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341.あの日のこと



毎年この日に何気ないLINEをくれる。
4年前に産んだ双子ちゃんの動画や画像と共に。
一度も会ったことのない、でも付き合いは16年くらいになる愛媛の友だちがいる。

震災があった日の夜中に、いつでも家の外に逃げられるように外の服を来て布団に入っていた。
常に揺れていた気がする。
夜中もずっと小さく揺れていた。
こんなに揺れていたらとうとう家も倒壊しちゃうかもしれないなあと眠れず暗闇の中ぼんやりと緊張しながら思っていた。
すると夜中だと言うのに、そして繋がりづらいはずなのにスマホがなった。
誰だろう?
登録されていない電話番号。
でも、なんか出ようと思った。

「もしもし」
「もしもし?◯◯さん?」(当時某メブロで書いてたニックネームで呼ばれた)

彼女とはコメントでずっとやり取りしていたバーチャルの仲良しさんで、いつしか贈り物も送り合う仲になっていたのだ。そのときに書いていた電話番号を探してたかけてくれたのだろう。

「よかった~ぁぁぁぁぁ。生きててくれてよかった~ぁぁぁぁぁ」


半泣きで電話をくれたのだ。
一度も話したことがないのに。
声も聞いたこともないのに。
心配でそんなのどうでもいい!というのが伝わってきた。
生きててくれてよかったなんて言われたことがなかったから心底温かい気持ちになった。
嬉しかった。

そのあと箱いっぱいの支援物資も送ってくれた。


あの時からずっと彼女は気がつくと毎年同じ日には必ず連絡をくれる。
出会えて良かったなあ、ずっと大切にしたいなあと思う人です。











毎年この日はなんとも言えない複雑な気持ちになる。
内陸だったので津波は来なかったけれど、ほんの30分車を走らせれば壊滅的な風景がずっと広がっていたのだ。
夢かと思うくらい現実的ではなかった。
目を背けたい、それくらい現実が恐ろしかった。


未だに複雑だ。
一生この日を迎えるときは感情は複雑なままだと思う。
色んな感情が交差する。



でも毎日の生活の営みが当たり前ではないことだけは、この日を迎えるに当たり再度改めて気持ちを戻す。

生きていることは当たり前じゃない。
日常の生活の小さな営みは当たり前じゃない。
平和に毎日のルーティンをこなせることがいかに幸せなことなのだということです。

大事に大事に、日々自分の大切な人たちと過ごせることをただただかみ締めていくことだけでいいのです。












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