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オールドレンズで撮る理由

ブランディング  Photogapher & Videographer の Kokoro です。 

プロフィール写真を含め、デジタル一眼レフカメラで撮影するときには、ほとんどオールドレンズで撮影しています。  

Sony の α7III というカメラをメインで使っているのですが、このカメラを購入する際に同時に購入した Zeiss のレンズは、最初にちょっと使っただけで、その後は眠ったままになっています。  

 

オールドレンズを使うようになったキッカケは、カメラを始めて単焦点のレンズの良さを知った人ならではの “レンズ沼” 状態に陥ってしまったということが背景にあります。 

現行レンズは、どれも高くて、そういくつも買えるものではありません。 

でも、オールドレンズは安いものであれば5、6千円から購入することができます。 

 

そういった安く購入できることや、オールドレンズが描き出す一見“眠たい” 画は、現行レンズのハッキリ、くっきりという画への違和感を感じていた私には購入するための大きな後押しになったのです。 

実際に使ってみると、個体差はあると思うのですが 

それぞれに特性やクセというものがあり、それを認識した上でレンズの良さを活かした写真を撮ることで、味のある写真になります。 

 

私がハッキリ、くっきりとした写真に違和感を感じることの理由としては、記録写真になってしまうということがあります。 

もちろん写真は、その時、その瞬間を切り取るという記録目的で撮るものではあるのですが、面白くない。 

記録写真ではなく、その時、その瞬間の空気感が、私自身が写真に収めたいものなのです。 

 

ハッキリ、くっきりとした写真で、その時、その瞬間の空気感を写し出すことができないのか、といえば、そんなことはないかもしれません。 

写真は、撮る人、見る人の感性によって捉え方が全く異なるので、それぞれの感性次第で変わってくるものだと思うのです。 

ただ、撮って出しの写真ではなく写真を後から(RAWで撮って、現像ソフトで現像)現像するというのであれば、コントラストを下げたりすれば、オールドレンズで撮ったような写真には近くなると思います。 

RAWで撮っておけば、いくらでも修正したり、加工できたりもするのですが、そういった作業はあまりしたくありません。 

 

なぜなら、その時、その瞬間を切り取った写真を、後から色々と“いじる” ということをすると、その時、その瞬間の空気感の記憶というものが薄れてしまうからです。 

なるべくなら、加工や修正せずとも 

撮って出しで、その時、その瞬間を切り取りたい。 

 

気軽に加工、修正ができる、という心持ちで撮影するのと、この時、この瞬間の空気感を写し出したい、と想いを込めて撮影するのでは、一枚の写真に写し出される画が変わってくると思うのです。 

一期一会の瞬間を、空気感をセットに写し出したい。 

それが、私自身が写真を撮ることのモチベーションになっているからです。 

 

そうじゃないと、誰が撮っても加工、修正ができるということになると、再現性のあるコピーにしかなりません。 

誰にでも撮れる、というものには興味がないし、面白味もないのです。 

 

オールドレンズは、一見 “眠たい” 画像ではあるのですが、ピントが合っているところと、合っていないところの境界線の柔らかさに魅力を感じます。 

もちろん全体的に柔らかな描写をするので、その柔らかさという要素が、私自身がオールドレンズで撮影することの最大の理由になっています。 

 

ハッキリ、くっきりと撮影した写真は、やはり “硬さ” を感じます。 

硬さを感じるから、二次元的な写真に見えてしまうのです。 

柔らかさばかりを追い求めてしまうと、それもまた二次元的な写真に見えてしまうのですが、光と影を上手く活かすことができれば柔らかい三次元的な立体感のある写真となります。 

 

写真という平面図の中で、いかに光と影による立体感で描き出せるのか。 

そこが、私自身の永遠のテーマでもあります。 

その時、その瞬間の空気感も含めて、立体感を伴った写真を撮ること。 

なかなか簡単ではありませんが、上手く写し出すことができた時の喜びは、とても大きいです。  

 

Sony の α7III という現代の最新技術が詰まったカメラと、何十年前のオールドレンズという新しいものと、古いものとの融合。 

それぞれに良さがあり、その良さを掛け合わせて生み出される写真には、魅力があり、面白さがあると思います。 

写真も関係性が重要です。 

レンズによって描き出される画が異なります。 

カメラのメーカーによっても、吐き出される画が異なります。 

 

それぞれに特徴があり、特性があり、クセがあります。 

組み合わせが無限にあるからこそ、写真のバリエーションは膨大であり、自由度が高いと思うのです。  

自由度が高いがゆえに、表現の自由度も高いですよね。 

そこが写真の面白さだと思うのです。 

 

気軽に写真が撮ることができて、世の中に発信できる時代になり、様々な写真を見ることができますが、同じような写真で溢れている反面、時々目に止まるような印象的な写真と出会うこともあります。 

色んな写真をみて、自分自身の感性を磨きつつ、自分が撮る写真の質をブラッシュアップしていくことができるメリットがあります。 

 

スマートフォンでも、アプリを使えばオールドレンズで撮影したような写真やフィルム調の写真に加工できたりします。 

簡単に気軽に加工できるのは便利ですし、楽しめるとは思うのですが、だんだん飽きてくると思います。 

もっとこういう感じの写真にしたいな、とか 

そういった思いが出てくると思うのです。 

インスタントなもので楽しみを見出すことができれば、そこからステップアップして本格的に写真を始めていくと、あなたの人生がより豊かになっていきます。 

 

なぜなら、写真を本格的に始めると

日常生活の景色が変わるからです。 

自分が写真を撮るなら、という意識を持った状態で生活するので、その時、その瞬間の光をみたり、どの角度、高さから見たらバランスが良いとか、きれいとか、色んな視点で物事を捉えるクセがついてくるからです。 

 

日常がつまらないものに見えてしまうのは、視点が固定化されてしまうからです。 

視点が増えると、自由に視点の移動ができます。 

ほんのちょっと視点が変わるだけで、こんなにも世界が変わるのか、ということを感じられるようになります。 

 

写真が人生を変えるというのはそういったことがあるからですね。 

視点が増えるということは写真だけでなく、仕事にも、勉強にも、人間関係にも、人生におけるあらゆることにおいて活かされるようになるのです。

 

この記事をキッカケに、写真ライフがより充実することを願っています!

最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。


 


 


 




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