悪漢⑪

 Aさんというお方は、御本人の自己分析によりますと“臆病者の最たるもの”なんだそうで。
 ただ一般的には臆病者と言いますと萎縮して縮こまり何も出来なくなる、もしくはすぐに逃げるというイメージがありますけれども、Aさんは事前にシミュレーションを重ねて「最悪こうなる」という予測を立て、そうならない為の防止策や万一そうなった場合の次善の策を二重三重に張り巡らせるタイプの臆病なんだそうで。
 簡潔な言い方で申せば『ネガティブシンキングな人』という事になりますか。
 「よく自信満々な人とか、一昔前には人の性格や物の考え方を“明るい”と“暗い”に分類して茶化す風潮ってあったでしょ?
 私に言わせりゃ仕事とか事に当たる時に自信満々だのポジティブシンキングだのって奴は『白痴』だね。
 成功を疑わないとか順調に安心しきってちゃ~、いざ事が起きたときにまず“驚き”から入る。気持ちを建て直して対応するのに『二歩も三歩も』どころか五歩も十歩も立ち遅れる事になって、傷口が余計に拡がるだけ。絆創膏で済む筈が病院で縫って貰わないといけなくなるって事さ」

 さて社長さんからデータ改竄の命令を受けたAさんは、とりあえず実測した製品5枚分のデータを手作業で改竄してみたんでありますが、
 「これをあと45枚分もやらなきゃいけないのか?」
と落胆したそうであります。
 何せ製品1枚について測定項目は30もありますから、それをいちいち測定してデータを書き換える、となるとその手間暇は膨大です。
 製品5枚分が1枚に収まったデータシートを前に腕組みしたAさんは、
 「どうせ残り45枚も殆ど図面データの数値から外れてるんだろうから、わざわざ測るまでもあるまい!」
と開き直った。
 問題は測らずして如何に45枚分のデータを捏造するか?でありますが、相手は独立子会社とはいえ世界的家電メーカーの流れを組んでおりますから最新鋭の機材が揃っている事でしょうし、こちらの工場が携わるカテゴリーのアクリル板製作に不慣れなだけで、もっと広い意味でのアクリル板製作には精通しているであろうと考えておいて損は無い。
 対するこちら……すなわちAさんはこの業界での経験が三ヶ月ちょいしか無く、その上会社も“超”のつく零細企業ゆえに工場設備もかなり旧式の物しか備えておらず、製品検査に至っては全て手作業という有り様。
 つまり、下手な考えでデータを捏造しても相手には“全てお見通し”となる確率は高い。
 最新のテクノロジーと豊富な経験値をもってしてもデータ改竄を「お前、やっただろ!」と証明しきれない為にはどうすべきか?
 「よし、計算上で予測不可能な偶期。つまり偶然を混ぜてやろう!」
 そう思い当たったAさんが実際に用いたのは、鉛筆の“頭”の方を薄く削って数字を書き込む、即席のサイコロでありまして。
 これを使って出た目の数だけ5枚分の“元データ表”から新しいデータシートに貼り付けていく。勿論項目によっては貼り付けるには矛盾……例えば反り返りの角度を入れるべき所に長さの数値は入らない、というような……が出た時にはそこで貼り付けをストップし、次にサイコロを振った時には矛盾の無い項目から貼り付けをスタートする、というような配慮を加えつつ、ですがね。
 何しろ製品図面上に於ける誤差の許容範囲なんてものは元々が狭い訳ですから、改竄しようがしまいが、似たり寄ったりの数値にしかならんのですよ。
 乱暴に言っちまえば、ね。

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