13選挙へ行こう!-古代〜近代の政治体制について-

 今回は、選挙が近いので、古代〜近代における政治体制について投稿します。今の政治体制が出来上がるまでに、どんなことがあったのか知っていただくことで、選挙に行くきっかけになればいいなと思います。


 どの時代にも、自分や自分の家柄、血統に優位になるような政治体制を行う指導者がいました。一方で、世の中をよくするために法律や制度をつくり、家臣や一般市民から信頼される指導者もいました。そして、誰からも信頼される指導者が政治を行っていたとき、平和な時代が長く続いていました。皇室、朝廷、武家政権などさまざまな統治とうじ形態を繰り返しながら、現在のような議院内閣制、象徴天皇制である日本になったわけです。

 【古代:古墳時代〜平安時代の頃】
 3世紀後半に近畿地方の有力な豪族が支える大和政権が誕生し、主に親政、つまり天皇による政治体制が執られていましたが、平安時代に入ると、力を持った貴族、藤原氏による摂関政治の体制になったり、上皇が政治を行う院政になったりと、天皇の血統を持たない者も政治に加わるようになりました。

 【中世:鎌倉時代〜室町時代の頃】
 武家政権の時代です。1167年平清盛が太政大臣になり、武家政権を開きました。この時、政治形態としては初めて武家政治が行われるようになりましたが、自分の思うままに政治を動かしていたため、不満を持つものが増えていました。そこで、鎌倉を本拠地として関東地方を支配した源頼朝は、弟の源義経を送り、壇ノ浦で平氏を滅ぼさせました。
 その後、頼朝は国ごとに守護を、荘園や公領ごとに地頭をおくことを認めさせ、鎌倉幕府を開きました。ここから約140年間もの間、鎌倉時代が続きます。源頼朝は1192年に征夷大将軍に任命されると、将軍と武士の主従関係、御恩と奉公や、御家人を統率するため侍所を設置し、ほかにも裁判を扱う問注所と財政を扱う政所も設けました。1333年に鎌倉幕府は後醍醐天皇によって滅ぼされます。すなわち、天皇が政治を行う親政に戻ったわけです。
 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇は天皇中心の政治、建武の新政をはじめますが、公家重視の政策を続けたため、武士たちの不満が高まり、足利尊氏による武家政治復活の呼びかけで、兵をあげると2年ほどで崩れました。
 
 【近世:安土桃山時代〜江戸時代】
 武家政治による政治的体制でしたが、実力のある者が上の身分の者に打ち勝つといった下克上の風潮が広がり、戦国時代という波乱な世代でもありました。各地に戦国大名が登場し、独自の分国法を定めて新しい政治を行いました。各地の戦国大名は、領土を広げるため、争いをくり返しましたが、徳川家康は関ヶ原の戦いと、2度の大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、波乱の戦国時代に終止符を打ちました。そして、都を江戸に移して江戸幕府を開き、現代の東京の基礎を築きました。江戸時代は、征夷大将軍徳川氏を中心とした、武士階級が支配する封建社会で、江戸幕府による武家政治・幕藩体制が置かれるようになります。江戸時代は約260年も続きました。
 
 【近代:明治維新以降】
 1868年(明治元年)、江戸幕府に代わって、新しい政府が誕生しました。戦などで誰も血を流すことなく、新しい時代を迎えたのは、江戸から明治になる時がはじめてでした。新政府は、各県に県知事を任命し、地方制度を見直しました。また、天皇や皇族以外の人々を平等にするため、身分制度を廃止し民衆も名字を名乗り、住む場所や職業、結婚も自由にできるようになりました。
 終戦後1945年〜1952年は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による占領行政の政治形態となり、非軍事化と同時に民主化を進めました。治安維持法が廃止され、政治活動や言論の自由を保証し、選挙権を満25歳の男子から、満20歳の男女に与えました。また、GHQが民主化を進めるには、憲法の改正が必要だったため、GHQの提示した草案を日本政府は受け入れ、新たな改正案を作成しました。そして1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法が公布され、翌1947年(昭和22年)5月3日から施行されました。新しい憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つを基本原理とし、天皇は国民の象徴となりました。国権の最高機関は国会となり、内閣が国会に責任を負う議院内閣制が取り入れられました。新憲法の制定に伴い、地方自治法や教育基本法、民法も改正されました。

 【まとめ】
 以上のことをまとめると、古代では主に天皇が自ら政治を行う政治体制でしたが、力を持った貴族、藤原氏による摂関政治での体制、上皇が政治を行う院政などが混ざり合い、天皇の血統を持たない者も政治に加わるようになりました。
 中世では武家政治による政治体制が主流で、後醍醐天皇の時に政治の実権を朝廷に戻し、親政体制で行われたこともありましたが、2年ほどで武家政治に戻りました。
 近世では武家政治による政治体制でした。実力のある者が上の身分の者に打ち勝つといった下克上の風潮が広がり、戦国時代という波乱な世代でもありましたが、徳川氏が指導者となり、東京の基礎を築き、そのバトンを引き継いだ近代では、明治政府が直接支配する中央集権体制となります。また、戦後GHQによる占領行政などの政治形態を経て、日本国政府による議院内閣制を定めた新憲法のもと政治を行なう、議員内閣制、象徴天皇制となりました。

 冒頭で述べた通り、平氏や後醍醐天皇のように自分の意のままに行う政治は、最初はうまくいったとしても、だんだんと不満をもつものが増え、その政治体制は長くは続きませんでした。一方で、源頼朝や徳川家康のように、自分の名誉や地位のためではなく、日本をよくするための政策や指針を作った指導者が行う、政治体制では平和な時代が長く続きました。特に、徳川氏による武家政治は戦ななどで誰一人血を流すことなく、次の時代へとバトンを繋ぎました。
 後継争いや権力争いなどを経てできた今日の政治体制。3日後、7月10日には参議院議員通常選挙も控えています。日本のため、いえ、今やグローバルな視点をもち、持続可能な社会実現のために掲げた政策を実行する行動力のある候補者を選んで、選挙に臨みましょう!

 長くなりましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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