1.「価値観」の話
※タイトルの画像は、Note内画像検索より、デザイナーの出雲千代さんの作品をお借りしました。
価値観の「共有」と「押し付け」の違い。
私は、誰かとお話するときに、「価値観」に基づいた話をするのが好きです。この「価値観に基づくお話」というと聞こえは堅いですが、いわば「意見が分かれる(分かれそうな)ことに対して自分はどう思うか」というようなことです。伝わりますでしょうか?10人に聞いたら10人が同じ答えをいうような、1+1=2、的な話ではないよ、ということです。
例えば、私は、カレーライスのルーとご飯の比率は、「ルー:ご飯=3:7」くらいでいいのです。人によっては、ルーがたくさん入っていた方が好きだ、という人もいるでしょう。いろんな人がいて、10人いたら10通りの答えがあるでしょう。それぞれの答えが正解、100点満点です。
ですが、敢えて突き放す言い方をするならば、私は、ルーが多い方が好きという価値観を持つ人が理解できません。自分の好みと反対意見を持っている方ですから。
ここで、今日の議題として挙げた、「価値観の共有と押し付けの違い」という話になってくるのです。
単に私が、「あなたはルーが多い方が好きなんですね。でも、私はあなたの価値観が理解できません。なぜなら、私はルーが少ない方が好みだからです。…」とお話すると、それは価値観の「押し付け」ですよね。
私がこう言っているのだから、それが世間的にも正しく、正義である。みたいな。
私が好んでいる話し合いというのはそういうものではなく、「なるほど、ルーが多い方が好きなんですね。私は少ない方が好きです。では、なんでルーが多い方が好きなんですか?具もたっぷりの方がいいですか?おすすめの具材はなんですか?」というような、相手の価値観を知ろう、理解しようとする話し合いです(文字だけだと、理詰めしているように見えますが、もっとフランクです笑)。相手を知ろうと質問すれば、枝分かれしていき、話も広がりますよね。
自分の価値観を持ったり、確固たる芯を持って生活することは、非常に重要なことだとは思います。特に、ビジネスシーンであったり、人生の転換期においては、その意志の強さが良い結果をもたらすこともしばしばあるでしょう。
私がこのフワッとした議題で言いたかったのは、
「自分の価値観に合うもの以外は絶対悪だ」という考えはよくない
ということです。(でも、これも価値観の押し付けになってしまうので、一意見としてです。)
だって、生まれてきた環境、育ってきた環境、見てきた景色、聴いてきた音楽、食べ物の習慣、生活スタイルなどなど、人生は千差万別です。同じ人間などいません。価値観が違って当たり前です。
それを忘れてしまっている人が増えてきたように思います。SNS市場が急成長している昨今、自分自身を自由に表現する機会、場が増えてきました。その分、いわゆる誹謗中傷というものも顕著になってきて、社会問題化しつつあります。
今や小学生もスマホを持ったりするのが当たり前の時代。それはそれで良いんです。技術に触れ、興味関心のきっかけも多く散りばめられています。
相手を思いやる気持ちをもって、自分の価値観や正義に合わないものを見かけたとき、「こいつに何か言ってやりたい」「お前は間違っていると教えたい」と思う心をグッと抑えて、どうすれば、相手を傷付けることなく、自分の気持ち、フラストレーションを解消できるかを考えてほしいと思います。
もちろん、法律に反していることはダメです。でも、その法律にもちょっとおかしくない?って思うものもありますよね?(具体例は分かりません…。)
そういった法律たちだって、時代の流れに合わせて変化します。日本という国で決められた、「絶対的ルール(=破ったら罰受けてね)」というものも、絶対ではあるけど、絶対では無いのです(?)。新たに追加されたり、規制が強くなったり緩和されたり、そもそもその法律自体が削除されたり。
新しい価値観を吸収し、自分の中に落とし込んで、変化を楽しみながら「自分」というものを創造していける人でありたいです。
拙い文章で申し訳ないです。ここまで読んでくださった方いらっしゃれば、貴重なお時間いただきありがとうございました。
2024年7月21日