自分の理由と相手の理由
自己啓発や成功哲学に多くの影響を与えたと言われる
イギリスの哲学者ジェームズ・アレンの思想の実践本
『運命を変える7つの学びのステージ』から
一文を紹介しながら、私なりの考察を書いています
The second stage lesson 7
自分に対する言葉や行為を気にして
ただひたすら傷つき、落ち込むよりも
その言葉や行為を受けた「理由」に心を向けましょう
「こころ」のことに関心のある人というのは
どこかでイジメや心が深く傷つくような出来事を
体験している人が多いのではないでしょうか?
だからこそ、自分はそうしないようにと考えたり
そういう行為をする人は、どういう心理なんだろう?と考えたり
自分の心を守るためにはどうしたらいいか?と考えたりして
「こころ」にたどり着く
そして知るのは、あの人が!親が!学校が!と思っていたものも
実は自分の受け取り方次第だという事実
ガーン
って感じですよね
そして、やっぱり自分が悪いのか。そうかそうかどうせ自分が悪いんだ
こういう自分だからそうなるんだ。ってことにもなりやすい。
でもそれも違う
「どうせ自分が悪かった」「こんな私だからしょうがない」って
そうやって思うのは、自分をさらに自分でいじめて傷つけているってこと
イジメの事実は事実として、その行為は認められなくても
相手のことは別の見方ができたりする
相手がいじめてきたのは、
自分にも何か相手の気を悪くさせるものがあったのかもしれない
でも、それももしかしたら、相手の課題が私を通してあらわされて
イライラしちゃったのかもしれない
私も相手を受け入れられなかったのは
そこに私の課題が何かあったからかもしれない
そんな風に考えることもできる
だけど、相手はそこに何の報いも受けずにいてもいいのか?
そういう考えが出てくるのは人間なら当然
だからこそ聖書にも「目には眼を、歯には歯を」という所があったりする
でも、これは「やったらやり返せ」ということではなく
人というのは受けた以上のことをやり返してしまうもの
自分が受けた以上のことはしてはいけませんってこと
ただ、それをやったからと言って、本当に自分の気が晴れるのか?
そしてやったら、それから何があっても自己責任
「復讐は神のすること」って神様も言われているし、私はそれでいいかな
自分も知らないうちに、人を傷つけていること沢山あるだろうし
自分自身も沢山傷つけた
でも、それを経験したから、何が正しさなのか、何が優しさなのか、
友達とは、信頼とは…。色々小さい頃から考えることができたしね
そこで乗り越えたから、分かったこともある
もう全てが自分の一部だ
あの小学校の頃のイジメの理由も
きっと私が思っていることと、相手が思っていることは違うのだろう
なんかそれを聞いてみたい気がする
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