2022年1月の記事一覧
この度は、神が表(おもて)へ現れて、なにか一切を説き聞かす
「この度」とは、天保九年のことなのは、分かります。
ですが、表とは、どこでしょうか?
天保九年に、一人の女性の身体に、神が入り込んだとしましょう。
けれど、見た目は、それまでと変わらない一人の人間の女性なのです。
これでは、神が表に現れた、とは言い難いのです。
神とは、形で表現することができるのでしょうか?
神は、形ではないのです。
神は、形を含んではいるが、形が神の全てではない。
神は、むしろ形
そのはずや、説いて聞かしたことはない。知らぬが無理ではないわいな
あらゆる時代の全ての人間の心の中を見ても、誰も神の胸の内を分かった者はいない。
それもそのはず、今までただ一度も、この胸の内を、説いて聞かしたことはないのだから。
私は、神の胸の内を、絶対に知り得ない。
その理由は、おそらく2つでしょう。
一つは、理解出来ないから。
もう一つは、知らないから。
神と人間があまりにも掛け離れた存在なので、次元の低い愚かな私には、次元の高い崇高な神のお考えを理解す
よろづよの世界一列見晴らせど 胸の分かりた者はない (よろづよ八首)
あらゆる時代の全ての人間の心を見てみても、神の心を分かった者はいない。
こんなことを、1人の女性が話したとなると、誇大妄想としか思えない。
なぜなら、目の前の人の心の内でさえ、人間には知りようがないのですから。
だから、この言葉の意味をそのまま受け取るならば、これは、神のような巨大な視点から話される大宣言か、嘘八百のどちらか、なのです。
全ての人間の中には、お釈迦様やキリストも含まれる。
と、言
天理教 みかぐらうた
天理教のみかぐらうたに触れて、感想など綴らせていただきます。
天理教「みかぐらうた」
「第一節」
あしきをはらうてたすけたまへ
てんりわうのみこと
「第二節」
ちょとはなしかみのいふこときいてくれ
あしきのことはいはんでな
このよのぢいとてんとをかたどりて
ふうふをこしらへきたるでな
これハこのよのはじめだし
「第三節」
あしきをはらうてたすけせきこ