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母の味の思い出

相方がコロナになり、家の事ができないので久しぶりにお母さんにごはんを作ってもらったそうです。
「油たっぷり、野菜少なめ、味付け濃い目な焼きそばと、白飯。あー久しぶりにウチの味を食べたなーって思ったよ」
電話口でそう言う彼女は呆れながらもどこか嬉しそうな声でした。
わかる、わかるよ。どんなんでも母の味って嬉しいよね。自分が弱っている時はなおさらね。

私の母はもうずいぶん昔に亡くなったのだけど、病気の手術の後遺症で片手片足に麻痺がありました。そうなったのは私が中学生の頃です。
そうなる前からウチの料理はとてもバリエーションが少なかった。曜日ごとに決まったものが出てくるタイプの家庭だったんです。
私が赤ん坊の時からずっと病気をしていたので、お母さんは家事のタスクをなるべく減らしたかったんだろうなという事が今はわかるのだけど、子ども心には不満でした。
母の身体が不自由になったのをきっかけに、我が家の料理担当メインは私になりました。

私は身体が丈夫なことが取り柄で、コロナどころか風邪もめったに引かないんだけど、10年に一度くらいは寝込むこともあります。
直近の記憶では高校生の頃、修学旅行から帰ってから疲れが溜まったのか、39℃の高熱で学校を2日ほど休んだ事がありました。
その時、都合悪くきょうだいは私と入れ替わりで修学旅行。家の事や母の世話は父に頼んでひたすら自室で寝ていました。
二日目の朝、さすがに空腹で辛くて寝ていられなくなったので、コンビニでも行くかとふらふら起き上がったら、

「ひなちゃん。ごはん作ってあるから、食べな」

キッチンに立つ母が、振り返ってそう言いました。車椅子だから正確には「立って」はいなかったけど。
キッチンにいる母を見たのが実に3年ぶりでした。それだけで込み上げるものがあった。
目玉焼きときゅうりの塩もみと白飯と味のり。今日は何曜日だと見ただけでわかる、シンプルなお母さんのごはん。
目玉焼きはちょっと端が焦げているしきゅうりの薄さはまちまち。そんなところも記憶に残るままで。
泣きながら食べて寝て、また起きたら私の熱はすっかり下がっていました。

それが私が母のごはんを食べた最後になりました。というか、母が人にごはんを作った最後だった。きょうだいや父は食べていない。私だけの特別な味。

お母さんより自分が作る方が色んなものが食べられるし、美味しい。
家の事情は少し違うけど我が家と相方の家はそこは通じるものがあります。
でもお母さんにごはんを作ってもらうという事自体が特別で、嬉しくて、美味しくはないけどおいしい。
お母さんのごはんとはそういうものだったなぁ、と久しぶりに思い出しました。

幸い、相方のコロナは軽くて済んだようで順調に回復し、お母さんにもうつらなかったとの事。
また仕事に家事に精を出しています。でもまた、たまにはお母さんにごはんを作ってもらったらいいんじゃないかな。後から思い返す時、思い出はたくさんあった方が嬉しいもの。


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