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長野県塩尻志學館高等学校の皆さんから感想文が届きました。

今年9月8日、長野県塩尻志學館高等学校の人権教育映画会で、本作を上映して頂きました。生徒さんからの感想文が届きました。その一部をご紹介いたします。生徒さんたちの感想文を読み進めていくと、本作を通して、率直に真摯に自己の思索を深め、「自分がどう生きるか」を真剣に模索する姿が浮かび上がって来ます。
作品をお届けする立場の者として、本当に嬉しくそして感謝の思いでいっぱいです。
ぜひご一読ください。(製作委員会 安 成洋)

1年3組(女性)
この映画を見終えてからいちばん最初に浮かんだ感情は、正直に言うと何もなかった。言葉が出なくて、呆然とする感じがした。
 どんどんと進んでいく時間と、その間にあったこと、これから起きることが重なって何ともいえない思いになった。
 阪神・淡路大震災の被災地の人と病院で働く全ての従業員の落ち着かず焦った様子から、それがどれだけ怖くて悲しい出来事だったのか想像できた。記者による写真や動画は、忘れてはいけないものを忘れないためにも大切にされるべきものだと思う。でも写真や動画からでは分からない、本当の感情は誰がどう癒していたのか、新しいことを知れた。精神科医という難しい仕事を全うすることと、家族への思いが複雑に混ざり合う中で、人の心と向き合う行為は本当に大切なことだと思った。
 「心のケアは誰も一人にしないこと」という言葉を聞いてから前のことを振り返ってみると、避難所にいた男の子や女性も終子さんも、一人になっていないことに気づいた。「誰も一人にしない」という、実際にその仕事をしてみないとわからない本当の意味や、やりがいを私もいつか感じてみたいと思った。
 正直、この映画を言葉と文章にすることは難しい。阪神・淡路大震災の残酷さ、人々のかかえる思い、仕事の大変さ、友人、家族との関りなど様々な場面を様々な目線で見ることができる。私達も主人公のようにたくさんの壁に直面し、戦う日が必ずくると思う。そんな時は、この映画を思い出して勇気をもらう。あきらめずにやり続けること、それが一番大事で一番難しいと思った。もう一度見たいし、小説を読んでみたいと思う。

「だれもひとりぼっちにさせへんてことや」
(©2020 映画・心の傷を癒すということ製作委員会)

2年1組(女性)
 このお話を通して安克昌先生から学んだのは、人の心に寄り添うということは、苦しんでいる相手に何か元気になってもらおうと励ますのではなく、その辛さを患者さんと共に向き合うことなのだということだ。セリフの中に「弱いことは他に弱さを抱える人の気持ちを理解できるのだ」という言葉があったが、これは、福祉の先生が、「支援する側に立つ人は自分が幸せであることが大切だ」という言葉と同じだと思った。弱い立場に立つ人や心の傷を抱える人のきずを理解することから、人を癒すことができるのだと感じた。私自身の進路や将来の目指している職業と結びつけて考えてみると、自分も子どもを支援する側になりたいと思っているので、安先生の心のケアをする姿が本当に心に残った。特別なことを言ったり、してあげるわけではなくて、相手の心の痛みを受けとめ、きずを言葉にして吐き出してもらえるように寄り添う姿に感動した。また、悩み相談を受けたときに、相談した人は聞いてもらうだけで十分なのだ、とよく聞いたことがあるけれど、それもこの安先生の姿と同じ意味なのだと思った。実際に自分が子どもを支援する立場になったら、安先生から学んだ心を癒すことを忘れないようにしたいと思う。そして、映画の最後の部分で出てきた「心のケアとは誰もひとりぼっちにさせないこと」というセリフのように、本当に支援や助け、癒しが必要な人々にケアが届くように、自分にできること、自分が必要だと思うことを行動にして実行できるようになりたいと思う。そうすれば、一人ひとりをお互いが大切にし合うことができると思った。私が所属しているボランティア部や、これから出会う様々な人たちとも、このことを大事にしていきたい。

2年2組(女性) 
本当に心に刺さる映画でした。 私も震災のことは授業やテレビでしか触れたことがなくて、全く想像がつかないものでした。今回映画を観て、実際に震災にあった人たちがどんなことで悩み、どんな思いで生活していたのかを知って、ずっと暗い雰囲気だったのにキックベースを始め、周りの人も笑っているのを見てとても感動しました。 病院で終始穏やかに対応していた安先生が、恩師である永野先生に自分が辛いということや涙を初めて見せて、一番印象に残っています。 安先生が男の子に「弱いところを見せるのは全然恥ずかしいことじゃない」と言っていました。私も男の子のお祖父さんと同じように、“弱い人間じゃダメだ”という考え方でしたが、安先生が「弱い人には弱い人の心がわかる」と言っていて、確かにそうだと考えが変わりました。世間でも自分の弱いところを見せるのは恥ずかしいことだと思っている人が大多数だと思います。ですが、違うんだよと他の人にも知ってほしいと思いました。 「心も身体と同じように傷ついている」と、他の人たちのケアをするために自分で回って声をかけ続けたことは本当にすごいことだと思います。おかげで気持ちが楽になった人も大勢いただろうし、前例がないことをやろうとしていたのでとても難しいことだったのではないかと思いました。 今、私の身近な人がかなり悩んでいて、私もどう接したら良いのか分からなかったので、今回映画をみて安先生のように“一人にさせない”を頑張ってみようと思います。私も“心の傷を癒す方法”を考え続け、実践していきたいと思います。

3年2組(男性)
 「心の傷を癒すということ」とは、どういうことか。この問いに対して、映画の主人公の精神科医は、「その人を一人にしないこと」という考えに辿り着く。彼はなぜこの答えに辿り着いたのだろうか。
 彼は精神科医として、患者さんの悩みを聞き、受けとめ、寄り添うことを仕事としている。しかしある日突然大地震が発生し、大勢の人が被害を受けた。家族の生存が確認できていない人や、周りの人を置いて逃げてしまったことに罪悪感を感じてしまっている人など、様々な悩みや不安を抱えた人達が避難所に集まっていた。彼は被災者全員を助け、心のケアをしたいと思うが、自分を弱くて頭のおかしい人間だと思われたくないので、精神科医と関わることを拒絶する人もいた。私も精神科医の治療を受けることは、自分が普通ではないことを認めることになってしまいそうで、躊躇する気持ちに共感できる。しかし、この映画を見てから、精神科医に相談するというのは、何か特別なことではなく、いわゆる学校の保健室にいらっしゃる先生のような身近な存在なんだなと、印象が変わった。映画の中でも、少年が「人に悩みを話すのは弱い人間がすることだ」と言っているシーンがあるが、この言葉に対して、主人公の彼は、「弱くて良いじゃないか。自分も弱い部分はたくさんあるけれど、その分周りの人を理解して、助けることが出来るんだよ」と言っている。人の弱さを受け入れ、それを強みに変えてしまう彼の考えはとても優しくて、かっこ良かった。彼は人とたくさん関り、話を聞くということがどんなに大切なことなのかということに気づいたのだ。
 この映画を通して、人間が弱いことはあたりまえのことで、人と人とが関わって助け合っていくことが大切なんだと分かった。私も誰かに寄り添えるような優しい人になりたい。

「話したいことがあったら、遠慮せんと話してほしいねん」
(©2020 映画・心の傷を癒すということ製作委員会)

3年3組(女性)
 「精神科医」という職を聞いたこともあるし、どんな仕事かも知っているつもりでした。ですが、実際に自分が精神科にお世話になったことがなかったので、今回の作品を観て、物事をポジティブにとらえさせてくれる精神科のお医者さん、和隆さんがすごくかっこ良いと思いました。
 和隆さんの言葉は全部が温かくて、口調も優しくて、2時間の映画の中だけでも、心が動かされました。私が特に印象に残っている言葉は、「神戸の人はバチが当たった。私たちは何も悪いことをしていないから大丈夫。そう思っていないと怖くて不安でたまらないからなんだよ」というシーンの言葉です。辛い思いをした後に、バチが当たったんだと言われたら、普通すごく頭にくると思うし、実際そのシーンで私も腹が立ちました。なのに和隆さんの考え方は冷静で、誰のことも責めず、大切な人を安心させる言葉をかけることができていて、尊敬しました。私は将来、看護師になりたいと思っていて、この作品を観て和隆さんの言葉を聴き、目標の看護師像が決まりました。いつでも冷静で、患者様を安心させられる和隆さんみたいな人柄の看護師になりたいです。
 映画の中で私が感動したシーンは、後半の和隆さんの「したいことリスト」の内容をしていくシーンです。上の子に一輪車を教え、下の子に将棋を教えて、生まれてくる子の名前を決める。これがこの子たちにとって、お父さんとの最後の楽しい思い出になるのかなと思ったら涙をこらえられませんでした。精神科医としても最後まで患者様との時間を大切にし、旦那さんとして自分も辛いのに思(奥?)さんのことを気にかけて弱みを見せず、お父さんとしても子ども3人に素敵なプレゼントを残し、人として尊敬しかない人だなと思いました。とてもかっこよかったです。

「やりたいこと」
(©2020 映画・心の傷を癒すということ製作委員会)

3年4組(男性)
 安克昌先生の実体験を映画向けにドラマを再編集したということで、随分見やすくなっていた。
 人の心を癒すという精神科の物語であり、時の流れとともに主人公もまた周囲の人間と成長していく。最初は、精神科という仕事の内容が分からなかった主人公であったが色々な経験を通して精神科医の仕事は「こうして人と一緒にいることや」という答えを導き出していく。この伏線回収にはとても感動した。
 また、主人公も心を癒されなければいけないということも映画のメッセージだと考える。心を癒す仕事を続けるためには主人公もまた、誰かに癒されなければならないのだ。人に支えられて精神科医を続けられるのである。
 実際に大災害が起きたら、私は周りの人のために何ができるのか、という疑問を持った。いつもの様に人を元気にさせ、誰かを笑わせることができるのか。もし本当に災害が起きたら自分も精神を病むかもしれない。そんなときは周りの人に頼りたい。そしてまた誰かのために頼られたいと考えた。
 もちろん災害が起きなくても人は互いに支え合うということが必要だ。普段の生活から親しい者同士、心のケアをすることが大事である。親しい者同士でないと理解し辛いこともあるからだ。そんなとき支えになるのが友達や先生である。
 この映画の一番大きなメッセージ、それは人と関わることで自分の心が形成され、自分もまた大きく前進できるということである。その心を形成するために主人公のような精神科医や周囲の人間がいるのだと考えた。人は生まれてから最期まで、数え切れぬ人と関わる。知らない内に人に支えられ、知らない内に人を支えている。そんな当たり前だけど大事なことに気づかされる。大事にしたくなる映画に出会えて私は本当によかった。

2年1組(女性)
 この作品は、親に反対されながらも精神科の道に進んだ主人公が多くの患者や阪神淡路大震災での被災者、家族と関わっていく中で、人の心を癒すことについて考えていく実話の話だ。
 私は今まで精神科医について全く知らなかったが、この映画を観て、人間の誰もが抱えている不安や恐怖を少しでも軽くしたり、気持ちを安心させたりするとても大切な仕事だということを知った。私は、人に相談された時に何か自分の考えを返さなければいけないと思ってしまって、いつも上手く答えることができないが、相談に乗るという事は答えを出さなくても、ただ、聞いてあげることも大切だということを知った。また、自分が被災者側の立場になったことはないが、だれかが自分の立場になって話を聞いてくれることがどのくらい大切で心強いのかということを知った。
 私が一番心に残ったシーンは、被災して体育館で過ごしている時に、「地震ごっこ」をしていたシーンだ。最初はなんでこんなことをするのか、思い出したくない人も多くて、不謹慎だと思っていた。しかし安先生の、子ども達も受け入れられなくてこういうことをしてしまっているということを聞いて、大人以上に子ども達の方が心の傷が大きいと思った。その後に、子ども達が遊べるように校庭を開放している地域の大人達の行動に心が温まったし、そういうことをすることでみんなの雰囲気が明るくなっていて、助け合いの大切さを感じた。
 この映画を通して、自分がつらい時、大変な時こそ助け合いや協力することの大切さを知った。これからの人生に生かしていこうと思う。

「傾聴」
(©2020 映画・心の傷を癒すということ製作委員会)

2年1組(女性)
 私はこの映画を観て、学んだり感じたりすることが出来た。今まで私は目立つには人の役に立つ、助ける仕事に就くことが普通だと思っていた。しかしこの主人公の方は影でも役に立つ仕事を両親の反対を打ち切って夢に向かっていた。精神科医という職業は聞いたことはあったけれど、詳しいことは知らなかった。誰かが苦しんでいる心にそっと寄り添っている、その姿にとても感動した。けれど、その中でも痛いことを言われたり突き放されることがあることも知れた。それでもこの仕事を、生涯を終えるまで突き進んだ安克昌さんをとても誇りに思った。また、安さんの奥さんからも学ぶことが多くあった。自身が妊娠していても家事や子どものお世話をかかさない。このような奥さんがいなければ、安克昌さんも偉大な人にはなれていないと感じた。そして、この作品には他にも阪神淡路大震災について語られていた。私が一番感動した場面は、少年が、「僕よりもっと辛い思いをしている人はたくさんいるから大丈夫」というセリフ。私自身だったらすぐに相談してしまうと思う。この少年の優しい心にとても感動した。他にも精神科医に頼りたくないと言っていた女性が最後に訪れてくる場面などから、精神科医は大きくは目立たない仕事かもしれないけれど、誰かの役に立っていること、心の傷を癒している、素晴らしい仕事だと思った。私は今、なりたい職業は考えているが、本当になれるのか、私に出来るのか、不安に思っている。けれどこの映画を観て、諦めなければ達成できるかもしれない、自分のやりたいことに誇りをもつという気持ちを大切にしながら、これからの進路に役立てたいと思った。

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