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1月17日に思うこと~安克昌著「心の傷を癒すということ」の一節から

阪神淡路大震災から、今日(2022年1月17日)で27年が経ちました。
この震災でお亡くなりになられた全ての方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
また、今なお被災の傷跡に苦しむ多くの方々の心の平安をお祈り申し上げます。

約1年前に「心の傷を癒すということ・劇場版」の公開が始まりました。多くの反響が寄せられる中で、「見たい気持ちは募るのですが、映画をみることができるようになるまでは、まだ時間がかかりそうです」という内容のメールやお便りを多くの方からいただきました。
震災から四半世紀以上が過ぎた今、昨日のことのようにその記憶を抱きながら生きている方たちが、他にもたくさんいらっしゃるだろうということに思いを致すと、粛然とした気持ちになります。

亡兄・安克昌の著書「心の傷を癒すということ」の文章を引用しながら、そのことについて自分なりに考えてみようと思い、この文章を書くことにしました。先ず本書の引用から始めてみます。

「震災は、さまざまなかたちで大多数の住民を傷つけた。人は心の傷つきを、不眠、緊張、不安、恐怖などの心身の変化として体験した。それは『異常な状態における正常な反応』である。その後、時間とともにさまざまな心身の変化は自然に解消していくことも多い。PTSDとはこうした『正常な反応』が解消せず、症状が持続し、悪化した状態を指している。心の傷は癒えるどころか、ますますその人を苦しめ、生きづらくするのである。
だが、災害直後の『正常な反応』がいったん落ちついたように見えても、心の傷が解消したと言い切ることはできないのである。目立った症状はなくても、ある種の『生きづらさ』が持続していることがあるからである。それは心から楽しむことができない心境、社会との齟齬の感覚、孤立感といったものである。こうした苦痛は、精神科の『症状』としてはとらえにくく、『病気』として治療をうけられることは少ない。
〈心のケア〉の長期的な目標は、こうした『生きづらさ』をいかに和らげるかということにある。そして、心の傷による『生きづらさ』からの回復という点では、PTSDの治療も、一般的な〈心のケア〉の延長線上にあるといえるだろう。逆に、PTSDの治療から、一般的な心のケアについてのヒントも得られるはずである。」(新増補版「心の傷を癒すということ」P241より引用)

この文章は震災から約1年後に書かれています。街の復興と被災者の生活の再建が急速に進行している時期です。多くの被災者が徐々に平穏な日常を取り戻してゆく中で、どうしても事態を好転させる見通しが立たず、ある種の「膠着状態」の中で、リアルな生活の面でも心理的な状態においても、悩みを抱え苦闘している人たちが多く残されている状況に、現場の医師として日々接していたのだろうと思います。また、この時点で「長期的な目標」と記しているように、もし住居や収入など生活面での安定を取り戻した場合であっても、震災による心の傷はそのことによってのみ癒されるものではなく、「心のケア」はその後も長く継続して取り組んでいかなければならない課題であるという見通しを、かなりの確信と共に抱いていたのだということが推測できます。

そして上記の文章を書いた約三年後と推測される時期(震災から約四年後)に次のように書き記しました。

「震災後、マスコミによって、被災者の心の傷の重大さが注目され、それに対して、心のケアの重要性が叫ばれた。それは、日本の精神医学にとっても、今後の災害対策においても、エポックメーキングなことであった。物的被害だけでなく、精神的な打撃にまで、人々の関心が及ぶようになったことは、社会の成熟のあらわれといってよいだろう。
だが、心の傷や心のケアという言葉が一人歩きすることによって、『被災者の苦しみ=カウンセリング』という短絡的な図式がマスコミで見られるようにもなったと私は思う。その図式だけが残るとしたら、この大災害から学んだものはあまりにも貧しい。人生を襲った災害の苦しみを癒すために、精神医学的なテクニックでできることはほんとうにささやかなものでしかない。
ここで私が試みたことは、多くの被災者が感じていながら言葉にしにくい、被災体験の心理的な側面を明らかにすることだった。それは心の傷や苦しみだけではない。『なぜ他ならぬ私に震災が起こったのか』『なぜ私は生き残ったのか』『震災を生き延びた私はこの後どう生きるのか』という問いが、それぞれの被災者のなかに、解答の出ないまま、もやもやと渦巻いているのだ。この問いに関心を持たずして、心のケアなどありえないだろう。苦しみを癒すことよりも、それを理解することよりも前に、苦しみがそこにある、ということに、われわれは気づかなくてはならない。だが、この問いには声がない。それは発する場をもたない。それは隣人としてその人の傍らに佇んだとき、はじめて感じられるものなのだ。臨床の場とはまさにそのような場に他ならない。そばに佇み、耳を傾ける人がいて、はじめてその問いは語りうるものとして開かれてくる。これを私は『臨床の語り』と呼ぼう。
その意味で、私は、被災という『個人的な体験』に関心を持ち続けたいと考えている。」

最初に引用した文章と二番目に引用した文章において、「心のケア」に対して安克昌が向き合う心構えのようなものに明らかな変化があるように私には読み取れます。

彼が精神科医として、震災により心の傷を負った被災者と日々接してゆく中で、その接し方が深くなればなるほど、それぞれの被災者のが心の安らぎを得ることの困難さを痛感し、その苦渋を吐露しているように私にはこの文章が読めてしまうのです。現場の医師として、震災後、多くの「壁」にぶつかってきたのだろうと想像します。また同時に、被災者個々人によってその傷つきや思いも全く異なるものであるにもかかわらず、あたかもケガに絆創膏を張るように・風邪の時に頓服を飲むように、「心のケアにはカウンセリングが効く」といった様な、極めてテクニカルな議論に単純化・矮小化された言説の流布が一部のマスコミで行われていたことに、抑制的な表現ですが、異議申し立てをしています。この部分を読むと、私にはかつてよく彼が垣間見せた「怒気」が滲み出ている気がしてなりません。
そして苦しみ怒る彼が、ひとりの被災地の精神科医として、もがきながら辿り着いた地点、それは「隣人してその人の傍らに佇むこと」「耳を傾けること」「『個人的な体験』に関心を持ち続けること」という、「スタート地点」だったのではないか。私なりにそんな推論をしています。

先に引用した「PTSDの治療から、一般的な心のケアについてのヒントも得られるはずである」という、医師としての立場が色濃く反映された以前の問題意識が、その後、多くの被災者と接する中で、「精神科医である前にひとりの人間として、つらさ・苦しさを抱えている被災者と共に生き続ける」覚悟へと変化していったのではないか。私はそう感じています。その変化の中に「少しでも、わずかな時間でもつらさや苦しさから解放されて心の平安を取り戻してほしい」という、「祈り」「願い」の様な切実な思いを、私は感じます。

「映画みるにはまだ時間がかかりそうです」というご連絡を下さった方たちが、被災以降の何年もの間、私たちが想像できないようなつらさや苦しさと共に生きて来られた、ということ。
この作品をお届けする者の一人として、そのことを決して忘れてはならないのだと、今日、1月17日に改めて原作「心の傷を癒すということ」を紐解いて、改めて思いました。

最後に重ねまして、今なお被災の傷跡に苦しむ多くの方々の心の平安をお祈り申し上げます。

2022年1月17日

映画・心の傷を癒すということ製作委員会 安成洋

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