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性格は変えられる

自己啓発や成功哲学に多くの影響を与えたと言われる
イギリスの哲学者ジェームズ・アレンの思想の実践本
『運命を変える7つの学びのステージ』から
一文を紹介しながら、私なりの考察を書いています

The Third Stage 2
性格は生まれつきのもので変えられない、と言って
自分を変えて行こうとしない人は
習慣に支配されているだけなのです

性格というのは考え方と行動の習慣、というのが
ここでは言われています

こういうのを見ると
「そうだ、人のせいとか思っちゃいけないんだ、
自分を認めてもらえないのは、自分のせいだ!」って思って
一生懸命頑張ったりしませんか?

私もそう思って、頑張ってた
みんなに「いい人」って思ってもらえるように

全ての結果は「自分」が選んだ結果だ
だから、目の前の状況が悪かったら
それは自分のせいだ

そうやって、自分を追い込んだ

でも、それって何にも変わってなかった
「親が」「あの人が」「この社会が」って向けてた攻撃が
「自分が」って、自分に矛先が変わっただけだった

そこにはいつも「不足」があって
まだ足りない、まだ頑張らなきゃ、まだやらなきゃ
まだまだまだまだ、、、

それって何で起こっていたかというと
「人と比べていた」から

自分っていう存在でいいよって認められてなかったから

「自分はダメな人間なんだ」っていう無意識の自覚が自分に染み付いていて
そこが変わっていないということを全く気づいてなかった

しかも、クリスチャンの私は
聖書の中での「人はもともと罪人」という概念が
「自分はダメな人間」というのを上塗りして

「イエス様が十字架でその罪を消してくれた」という
いまいち現実味に欠ける、本当はすごいことだった祝福を
全く消し去ってしまって

神様は私がダメ子だから、何にも上手く行かないんだ
神様は私がダメ子だから、私のこと愛してくれないんだ
神様は私がダメ子だから、私のこと見てくれないんだ

って、ズーーーーーーーーっと思ってた

これ、多分、神様=親だったんだろうな

私がいい子じゃないと、親は私を愛してくれないんだ
私がいい子じゃないと、親は私を見てくれないんだ

ちなみに私の親は、普通に私を大事にしてくれてた
頭では理解できても、心ではそう思っていた
何でそう思うようになったのか

そのきっかけの出来事が多分あったはず

人はみんな、そういう何かの原因が重なって
何かしらのコンプレックスを持つ

「自分はダメな人間だ」
「自分は愛されない人間だ」
「自分は何もない人間だ」

そう思うようになったのは、いつ?どこで?どうして?
何が原因だった?

周りからどんな「自分」に見られようとも
それは相手の「主観」に過ぎない

例えば、親に「これやって」と言われたことを失敗して
親から「全く何をやってもダメな子だね」と言われたとする

そうすると、失敗した=ダメな子 の図式が出来上がる

ここには「失敗した」という現象があるだけで
何が原因で失敗して
次はどうしたらいいか、考えればいいだけのこと

そして「これやって」とお願いした親も
子どもが出来ることをお願いしているのか?ということを
把握している必要がある

「自分はこんな性格だから」と思っていることも
どうしてそんな性格だと思っているのか?
いつからこういう性格だと思ったのか?ということを考えてみると

あれ?この時は、そういう感じじゃなかったな
子どもの時はそうじゃなかったな
とか感じられることがあると思う

もし、そう思ったのだったら
そこから性格は変化してるのだから
「性格は変えられない」ではなく「変えられる」のだ
ということが分かるんじゃないかな

自分はダメ子だと思ったら
ぜひ赤ちゃんを見て欲しい

無邪気に笑い、ミルクを飲み、すやすや眠る赤ちゃんを
この子ダメだねって、誰が言うだろう?

自分はそんな存在だったんだ
それを思い出そう

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