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こころのかくれんぼ 2      【症状の特性】

さて。何から書いていこう

「わたし、note始めてみようと思う」

周囲の人達に伝えたその反応は、驚くほどに全てが肯定的だった。
誰一人として「え、やめなよ」と言う人はいなかった。
本当にありがたい。

自分の内面も外面も、外に向けて伝える事が怖くないと言ったら嘘になる。
だけど、例え不特定多数の人々にどのような目で見られたとしても、どのような受け止め方をされたとしても、静かに見守ってくれている大切な人達がいると思えるだけで、前を向いて立つことが出来る力になる。
沢山の大好きな人に支えられていることに、深い感謝しかない。

さて、始めたはいいけれど。
どのように進めていこうかな。
数十年間、こころの中に留めてきた想いは沢山あるけれど・・・
いきなりぶちまけても、それは何だかおとなげない・・・

よし。
まずは、あまりメジャーとは言えないこの病がどのような個性を持っているのか、そこからお伝えしていこう。
その症状に際して感じている私のコメントも、少し添えながら。
あぁ、長くなりそうな気配がする。
2回に分けて、投稿していきます。


レックリングハウゼン(神経線維腫症Ⅰ型)の症状特性 

神経線維腫症1型
NF1遺伝子の変化が原因と考えられている。
遺伝子とは、親から子に伝えられる体の設計図のようなものであり、
NF1遺伝子はニューロフィブロミンというたんぱく質を作るための設計図

ニューロフィブロミンの機能は大きく分けて2つ。
・1つ目は、皮膚の色素を作る細胞や神経、顔の骨など、体の様々な部位がきちんと作られるように細胞の変化を調整すること。
・2つ目は、細胞の数が増えすぎないよう適切な量に調整すること。

結果として、細胞の変化や数の調整がうまくできなくなり、体に様々な症状が生じていくのがこの病の特徴である。

発症確立は、3000人にひとり。
現在、日本国内での患者数はおよそ4万人。
私はまだ、普段の生活の中で同病の方にお会いしたことはありません。
みなさんの周りには、いらっしゃいますか?

両親のどちらかのNF1遺伝子に変化があれば、子どもには50%の確率で遺伝するものです。ですが、患者さんの半数以上は両親のNF1遺伝子に変化がなく、子どものNF1遺伝子が偶然変化することで発症すると言われています。私は、後者の「孤発性」と呼ばれるものです。

細胞達は、各々が必要な場所でその役割を一定期間果たしたら消えていきます。そしてまた、新たな細胞がうまれていくのです。
あるべきものがあるべきように、生と死の巡りを繰り返しながら、私達のからだの形を作ってくれています。それが上手に作られなかったり、作ったものを消すことが出来ず、ひたすら作り続けてしまったり・・・。
そうイメージして下さると、わかりやすいかもしれません。

カフェ・オ・レ斑
淡いミルクコーヒー色~濃い褐色のしみ・あざ。
(全身に6個以上みられることが診断基準のひとつ)
・平らで丸みを帯びた滑らかな輪郭のだ円形のものが多い。
・多くは出生時、遅くても2歳までには発現する。

私も、生後10か月頃にすっぽんぽんで満面の笑みで映っている写真に、カフェオレ斑が登場しています。
右胸の下。ハートのような形の、ちょっと可愛いあざ。
このままトレードマークとして留まってくれる…わけにはいかず。
今ではほぼ全身に、このカフェオレ斑は広がっています。
もともとの肌色は白い方なのですが、今は殆ど素肌は残っていなくて。
「シミひとつない美白」の化粧品の広告を見る度に、あまりに自分と縁遠すぎて勝手に劣等感に襲われていたけれど、最近はデパートのカウンターで相談できるまでに強くなりました。結構楽しいです。その話は、また。

神経線維腫(しんけいせんいしゅ)
皮膚や体の内部、神経に沿ってできる良性の腫瘍。
(神経を包んでいる細胞が、無秩序に増えるために発生する)
殆どは命にかかわらない良性だが、大きなものはまれに悪性化することも。

・皮膚の神経線維腫は、思春期以降に約95%に発現する。
数や大きさによっては手術で切除することも必要。
・叢状神経線維腫(そうじょうしんけいせんいしゅ)は、体の内部にできた神経線維腫が大きなかたまりとなり、体の表面が盛り上がるなどの症状が起こるもの。
・神経に出来るものや、液体をこぼしたように広がっていくびまん性神経線維腫と言うものもある。

そうです。病名にもなっている、この特徴的な神経線維腫。
この出現の仕方は本当に人それぞれで、大きく垂れ下がるほど成長する事もあれば、米粒大ほどのものが、無数に全身を覆うようなものもあります。
私は、思春期以降から増え始めました。手術も3度経験しています。
お腹、背中、胸、首元、腕、てのひら、顔・・・少しずつ広がっています。

何故かひとめに付きにくい部分から発症し、徐々に服では隠せない場所へと広がってくれたのが不思議。新たに腫瘍を見つけるその度に、病と生きていく覚悟を試されているような気分でした。受け入れた!と思ったその矢先に、更に変わった自分の姿をまた受け入れなくてはならなくて。
ずっとその繰り返し。

治らなくてもいい。せめて進行が留まってくれたら・・・叶うわけないのに、そう願いながら過ごしていました。さぁどうするの?いつまで隠し続けるつもり?この身体で生まれた事を今世で活かそうとは思わないの?と、問われ続けているような感覚でもありました。
だから今、こうして素直に心の内を書けている状況に、少しだけほっとしている自分がいます。

さて、続きはまた次回・・・。



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