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creer des Liens~繋ぐ命の絆~ karte01

懐かしい声で名を呼ばれたような気がした。

「ねぇ…今運ばれてきた重傷者…ヒメのお姉さんじゃない?」

同僚の声にヒメキは「えっ?」と顔を上げる。慌ただしい雰囲気で一人の翼人がストレッチャーに乗せられて現地派遣救急キャンプのテントに運び込まれてきた。

厳格で生真面目な性格を表しているかのような真っ赤な着衣。胸部と肩を守っていたプレートアーマーが破壊され、原型を留めていない。金糸のような美しい髪は乱れ血に塗れていた。その人物は意識がないのかぐったりしている。それでも見間違えるはずがない。ヒメキの、今ではもうこの世でたった一人しかいない肉親。

「タマナ姉さん!!?」

ヒメキは弾かれたように走り出し、姉の横たわるストレッチャーに駆け寄った。

「姉さん!ねぇ聞こえる?!姉さん!」呼び掛けても反応がない。

「脈…脈拍、を…!」

触れた姉の手は血の気を失い思ったよりも冷たかった。
ヒメキの手が地震計のように震えている。
橈骨動脈に触れているはずなのに鼓動が分からない。
違う待って。気道の確保と脈拍の確認、どちらが先だったっけ?
気道が先じゃなかった?
タマナは頭を負傷しているのか、頭部から出血し額から頬を伝い、自身の赤い衣服を赤黒く染めてさらに地面に血だまりを作ってゆく。
止血をしようとしたのかガーゼを当てがわれ、包帯も巻かれているがほとんど意味を成していない。
あんなにたくさん実習で練習したのに、基本の脈の取り方すら思い出せないほど動揺している。
救急救命士になったのは討伐ギルドで戦う姉を支えるためなのに、どうして自分の手はこんなに震えているの?
姉の美しい金髪がどんどん鮮血色に変わっていくのを目の当たりにし、背筋がぞっと戦慄いた。

頭皮は体の皮膚のうちで最も血管が多いので、ちょっとした傷でも出血する。顔や服に血が垂れると大出血のように見えるが致命的な大出血は稀だと学校で習ったがこれは…この出血の量は尋常ではない。人体には約4~5L(体重のおよそ8%)の血液があり、出血によって1L以上の血液が失われると生命に危険が及ぶ。ヒメキの色違いの両の瞳から大粒の涙が零れた。

「嫌だ…嫌だぁ…!姉さん…ねぇさん…!」
「貴女、もういいわ下がって!邪魔よ!」

年上の女性救命士がヒメキをタマナから引きはがす。ヒメキの桃色の看護帽とは違う、澄んだ水色の看護帽。『特級救命士』だ。

「誰か!この子を下がらせて!怪我人は負傷してからどれくらい時間が経ってる?!」
「4時間半ほどです!討伐中に魔物に投げ飛ばされて岩で頭部を強打。裂傷からの出血と脳震盪を起こして休んでいたようですが、数分ほど前に出血がひどくなり意識を失ったとのことです!」
「ガーゼと止血帯を急いで!あと緊急搬送艇を回してもらって!」
「病院に連絡して断層撮影室確保して!10分、いや7分で到着させるよ!」

「硬膜外血腫」。

怒号のように飛び交う情報に、ヒメキの頭にある単語がよぎった。
頭蓋骨の下には髄膜の一種の硬膜がありその表面の動脈が骨折に伴い損傷を受け出血を生じることがあり、脳そのものには損傷が無いため一時的に脳振盪を起こすことはあっても意識障害はすぐには現れない。
しかし、時間とともに出血量が増えると血腫により脳が圧迫され意識が悪くなったり麻痺を生じたりすることがある。
その目安がだいたい6時間程度で、緊急に血腫をとる手術が必要になる。これが「硬膜外血腫」だ。血腫の量が少ない場合や多すぎてすでに脳幹反応が消失している場合は原則として保存的治療を行うが、後者の場合は救命そのものが難しくなる。
タマナはすでに開眼反応・言語反応・運動反応もなく、重症のうちでも最も危険なレベルだった。

「さぁ君、ここはみんなに任せて行こう」
「いやだ!!おねぇちゃん!おねぇちゃん!!!いやぁぁあ!!!」

長身の男性救命士が半狂乱で泣き叫ぶヒメキを羽交い絞めにして、ぴくりとも動かないタマナから遠ざける。そのヒメキと入れ替わりで別の特級救命士がタマナに付いた。

いなくなる。大切な家族が、またいなくなってしまう…!

「やめて!!お姉ちゃんに触らないで!!私が、私がお姉ちゃんを助けるの!!
いやだ…いやだ…いやだ!!!!
離して…離してえぇえ!!!!!」

声帯が引き裂かれそうな己の絶叫で目が覚めた。

部屋の東にある窓辺のカーテンの隙間から朝陽が差し込む。朝の冷たい、だがどこか心地いい風が優しく頬を撫でる。見慣れた天井に、感じ慣れたいつもの風景。

呼吸が荒い。ヒメキはようやく大きく深呼吸をして身を起こし、汗で張り付いた前髪をゆっくりと払った。
今日で二回目だ。
数日前に見た夢では両親の死に際に立ち会った。
両親は幼少期に亡くなっているはずなのに、成長した自分の目の前で魔物に襲われ、夢の中の姉と同じように医療ギルドのテントに運ばれ、自分は成す術もなく泣きながら別の医療スタッフに引き離されてしまうというなんとも情けない、そして縁起でもない夢。

再び大きく嘆息する。
念願の救急救命士の資格を取って半年。
先月自分は16歳になった。
頑固で心配性の姉を説得し、故郷の第三天空都市から職場のある第一天空都市に単独で引っ越して3ヶ月、ようやく今の一人暮らしに慣れてきたと思ったのに。
もう一度鉛のような溜め息を吐き出しそうになって、慌てて息を飲む。意識を切り替えなくては。今日も出勤なのだ。

夏も終わりに差し掛かり、そろそろ短パンTシャツのルームウェアでは肌寒く感じる。
ぐっと背をそらし伸びをして羽を広げる。
人よりやや小振りの羽の羽先が、少し寝ぐせでハネている。
片手でパッパッと払い羽繕いするとあっさり他の羽となじんだ。
大好きなリーフ柄のピンク色のカーテンを開け、眩しい朝陽を全身で受け止める。
深呼吸をすると、細胞の隅々まで太陽光が包んでくれるような、そんな感覚に包まれる。

ヒメキの借りているアパートは、外見はやや古いレンガ造りの女性専用のアパートだ。
引っ越し先を決める時、姉のタマナが頑として譲らず、セキュリティのしっかりした女性専用のアパートに入ることにしたのだ。
職場である第一天空都市で一番大きな消防署からは遠いが、古い外観からは想像もできないような最新セキュリティを備えており、モニター付きインターホン・共有部に防犯カメラと警報器あり・オートロック完備・玄関や窓がダブルロック・玄関の鍵はウェーブキーと、まるで城塞だ。
またヒメキ自身が救急救命士国家試験を必修・通常問題ともに97%以上の高得点で合格し、さらに研修期間での実技の技能の高さから消防署指名の誘致だったこともあり、正規の家賃の3割程度で入居することができた。

「へへへっ…助かるなぁ。貯金も思ったより残ったし、今度お姉ちゃんとスイパラに行こうかな」

独りごちながらヒメキはくるりと後ろを振り返る。

「ねっ、お父さん、お母さん」

振り返った先には愛用のチェストがあり、その上に大きめのフォトフレームと隣にやや小ぶりのフォトフレームが飾られていた。
ヒメキはゆっくりとチェストに歩み寄りフォトフレームを手に取る。
「…おはよう。お父さん、お母さん…そして…お姉ちゃん」

大き目のフォトフレームには在りし日の両親と、まだあどけなささえ残っている姉と幼すぎる自分。
もう片方のフォトフレームには引っ越す前に撮った姉との写真だ。
両親も姉も、とても優しく穏やかな微笑みを浮かべている。
ヒメキたちの両親は調査ギルドに所属していたが、遺跡の調査中に魔物に襲われ両名ともに他界しており、姉のタマナと二人で生きてきた。
いわばタマナは姉であり、母であり父でもある。
幼かった自分に両親の記憶は少ない。
それでも寂しいと思ったことはなかった。
タマナはどんな時でも傍にいてくれたし、時に厳しく、時に優しく、惜しみなく愛情を注いで自分を育ててくれた。
そんなタマナは故郷の第三天空都市の討伐ギルドに所属し、日々奮闘している。そんな姉を支えたくてヒメキは医療ギルドに入ることを選んだ。
そして故郷の第三天空都市ではなく中央の第一天空都市の医療ギルドに従事するには理由があった。最新の設備や管理体制が整っているからだ。
それに同じ第三天空都市でなくとも志願すれば編成部隊に参入することもできる。
前線で戦う姉を、ヒメキはどうしても支えたいと思ったのだ。
それはタマナの鋼鉄の両翼にある。
両親が地上で襲われた際、幼かった自分が無理を言って調査に同行させてもらったのだが、魔物に襲われ、自分を庇ったタマナの両翼は無惨に引きちぎられ、半分以上が機械仕掛けと化している。
美しかった姉の翼が無機質な銀色に変わってしまったとき、悲しくて仕方なかった。太陽の光を浴びて純白にも、虹色に近い白銀にも輝く美しい翼だったのに。
フォトフレームの中で微笑む、まだ自分の翼があった頃のタマナを見つめ、ヒメキは胸の奥がツンと痛くなった。
姉の将来を、自分が奪ってしまったのだ。
そう告白した時、タマナは一瞬怒りとも哀しみとも取れない表情でヒメキを見つめていた。姉のその表情を見た瞬間、ヒメキは言ってはいけない事を言ってしまったのだと悟った。
叱られる。
そう思った次の瞬間、姉は自分を正面から抱きしめてくれた。
「馬鹿だな」と小さく呟きながら。
「翼なんて安い。私は私の家族を守れたのだから」と。
その日から、ヒメキは姉に依存しがちだった自分と決別しようと決めたのだ。
→karte02に続く。

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