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1月21日伊丹市人権啓発センター「ふらっと」で上映会と講演会を行いました。

1月21日土曜日、伊丹市で本作の上映会が開催されました。またその後の講演会で、私を講師としてお招きいただきました。

案内チラシ

映画の後の講演会で約1時間、お話をさせて頂きました。講演時に使用した資料はこちらです。(一部、省略している部分があります。)






講演会ではこの資料に沿って、お話を進めましたが、1時間はあっという間で、メリハリをつけてうまくお話ができたかどうか、心許ない限りです。

ただ、約40名いらっしゃった会場のみなさん、まっすぐに私の方を見て、時には真剣な眼差しで、時には私のあまり面白くないジョークにも笑顔で反応してくださったり、その温かい雰囲気に本当に救われました。
当日、ご来場を頂きましたみなさま、そして上映会の運営にご尽力を賜りました、伊丹市立人権啓発センターのみなさま、兵庫県映画センターさんへ厚く御礼申し上げます。

伊丹市職員の方から頂いた名刺の挿絵。

さて、講演資料を作成しながら、改めて感じたことがありました。
それは世の中には様々な「生きづらさ」がある、ということでした。

在日コリアンとして日本社会で生まれた私たち兄弟は、ある種の「生きづらさ」を感じながら、育ちました。
また亡兄は精神科医としての臨床を通じて、「生きづらさ」を抱え、苦しんでいるたくさんの患者さんと出会いました。

そう考えながら、自身の身の回りの日常を見回し、また、遠く世界で起こっていることにも思いを致してみる時、本当に多種多様な「生きづらさ」に満ちていることに、気づかされます。
そして亡兄の著書のこれらの一節を思い起こしました。

だが、災害直後の『正常な反応』がいったん落ちついたように見えても、心の傷が解消したと言い切ることはできないのである。目立った症状はなくても、ある種の『生きづらさ』が持続していることがあるからである。それは心から楽しむことができない心境、社会との齟齬の感覚、孤立感といったものである。こうした苦痛は、精神科の『症状』としてはとらえにくく、『病気』として治療をうけられることは少ない。
〈心のケア〉の長期的な目標は、こうした『生きづらさ』をいかに和らげるかということにある。

新増補版「心の傷を癒すということ」P241

心的外傷から回復した人に、私は崇高ななにかを感じる。外傷体験によって失ったものはあまりに大きく、それを取り戻すことはできない。だが、それを乗り越えてさらに多くのものを成長させてゆく姿に接した時に、私は人間に対する感動と敬意の念を新たにする。
そして、回復に向けて懸命に生きる人を、敬意をもって受け入れる社会を作ることも〈心のケア〉の重大な意義ではないかと私は思う。

新増補版「心の傷を癒すということ」P246

世界は心的外傷で満ちている。“心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである。

新増補版「心の傷を癒すということ」P259

人は様々な「生きづらさ」を抱えている。それが時として自分ひとりの力ではどうにもならないくらいの困難さとなって立ちはだかることがある。そんな時、社会全体が理解と共感と敬意を持って、その人を包み込んでゆく。そのような社会こそ真の成熟した社会ではないだろうか。

そんなことを考えました。
そして改めて、自分ができることを精一杯、追求していこうと強く思いました。

最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。

映画「心の傷を癒すということ」製作委員会 安 成洋

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