【実体験】 強迫性障害を克服 した No.04-2 ボコロロさん

主な症状としては「確認強迫」「数字強迫」「加害強迫」そして一番大変なのが「縁起強迫」というボコロロさん。その症状はどのようなものだったのでしょうか。体験記をどうぞ。みなさんにも治すコツを感じ取ってもらえると嬉しいです。

●「縁起強迫」について
特にこの縁起強迫に苦しみました。私の場合の縁起強迫に対する儀式は「動作のやりなおし」でした。例えば出かける前に着替えをしていて、たまたまテレビで事故や災害などのマイナスイメージのニュースを見て不吉なイメージがわくと、そのまま出かけると自分にも災いが起こるのではないかという不安におそわれます。

また時には不幸なニュースのときになぜか頭の中に突然「良かったね」みたいな言葉が浮かんで、自分はなんて非道なんだとパニックになります。そしてその不吉なイメージを消す儀式として出来上がったのが「動作のやりなおし」=この場合もう一度部屋着に着直して、テレビを消すか悪いイメージではないニュースになるのを待ってからまた着替える、というものでした。私の中での感覚では、やりなおすことで“リセット”できるというか、時間を巻き戻して不吉なイメージにさらされていなかった状態になれるのだと思います。


そのうち何をするにもその行動が完結するまでは不吉なイメージが浮かんではいけないというルールにしばられるようになりました。具体的にはその動作に一定の時間(数秒~数分、瞬時以外)のかかるもの、「蛍光灯のスイッチ」(一瞬で灯くような白熱球はOK)「テレビのスイッチ」「車のエンジン始動」「パソコンの電源」「メールの送信」(LINEは一瞬なのでOK)「ネットショッピングの注文確定」などです。その動作が始まって完了する間に少しでも不吉なイメージが思い浮かぶとやりなおしです。そして一度やりなおすともう止まらない状態になります。


そうなると今度は不吉なイメージを浮かばせないためにその動作が完了するまで頭に不吉なイメージが侵入しないようにがんばるようになります。スイッチを押すと同時に「今日はいい天気ですね、昨日は何したっけ?晩ごはんは何食べた?カレーだ。今日の予定は・・・」というふうに何でもないようなことを大声でしゃべり続け不吉なイメージが浮かぶのをシャットアウトしようとするのです。特につらかったのはパソコンでした。電源スイッチを押す瞬間から画面が立ち上がってアクセスランプが安定するまで(5分くらい?)しゃべり続けあたりをウロウロ歩き回り気を紛らわします。


少しでも不吉なイメージがわくとシャットダウンして再立ち上げです。悪いことに再立ち上げということは今度は「シャットダウン」という動作があります。“シャットダウン”をクリックしてから完全に電源が切れるまでもやはり不吉なイメージのシャットアウトは必須です。いきなり電源を落とすとパソコンが壊れるので1回やり直しに10分~20分、5回やり直すと1時間以上でしょうか。そしてやっとのことでパソコンが立ち上がると今度はアプリの起動にかかる数秒~10秒も不吉なイメージをシャットアウトするために何かを叫びます。ここでももちろん何度もウインドウを「開く→閉じる」の繰り返しです。「メール送信」や「ネットショッピングの注文確定」など2~3秒の場合は短い“単語”でいいので

「ドラえもーん」

とか叫びます。とにかくマイナスのイメージでなければなんでもいいのです。同じメールを何度も繰り返し送信したり、ネットショッピングでは「注文→キャンセル」を繰り返しました。キャンセルのできないサイトでは買い物ができませんでした。不吉なイメージのまま注文確定をほうっておくとそのとき買った商品が不吉なイメージで汚染され、それを身に付けたり使用すると不吉なことが起こるという強迫観念に苦しみました。


家族も巻き込みました。自分が在宅しているときに家族が外から帰ってきたタイミングに不吉なイメージがわくと、もう一度外に出てもらって中からカギをかけ再度ドアホンを鳴らしてもらってドアを開けるという具合でした。スイッチ系のやりなおしも何度も強要しました。巻き込みに付き合ってもらえないと自分が崩壊しそうになり、不吉なイメージを振り払おうと自分の頭を思いっきり殴ったり、自ら壁に頭を打ち付けたりするので家族は私にしたがうしかなかったと思います。家族に手を出さなかったのは幸いだったかも知れません。ただ自分のほうがおかしいのは自分で解かっていたので、自分が儀式をやるときよりは我慢できたように思います。


その他に涜神強迫およびそれの近い強迫もありました。神聖な場所(もしくは神聖なイメージの場所)にいるときやそういう映像見ているときになぜか必ず不謹慎なイメージ(言葉)や冒涜的なイメージがわきます。またふとしたことで他人にちょっとイラっとしただけなのに相手に対して暴力的で非道なイメージを思ってしまったのでは?と不安になり、それによって罰が当たるのではないかと恐怖します。そしてもちろんやりなおしをします。



私が強迫行為(やりなおし)をするにいたるまでの私の頭の中はこんなかんじです。


だれかに対して腹が立ったとき

私「あんた、ちょっと何やってんねん!気をつけてよ!」
強迫「あれ?お前いま○○(相手)に対して“死ね”って思った?」
私「いや、そんなひどいことは思ってないよ!」
強迫「いや思っただろ?」
私「だから思ってないって!」
強迫「絶対?ほんの少しでも思わなかったか?」
私「絶対思ってない!」
強迫「1%でも思わなかったか?絶対の絶対か?少しでも思ってたらその通りにしてやるぞ!」


と、“死ね”が現実になるぞと脅してきます。
そして強迫は執拗に詰め寄ってきます、私が根負けするまで。
そしてそのうち


私「もしかしてちょっとくらいは思ったのかな・・・思ったのかも・・・?思い出せないよ・・・」
強迫「いい加減、罪を認めろ!」
私「はい、もしかしたら少しは思ったんだと思います。その通りなんてしないでください!」
強迫「そうか、やっと認めたか」 
私「○○が死なないためにはどうしたらいいですか?」
強迫「よし、さっき腹が立ったときにしてた△△(行為)をもう一度やりなおせ!」
私「はい、わかりました。なんでもやります」


そして強迫の言う通りにやりなおしをすると


強迫「まだ足りん!」
私「どうしたらいですか?」
強迫「もう1回やれ!」
私「はい、何度でも」


と、こんな具合に強迫行為を繰り返してしまいます。以前とある場所でお会いした強迫性障害の当事者のかたが、自分の頭の中で命令を出してくる強迫観念のことを“心の裁判官”と言っておられて、「なるほど!」と思いました。それ以来私もコイツのことを心の裁判官と呼んでいます。


私には縁起的な強迫がかなりたくさんありました。


書店にてある雑誌を手に取った瞬間、「それを買うと不吉なことがおこる」と“心の裁判官”が言います。しかたなくその下の同じ雑誌を手に取ると「それもダメだ」、じゃ次・・・というふうに雑誌1冊を買うのにもすごく時間がかかります。道を歩いていて前を歩く人をふと見た時、“心の裁判官”が「アイツが次のかどを右にまがらなければお前に不幸が起きる」と迫ってきます。そしてその人がそのまま直進したときはパニックです。さすがにその人をつかまえて「そこ曲がってください」とお願いしたことはありませんが。また道を歩いているときに不意に不吉なイメージが浮かぶと、その不吉なイメージが絶対に浮かんでいなかったと確信できる場所まで戻って歩きなおしです。このようにして特定の行動を伴わず何もしていないときでも不吉なイメージがわきそうになるので、それを阻止するために常に「わー」とか「おー」とか叫んでいたことがありました。



どうでしたでしょうか。縁起強迫もたいへんそうでしたねぇ。


縁起強迫の方は、

心の裁判官

なるものが住み着いている感覚なんですね~


では、ボコロロさんは、心の裁判官をどうやって、脳内から追い出したんでしょうか。


【実話】強迫からの脱出 No.04-3 ボコロロさん
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