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3.11に思うこと~「二人の兄と二つの大震災」~

映画「心の傷を癒すということ」製作委員会の安成洋です。

本日で、東日本大震災・福島原発事故から11年目となります。震災でお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。そして被災された全ての方々に心よりお見舞いを申し上げます。

本作のモデルである安克昌の実兄、安俊弘は原子力工学者として、福島原発事故後、その関連の多くの発信を続け、行動しました。それは2016年6月19日に亡くなる直前まで続きました。

弟として、私はそのことを書き留めておきたいと思い、新増補版「心の傷を癒すということ」(作品社 2020年)に「二人の兄と二つの大震災」という タイトルで寄稿しました。今日はその一部をご紹介させて頂こうと思います。(太字の部分が俊弘の著述からの引用となります)

二〇一一年三月一一日、東日本大震災が起こり、福島原発事故が発生した直後から、俊弘はアメリカにいながら、その対応で多忙をきわめた様子が、以下から読み取れる。
「米国西海岸の今年3月10日、木曜日の夜、日本時間では11日の午後になりますが、私はNHK国際放送のテレビ・ニュースを見ていました。そこに地震発生の速報が入りました。(……)各地の原子力発電所は緊急停止と伝えられましたが、福島第一原子力発電所では容易ならざる状態であることを示す続報がその後伝えられ始めました。ほとんど夜通し情報を追って過ごし、翌朝(3月11日金曜日)大学に出勤してみると、すでに留守番電話にはメッセージがオーバーフローしており、ほどなく地元のテレビ局が押し寄せてきました。その後の4週間はおよそ名前を知っている世界中のメディアが、日本のメディアを除いて、接触してきました。」
(安俊弘「公益と工学」、●GoNERIシンポジウム2011「東京電力福島第一原子力発電所事故を踏まえ原子力教育研究を再考する」特別講演より)
「3.11」以降、約五年間で、日米往復回数は五〇回を超える。俊弘は、原子力工学の専門家としてどのような活動をしたのか。「脱原発を求める声が日本の国民の8割近くに上る。それを具体化するのが専門家の役割だ。」(「地球人間模様 164」より)として、いわゆる「原発出口戦略」を唱え、発言し執筆し行動した。いわゆる「原子力ムラ」出身の研究者としては異例のことだった。少し長くなるが、論文の一部を引用したい(「原子力発電“出口戦略”構築のすすめ」、『科学』誌、二〇一二年六月号、岩波書店)
「そもそも工学とは、人々の暮らしをより良くゆたかにすることを目標としている。社会の一歩先を見て、まだ見ぬものに形を与え、人々に選択肢を用意する。(……)現代の日本のような民主主義社会において国民の支持しないものは淘汰される。もし、国民の求めることに抗ってでもやらねばならないことがあるとしたら、その必要性を訴えて結果責任を背負って決断するのは政治家の仕事であって、エンジニアの仕事ではない。しかし、日本においては、少なくとも現在の再稼働問題が起きるまでは政治家がそれを行うことはほとんどなく、エンジニアが主体の原子力コミュニティが引き受けてきた。
国民の望むことを実現する方法はひとつではないので、エンジニアは複数の選択肢を提案し、普通そこから技術開発競争がおきる。(……)しかし、再処理・高速炉路線という原子力の中でもひとつの選択肢にすぎないものが、国策となった後は、ほとんど唯一のものとして扱われ、その他の技術の可能性と公平に比較されることはなくなった。政治家が役割を果たさない中で、原子力コミュニティは自分でその自由度と競争を制限し、煮詰まってしまっていった。
(……)
これまでの原子力開発では、国民の過半数が支持しているという統計はあったものの、国民の積極的な支持ではなかった。しかし、事故後の状況において刮目すべき変化が現れている。すなわち、80%もの国民がいわゆる「脱原発」を望んでいる。このような高い率で国民の意見が一致している状況は、原子力に限らず稀有なことである。さらに、上述のように事故後の国民の真剣な模索と議論から出てきた強い意思表示であると見るべきである。もし、これまでの原子力開発の失敗の根本原因が国民の意思からの乖離にあったとするならば、国民の求めることを実現するための方策を開発することを中心においてみたらどうなるかと考えるのが、教訓に学ぶということであろうし、それはエンジニアの自然な行動である。これはいわば原子力開発の従来の「公理系」から新たな「公理系」への移行である。新たな公理系における基本公理は、「国民の求めていることを実現すべく技術を構築する」ということである。
(……)
従来の公理系の基本公理は何だったのだろうと改めて考える。(……)問題の把握から定式化、「最適」な解決策の導出に至るまでを原子力コミュニティ内部で行い、最適解の策定後はそれを説明し理解・受容させる対象として国民を捉えていることを示している。そこで、従来の基本公理を新たな基本公理と対応する形で書くとすれば、「原子力コミュニティが策定した最適解を実現すべく技術を構築する」ということになる。これにもとづけば、国民の示す方向性が最適解に沿わないものである場合、それは「間違っている」とされ「国民の誤解」を解くための教育あるいは広報が展開される、というこれまでの原子力コミュニティの行動がよく理解できる。新公理系に対してよく聞かれる「国民の望むことを実現すると言っても国民が間違っていたらどうするのか」という反問は、反問者が従来の公理系の枠内で考えていることを如実に示している。(……)新たな公理系にもとづけば「脱原発」実現の方策を構築することになる。」

大学生の時から数えれば、三〇年以上も苦楽をともにした仲間であり、ある意味、家族以上の存在でもある「原子力コミュニティ」を批判の俎上に載せる苦渋の思い。しかし同時に「どうしても科学技術者として言っておかなければならない」という使命感。この二つが滲み出ている文章になっている。おそらく「身を削るような思いで」この論文を上梓したのだろう。俊弘の覚悟のほどが伝わる。(新増補版「心の傷を癒すということ」P467~470)
「ある人は、原発の運転を止めればそれで達成したと考えるかもしれない。また、別の人は、原発のあった場所が更地に戻るまでを含めるかもしれない。実際、そのどちらも脱原発と呼べるだろう。もっと精密に考えれば、これら2つの他にも多くの異なる状態を「脱原発」状態とすることが可能である。したがって、専門家チームには、いまの原子力発電を主要電源のひとつとしている状況からどうすれば脱することができるのか、そこに至るまでのコストとリスクはどれほどか、それらを整理していくつかの比較可能な具体的な戦略プランを作成し、国民の議論に供することが求められている。また、その過程では、国民の要望、特に負の影響を受けると思われる利害関係者の声を注意深く聞き取る作業も必要であり、これらは繰り返して行われなければならない。そこでこれらの一連の作業を「出口戦略」と称することにする。」(前掲書P471)

改めて文章を読み返し、「脱原発戦略の具体化」「全国民的な議論と合意形成」の実現に向けての、専門家としての並々ならぬ強い決意を感じ取りました。そしてこの決意の精神的な支柱となったのが、弟・克昌の阪神淡路大震災での「生きざま」でした。(そのことについて拙文で書かせて頂きました。ご関心のある方は、是非とも新増補版「心の傷を癒すということ」をご一読頂けましたら幸いです。)

今日この日に、二人の兄のことを考えてみて二人に通底するところはなんだろうかと考えてみました。

俊弘の言葉では「工学とは、人々の暮らしをより良くゆたかにすることを目標としている。社会の一歩先を見て、まだ見ぬものに形を与え、人々に選択肢を用意する。」となり、克昌の言葉では「苦しみを癒すことよりも、それを理解することよりも前に、苦しみがそこにある。ということに、われわれは気付かなくてはならない。だが、この問いには声がない。それは発する場をもたない。それは隣人としてその人の傍らに佇んだとき、はじめて感じられるものなのだ。臨床の場とはまさにそのような場に他ならない。そばに佇み、耳を傾ける人がいて、はじめてその問いは語りうるものとして開かれてくる。これを私は『臨床の語り』と呼ぼう。」(新増補版「心の傷を癒すということ」P324)と語られている、自身のそれぞれの専門性の根底には「ひとりひとりの人間という存在」を大切にしたいという強い思いや願いが貫かれているのではないかと改めて思いました。

今、世界は未曾有の「人道と人権の危機」に瀕しています。二人の兄の「専門家としての底流にあるもの」を改めて辿りながら、「自分自身がこの時代にできることは何か」を丁寧に考え、かつスピーディーに行動することの大切さを痛感しています。

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