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265.薄っぺらいかそうじゃないか



265かあ。
あと100回かいたら365かあ。

急に思い立って始めた毎日note。
きっかけは毎日欠かさず読んでいたさめじまみおさんの3年noteが終わったことがきっかけだった。
あの濃ゆい文章を毎日読みたいがために、楽しみに夜まで過ごしたあの日々が終わってしまって、
さあて、どうしたもんかな。
と思っていたときに、パッと浮かんで、キリが良い4/1から始めたというわけです。

最近はみおさんは執筆をしていないのだけど。
たまに読みたくなるんだよなあ。
あのキレのよい独特なロジック的で哲学的で理論的な文章が。(わたしにはないものが詰まっている文章なのです)

物事にちゃんと筋道立てて、頭の中の思考がちゃんと言語化されている。

わたしにはできないことなので、そして直感オンリーで生きているわたしにとっては物事を丁寧に言葉にするということがかなり難しいことだし、横文字を使って説明もできないし、本当にいろいろな本を読んで身についたことなんだろうということが容易に想像がつくのです。
言葉一つ一つに重みがあって、薄っぺらくないというか。











「薄っぺらくない」


で思い出した。
わたしの人を見るところの視点。

薄っぺらくないかどうか
発する言葉に心がこもっているかそうじゃないか


全部直感のはなしなのですがね。笑
感覚ですね。



行動が表面はちゃんと見えても、裏はきっとこの人は違うこと思ってるなとか。
発する言葉と心が伴っていない、乖離してるな。とか。
姿、佇まいをみて軽いか重いかを見たりもする。


もちろん、自分もそういう時はあるけれど。
なるべくそうならないようにギュッと力を入れるようにしている。
たまに自分の発した言葉が軽い時があって、そういう時は夜に何度も何度も頭の中で発した言葉を、その場所でのやり取りを思い出しては繰り返し反省する。
軽さって伝わるんですよね。
なんでだろう。
不思議。
目に見えないのに、そういうのを感じ取る力を人間は持ち合わせている。
逆に重みもすごく伝わる。過去のこと今までのこと何も聞いたわけじゃないけれど、
ああ、このひとはちゃんといろいろ向き合っていろんなことを軽んじずにやってきた人だ。
いろいろ経験してきたひとだ。って。
だから信用したくなるんですね。






文章にもそれは乗るから、できるだけ気をつけてはいるのですけど今日は書くことがないなーとかそういう時はどうしても文章が軽くなってしまうし。笑


そういうところでいうとさめじまみおさんのnoteって軽さがなかったんですよね。毎日こんな熱量で書いてるの?というくらい内容がギュッとしてて濃くて。ロジック的だけど、感情論も入るからもう読者はくぎ付けなわけで。笑
文章にウソがない人だなということが、1番ファンになったきっかけだったなあ。






今日は独り言が長くなったなあ。笑









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