではなく、字面に沿って考えを進めれば、「ワイン+バーガー」ですぐに行き詰まってしまう。設問が「キャスパー・ワインバーガー」なら、おそらく人名だろうと推測がつくが、単に「ワインバーガー」としか示されていない。しかも設問は、その「意味」を問うとしている。そして出題者の狙いというか、魂胆もそこにあるようだった。受験者を欺き陥れるような、ワナがあるようだった。
 それに嵌まらないように、ワナの周囲を行きつ戻りつしながら考えるものの、やはりどうにもならなかった。時間がなくなり、何か書かなければならなかった。魅入られるように書いた答案は次のようなものだった。
「ワイン風味のハンバーガー。あるファーストフードチェーンで新たに発売され、その斬新さとユニークさが評判を呼び、大きな話題となっている」
 どんなハンバーガーか自分でもよくわからないが、この問題が知識を問うのではなく創造性を試すものだったとしても、試験に合格していたかどうかは怪しい。

第2問
次の詩を読んで感じたことを述べよ。
 西脇順三郎 皿
黄色い董が咲く頃の昔、
海豚は天にも海にも頭をもたげ、
尖つた船に花が飾られ
ディオニソスは夢みつゝ航海する
模様のある皿の中で顔を洗つて
宝石商人と一緒に地中海を渡つた
その少年の名は忘れられた。
うららかな忘却の朝。

 高校の現代国語の授業で、教科書に載っていた詩の解釈を問われたもの。西脇順三郎はシュールレアリスムの巨人で、ノーベル文学賞の候補にもなった。詩の注釈には「ディオニソス=ギリシア神話の酒神」とかあったと思う。
 いま読んでよくわからないものが、高校生に理解できるはずがなかった。級友たちもみなわからなかったと思う。そんな安心感から、真面目に考えることをはなから放棄し、めいっぱい面白半分に書いた。

「紫色のスミレの花が黄色に見えるくらい、イルカが空を飛んでいるように見えるくらい、ディオニソスは酒をしこたま飲んで酔っ払い、たくさん花が飾られた船の上で眠ってしまう。昔、そんな夢うつつの航海をしていた時、ある朝目覚めたディオニソスは、きれいな模様のある皿で顔を洗った。すると、重い気分は晴れて、爽やかな海風がその頬を打つのだった。そして、風に吹かれながら麗らかな海を眺めていると、宝石商人の少年と一緒に地中海を渡ったことを思い出した。しかし、その少年の名前は、酔っていたので忘れてしまった」

 まあ「しこたま」とは書かなかったかもしれないが、だいたいこんなふうに、二日酔いのディオニソスを書いたのだ。

 現代国語を教えていたのは、高校生の目には三十代にも四十代にも映る、独身の女の先生だった。いつも穏やかな話し方で授業を進めるのだが、少し変わったところがあり、ある時授業内容とは何の脈絡もなく、自身の若い頃の不幸な恋愛について語り始めた。妻子ある男性とのいわゆる不倫で、高校生にとってはやや刺激的な内容だった。
 淡々とした中にも何か感情の昂ぶりを垣間見たような気がするのだが、高校生の観察眼だから当てにならない。だが、時折笑みさえ浮かべながら、教科書でも朗読するように話すその先生に、そんな激しい恋の過去があることは信じられなかった。

 次の回の授業だったか、何名かの解答文が読み上げられた。その中に私の書いたものがあった。
 怒られる、と思い、うろたえた。あんな思いきり気取って道化て書いた文章が、正当な理由で選ばれるはずがなかった。しかも、名前は伏せられていたものの、それがクラス全員の前でおおっぴらにされたのだ。
 いつもと変わらない口調でそれを読む先生と、一瞬だけ目が合った。その目は「おふざけはいけませんよ」とたしなめているようにも見えた。
 しかし、最後まで読み終わると、教室のあちこちから「おー」という声が上がった。耳を疑ったが、それは驚きを表したものだった。ウソだろと思い、えらいことになったとも思った。おまえらどうかしてるぞ、とも。そんなつもりで書いたものじゃない、たいそうなものじゃないと、できるなら声を上げたいくらいだった。
 先生からは何のコメントもなかった。
 いま思い返してみても、先生が私の解釈をどう評価してくれたのか、評価しないまでもなぜ読み上げてくれたのか、わからない。
 だが、私の都合のいい空想はいつも、「こういう読み方もあるのね」と認めてくれる、風変りな先生を思い描くことに行き着くのだ。

第3問
次の言葉は誰が言ったものか。その名前を記せ。
「賽は投げられた」


 某出版社の入社試験の問題。これは、紀元前末期の古代ローマの軍人で政治家の、ガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー)の言葉。カエサルがガリア属州の遠征からローマに召喚される際、武装解除の慣例に背いてルビコン川を渡ろうとした時語ったとされる。その後のカエサルの運命を決定づける言葉で、事ここに至ってはもう後戻りできない、覚悟を決め進むしかない、という意味でも使われる。
 カエサルについては塩野七生の『ローマ人の物語』で深く知るようになるが、それはずっとあとのことで、試験当時はカエサルの名前くらいしか知らなかった。だから「賽は投げられた」がカエサルの言葉ということも知らなかった。これもやはり、言葉ひとつひとつの意味から推測するしかなかった。
さい」はサイコロで、サイコロを投げるのだから、これは博奕の一場面を表した言葉だ。そうすると、これを言ったのが博徒であることは明らかだった。答案用紙にはこう書いた。
「清水の次郎長」


記 事 索 引

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