【詩】OCD患者の苦悩と家族の重要性



素晴らしい詩を知ったので、ご紹介します。
OCDの患者の苦悩と、その家族が、回復にどれだけ重要な役割を担えるかが感じられる詩です。


Cherry Pedrickさんという方が書かれた詩で、英語の原著と思われるのは以下のリンクですので、英語が得意な方は原典も味わって頂ければと思います。
http://www.cherrypedrick.com/poetry.html


ふぅ。こんなん訳すのも3時間ぐらいかかるなぁ。英語ムズイ。




私はCrazy じゃない By Cherry Pedrick


私はクレイジーじゃない。ホントなんだ。
私は時々奇妙な行動をしてるってわかってる。
私はいっぱい質問しすぎてるってわかってる。
私はドアのカギをしたってわかってるし、あなたは私がカギがかかっているのを確認しに車で戻ってくるのを見てたのをしってる。。。。
でも、それは私はクレイジーじゃない。


彼女の手は赤くただれちゃってる。
彼女は手を膝の中や背中の後ろに隠す。
しかし、彼女は本当にきれいであるかどうか不思議です。
「私はドアノブに触っちゃった。手で直接じゃなくて、もちろん、袖ごしに触ったんだけど、こんどはその袖に私、触っちゃった。」
彼女は再び手を洗わないといけない。
でも、彼女はクレイジーじゃない。

中略


彼女はドアを開けて入った。でも、うまくできなかった。
ドアを開けて入っての繰り返しが8回目であることをわかってる。
"それでも、もう一度、私はそれをうまくやらなければならない!"
彼女がうまくやらなければ、彼女の母親に何か良くないことが起こるかもしれない。
それでも、彼女はクレイジーじゃない。

中略


私たちは狂っているんじゃない。
私たちはこれらの行動や思考がフツーじゃないことを知ってるし、
不合理であると思っている。しかし、私たちはとにかくそれをしてしまう。


「狂った」人々は、彼らが非合理的な行動をしていることを知っていますか?
いいえ、彼らは彼らの奇妙さを知らずに行動してるでしょ。
彼らは他人の目を気にしたり、ヒソヒソ話を気にかけたりしない、
彼らは子供たちに笑われることも気にしない。
彼らは家族の心配した顔も気にしない。

ああ、気にしないって、なんて羨ましい。
確認を止めること。手を洗うのを止めること。溜め込みを止めること。儀式を止めること。これらを望まずにいられるなんて、なんて羨ましい。


しかしもちろん、私たちはやめたいと思っています。私たちはあなたのような "フツー"になりたいです。
私たちは、こんな苦しみが無い日々を夢見ています。


私は玄関の鍵をしたかなんて心配しないで、家を出発する。
それでいて、ドア開けて入るのは一回きり。
彼の家はきれいになって、彼女の手はすっかり治っている。
私の頭の中は心配や恐怖でいっぱいになったりしない。

それは、けっして夢ではないんだ。



治療、投薬、祈り、できることは全てやって、私の夢は実現しました。
まだ、私はすこし奇妙な行動をしたり、時々心配になったりしてます。
でも、みんな、そんなことはあるでしょ?


私は今でも、ヒソヒソ話をされたこと、変人をみるような目で見られた嫌な記憶が残ってる。
でも、その記憶も少しずつ忘れていける。
しかし、私は良いことも覚えている。
優しいサポート、心強い励まし、そして私が誘惑に抵抗することを支えてくれたことを。いつまでも覚えている


ついに私は、自分の行動や思考パターンがヘンテコであることを受け入れられた。すると、愛する人たちが私と一緒に笑ってくれた。
彼らは私の成功を喜んで、成功への小さなステップさえもわかちあった。


私は、何よりも、愛を覚えています。

私が、切羽詰まっているときに代わりに祈ってくれた。
私が、自分のことを愛せないときに、代わりに愛してくれた。


OCDと呼ばれるこの奇妙な病気と共に歩んできた人に対して伝えたい。


「OCDの人達をサポートしてくれてありがとう。あなたなしでは、私たちの回復はもっと時間がかかったでしょう。治りたいと思わなければ、希望を失うかもしれない」


そこでヒソヒソ話している人に言います。

私は「私は狂ってるんじゃない」。






いかがでしたでしょうか。もっと良い訳がありましたら、気軽に kokoronote119@gmail.com までメール頂ければ幸いです。
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