2020年9月12日『えんとこの歌』自主上映会 @京都教育文化センター(後編)
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2020年9月12日『えんとこの歌』自主上映会 @京都教育文化センター(後編)

ココペリ121

ハンガリー語入門講座 

P.E.:みなさまこんにちは。ご紹介に預かりました、ハンガリー出身のP.E.と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
(会場拍手)

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P.E.:ま、一応ちょうど8月の半ばから、ココペリに入りまして、最近ハンガリー語勉強会を担当させていただいております。で、すこしだけ自分について話しますと、あの、実は私はもう10年間ずっと海外に住んでおりまして、でその一つの大きな理由はもともと子供の頃から、言語や文化、まぁ、異文化に興味がありまして、で特にイギリスと日本にあこがれて、この二つの国に一応住んだこともあります。でも長年海外に居続けて、で、ま一応いろんな素敵な人、方たちと、現地の人たちと交流しながら生活を楽しんでても、一つ物足りないことがあるとずっと思ってて、それはハンガリー人としての自分と、自分が知ってる、そういう、そこの現地の人たちに知らない世界をなかなか分かち合うことが出来ない、共有することが出来なくて、そういうところが寂しくて、ちょうどこの夏に転職しようと思って、インターネットで、ちょっとしたアイデアだけだったんですけれども、ハンガリー語や、ハンガリーの文化に関する仕事ないかなっていう風に関西圏で色々検索してみてもなかなか何も出てこず、で、全く別件でココペリに行ってみましたら、その場でハンガリー語を教えてくれませんかっていう、お願いをされまして、人生面白いなと思いまして、すぐ引き受けたいと思いました。と言う訳で、今この場にいます。で、最近ハンガリー語をココペリのみなさまに教えてるんですけれども、11月から、詳細があとで決まるんですけれども、11月から一般市民向けの講座(注1)も設けたいと思います。えー、蹴上のところの京都市国際交流会館でやる予定ですので、文化、言語、それとも人っていうものに興味のある方々はぜひぜひお越しください。お待ちしております。
(会場拍手)

(注1)新型コロナウイルス感染拡大のため、当初2020年11月を予定していた講座は、2021年3月に開催することとなりました。3月20日、4月3日のプレイベントと4月17日以降の講座スケジュールは以下です。

 公式ホームページ:https://kokopellimagyar.wixsite.com/-site

P.E.:で、ずっとハンガリー語の話をしているのに、一言もハンガリー語で言ってないっていう状況なんですけれども、ちょっとそれは、あの、私ではなくほんとについ最近ハンガリー語を勉強し始めたココペリのみなさまにちょっとお任せしたいと思います。と言う訳で、本日はちょっと芝居というか、出し物を二つやります。で一つ目は、一応こういう場で行われてるものです。みなさまに、ちょっとあのココペリのハンガリー語を勉強してるみなさまに、一つチャレンジ与えて、新聞を買ってもらいたいと。で、うまく買うことが出来るかどうかは、ぜひぜひお楽しみにご覧くださいませ。
(会場拍手、ハンガリー語生徒登場)

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星子:Jó napot!

八木:Jó napot!

星子:Kérek egy hírlapot.(お金差し出す)

八木:Hírapot? Elfogyott.(手に持っていた新聞を放り投げる)

星子:Elfogyott? Jó napot!(怒って帰る)

八木:Jó napot!

(次の生徒登場)

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尾川:Jó napot!

伊藤:Jó napot!

尾川:Kérek egy hírlapot.

伊藤:Hírapot? Elfogyott.(手に持っている新聞を隠す)

尾川:(笑)Elfogyott? Jó napot!(新聞持ってたのに、という感情)

伊藤:Jó napot!
(会場拍手)

P.E.:ちょっと上手くいきませんでした。
(会場笑い)

P.E.:えーとでは、二つ目の芝居に入りたいと思います。
 あの、これはÖrkény István(注2)という、とても有名なハンガリー人の作家の『一分間短編』ていう、短編小説のコレクションからの一つです。ま、詩には見えるんですけれども小説って言います。で、あの、次はこれを出演していただきたいなと思います。では宜しくお願い致します。
 では、お楽しみください。Örkény István『Változatok(注3)』。

(注2)Örkény István(ウォルケーニュ・イシュトヴァーン)、1912-1979、代表作『一分間短編』。
(注3)『Változatok』、和訳『バリエーション』。

P.E.とハンガリー語生徒:
(会場の後ろ向きにハンガリー語の語句カードを挙げながら)

 A fűre lépni tilos
 tilos a fűre lépni
 lépni tilos lépni
 lépni lépni lépni
 lépni tilos tilos
 tilos tilos tilos.
 (振り返って)Tilos.

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P.E.:では、ありがとうございます。
(会場拍手)

司会:ありがとうございました。


久保田テツさんによるアフター・トーク
& 立岩先生トーク

(ドキュメンタリー映画『こうたにまさあき』『只いるだけで意味はある ~甲開日記「ALSな日々」』『眼の言葉』上映終了後)

司会:みなさま、おつかれさまでした。ここで、この3篇の製作者である久保田テツさんよりお言葉をいただきたいと思います。
(会場拍手)

久保田:あの、長見さんからは「一緒にしゃべろう」みたいな感じだったので気軽に来たんですけど、まさか真ん中にマイクが来て、「お言葉を」みたいなことになるとは思ってなくて(笑)。すみません、特に言葉っていうのはないんですけど。
 えーと、みなさん、すみません、ちょっと、何せ僕は小っちゃいビデオカメラを入手して初めての映像というのが先ほどの中水さんの映像で、編集とかもそんなに実は上手じゃなく。それこそ『えんとこ』を観た後での映像になるので、ちょっといろいろと見苦しかったり、音声がちゃんと聞こえなかったりしたところもあると思いますが。

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 そもそも僕がALSを記録したいなと思ったのが、自分が1995年の震災の年に、ギラン・バレー・シンドロームっていう病気にかかって。しかもちょっと重めの症状だったので、1年近く寝たきりだったんですね。で半年ぐらいICUにずっと入れられて、という状況の中で、ほんとに体が動かない。指がちょっと動くぐらいで、「足の力は強いね」って言われたんですけど。そんな状況の中で、自分が病院の中をずっと暮らしたっていう経験があって、そのときに強烈なエピソードが、自分の中で強烈な印象があった出来事があったんですけど。
 ICUから出て、共同の病室に入れられたときに、隣に全盲のもりさんていう、すごい気さくなおじさんが隣のベッドに来たんですね。いかんせん僕はもうここに気管切開して、人工呼吸器を入れてるので、声が出ないんですよ。で、隣の気さくな全盲のもりさんは、しきりに僕の気配を感じてしゃべりかけてくるんですけど、僕が全然返せないんです、言葉で。でそうすると、もりさんもなんとなく異変が怖くなって。全盲の方って、もうとにかく、ね、気さくにしゃべりかけてくれるので、で、一切それを無視している状況になって、もりさんもなんかそわそわ、どきどき、ちょっと悲しげな、「どうしたんですか?」みたいなことを僕にどんどんしゃべってくるっていう。そもそもね、「全盲の方と気管切開してる人間を隣にするなよ」って、今になったら思うんですけど。そういう状況になった時に、もう一切コミュニケーションが取れないって状況になって。でその時に一つ発明をして、全盲のもりさんの前に点字で50音を並べて、で僕がもりさんの指を持って、僕が言いたいことを言うとか、もりさんの問いに返事をするっていうことをやってたんですね。で、もりさん、もうずっと点字には慣れていらっしゃる方だったんですけれど、そう、僕が慌ててこう指を動かすと、「ちょっと待って」「ちょっとわかんない」みたいなことで、いっぱいイライラもされ、っていう。だからその医療現場における、ちょっと特殊な状況でのコミュニケーションっていうのをそのときに体験して、すごく。それが95年の震災の年だったんですけど。
 で、それから2005年に大阪大学で、それこそ今日、鷲田さんいらっしゃいますけども、あの鷲田さんが作られたコミュニケーションデザイン・センターという、いろんな領域の人たちが集まって、それこそ専門家も学生も交えて、コミュニケーションについて考えようっていうことで。で、今日名前がよく出ていた西川勝さんっていうケアの方と、甲谷さんは、何ですね、志賀さんっていう身体のコミュニケーションをずっと考えられてる方と、2005年に大学で出会って。で僕は映像というメディアで、いろんな現場を記録したという断片を、今日みなさんに3本観ていただいたという次第です。
 えーと、はい、簡単にプロセスだけでしたが。おもしろかったのが『えんとこ』に出てたみなさんとやっぱすごく、語られてた言葉がすごく、なんか近かったりとか、印象に残っているのは、甲谷さんのケアをされてたヘルパーの方が「自分を正してくれる」っていう言い方をされていたのが、まさに『えんとこ』でもやっぱり同じような言い方をされていて。なんていうか、ケアする者とされる者っていうものの、こう何て言うかな、すごく、「交錯した共同体」っていう言葉も出てましたけど、なんかそういう現場が改めて、今日、自分撮ったものと『えんとこ』の作品を観て、見比べてもやっぱりそう思いましたし。自分の経験としても、なんか改めて自分が学んだことと、そして相手にたぶん僕も何かしら気付かせたこと。それこそ、その指の50音を発明させたっていう(笑)。それ、僕がもりさんにこう、「お願いお願い」って言って作ってもらったんですけど。なんかそういう関係性が今日、ずっと時間を通して観れてよかったなと思いました。以上です。ありがとうございました。
(会場拍手)

司会:久保田テツさん、ありがとうございました。
 最後に、社会学者で、ココペリ121の代表の長見さんの友人でもあられる、立岩真也先生に締めの言葉をいただきたいと思います。いらっしゃいますか?

立岩:みなさん、こんにちは。立岩です。先月帽子を買ってですね、なんかちょっと嬉しいので、帽子なんか要らないんですけど、ほんとは、今日は帽子を被って来てみました。ただそれだけです。
 で、締めの言葉って言うんですけど、締まりようもないわけで。だいたい僕、この企画があるっていう話は前聞いて。で、関係者にチラシはもらったんですけど、今日あるっていう自覚もなかったし、僕、しゃべることを求められてるってことも今日の朝までわかってなくて。長見さんからメールが来て、サボろうかなと思ったんですけど。京都は便利だよね。川沿いをちゃちゃっと走ってくれば着いてしまうので、断れないというか、着いてしまったので、ここにいます。
 で、何もしゃべることは実はないんですけど。だけど久しぶりっていうか、「あ、甲谷さん若い!」みたいなね。2006年ですか? だからもう14年前の画像っていうのがあって、そして数年前の画像っていうのがあって。

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 僕は字を書く人で、字は字で大切だと思ってるんです。ですからこういう仕事をしてるんですけれども。ただやっぱり、まあ当たり前、超当たり前なことですけど、両方要るなっていうふうにいつも思っていて。今、こういう動画もそうですけれど、写真も含めて、なんか絵っていうか、やっぱそういうものを集めたり残したりっていうことも始めてはいるんだけれども、まあもともと字の人なものだからっていうこともあって、私どもの生存学研究所っていうのを今やっているんですが、そこのサイトは字ばっかりの、なんか退屈っていうか無味乾燥っていうか、そういうものなんですけれども、でも、そういうのも要るんですよ、実はね。何が要るかっていうと、2006年ってどういう年だったかな?って思うんです。僕は、実は京都来たのは2002年なんですけど、まあその頃ですかね、甲谷さんが発症されたのは。それからいろいろあって、2006年、2007年ぐらいに京都市と交渉をして、最初上手くいかなくて、2008年の1月に、みんなで団体で、京都市の市役所に出かけていって。で「要るんです。介助も制度も要るんです」って言って聞いてもらって、それでなんとかなった、とりあえずね。それで、そういう制度を使って、本業じゃないんだけれども、でも本業なのかな、よくわかんないんですけどね。そういう感じで、一方で別のことしながらこういう仕事もする。でまあ稼ぐこともできるという仕掛けができていった、ちょうどちょっと前ぐらいの出来事だったんだなっていうのは、これはそうやって字を残して記録して、わかるっていうか思い出せることでもあって、両方必要だなと思いました。
 でも2006年の甲谷さん、「あ、こんな感じだったっけ」って。若いよね。ていうか、僕はたぶん、その時の甲谷さん48ぐらいで、そのあとひと回り、時間…、僕はそれにひと回りも年が経ってしまったので、ずっとそのときの甲谷さんより年上なわけで。「あ、若い甲谷さんだな」とか。あと2016年ぐらいですか、あれは? 僕は甲谷さんとは時々ちらっと出会うんだけれども、でもこう正面、真上からこう撮って、体がこうガリガリなったっての、手がこうなってああなってみたいな、それから「ああそっか、結構表情あるな」とか、そういうのって僕は恥ずかしいんでしょうかね、まあ時々会うんだけど、あんまりわかってなくて。「あ、けっこう動き激しいな」みたいな。それが10年経った甲谷さん、とか、そういうことがわかって。おもしろいっていう…、まあ僕はしょっちゅう「おもしろい、おもしろい」って言ってまわってるんですけど、おもしろいなっていうことも思いました。
 で、そのつまんないほうの話をします。これ、ぱっと見ても全然、何も見えないと思うんですけれども、これはALS京都っていう、ALSの人たちが京都でどういうふうに暮らしてきたのかということを、まあやっぱり主には文字ですね。こちらに今、増田さんがいらっしゃって、甲谷さんもいらっしゃるんですけれども、あと何人かの方々、人々が、まあどういういきさつで生きてきたか。それからそういう人に、どういうふうに、どういう人が関わってきたのかっていうことをインタビューして、例えばこのわけのわかんない企画を、企画を企画した長見さんに、去年かな? 僕がインタビューをして、一昨年か? 確か僕がインタビューをして、そのインタビューの記録が全部あったりします。それから、甲谷さんは、最初はバイト仲間みたいなこともあったかな? それから彼らの体を診てあげてたってことで。体、表現みたいなことを仕事、活動している人たちとの付き合いが長かった。それで、今でもそういう流れの人たちが、甲谷さんに関わっているんだけれども、そのうちの一人が由良部さん。あの、踊り手です、ダンサーですよね。で由良部さんにインタビューしたりとか。そういうものを、そうすると、インタビューだと2時間ぐらいかかるから、その2時間のインタビューを文字にしてっていう、地道なことをやっています。でも大切なことだとも思っているので、こういう映像と、文字と、なんかそういういろんなことを足し合わせて、ようやく何かが伝わったり、覚えてられたりすると思うんで。僕らも、僕らは僕らでがんばってやっていきたいと思いますので、よろしくっていうことです。
 ちなみにですね、もう1個言って、宣伝をして。僕はたいがい宣伝しかしない人間なんですけど。えっと今日サボっちゃおっかなと思ったのも、実は来週、あ、今日月曜、じゃない土曜日だから、ちょうど1週間後ですね、19日の土曜日に障害学会っていう学会が、小っちゃい学会があって、それの大会、っつっても今年はコロナになってリアル会議ができなくて、オンラインでやります。で、それの準備を毎日、準備っていうかな、やってるんですけれども、それも今回はホームページとメールのやり取りプラス、シンポジウム1個っていう、そういうオンラインでやるって感じです。それはですね、えっとALSとちょっと似てるけどだいぶ違う、だいぶ似てるけどだいぶ違う、よくわかんないですけれども、筋ジストロフィーっていう障害のとこは聞いたことがあると思うんです。ASLの人より若い発症の人が多いですよね。小学校上がるぐらい、上がる前ぐらいに発症して、昔はほんとに二十歳になれなかったっていう人多かった障害、疾病ですけれども、今はそんなことはない。40、50って人はいます。
 そういう人たちが、うーん…。ALSの人たちはそうだなあ、だいたい会社勤めであるとか、なんか仕事して、50、60で罹って、「さあ、どうしようか」みたいなことになって、以後いろいろっていう感じですけど。筋ジストロフィーの人は、まあ小学校上がる前くらいに発症して、それで、まあ今はまたちょっと違いますけれども、一昔前は、国立療養所っていう各地にある、まあ病院ですね、かつては結核の人が収容された施設ですけれども、そういうところに、まあ収容っていうか入所っていうか入院っていうかして。それで長い人だと30年とか40年とか暮らしてきて、まあたいがいその間に亡くなってしまってきたんですけれども、さっきも言ったように、生きられる人も出てきた。っていう中で、「そんな30年も40年も病院居たくない」って、そりゃ思うんじゃないですか。てなことがあってですね、そういう人たちが地域で、甲谷さんみたいにっていうか、暮らせるようにっていうことで、いろんな企画っていうか活動が始まってるんですよ。
 で、僕も少しそれに関わっていて。それは実は、いろんな偶然的な事情もあって、京都から、それから兵庫、西宮とかですね、そういう関西発のムーブメントで、それで今、全国に広がってやってます。結構僕はおもしろいと思ってるんですけれども、なんかせっかくなら、おもしろいことしようって思って、それを来週の今日、今日というか土曜日、午後にオンラインでやります。で、参加費の取りようがないので、もう誰でも入ってくださいって言う感じで、ズーム(zoom)使ってやると思いますので、お知らせします。何て検索したらいいかな? 僕は「立岩真也」と言いますけれども、それでもいいですし、「生存学研究所」ってのでもいいですし、「障害学会」ってのでもいいです。とにかく何かで検索してもらう。そうじゃなければ僕にメールをください。そうすれば、来週のちょうどこの時間、よりちょっと早い時間かな? ALSではない、なんて言ったらいい…、まあ、でもちょっと似てるとこもある筋ジストロフィーの人たちが、どうやって暮らし変えようとしてるのかっていうこと、それを学者なら学者が、ジャーナリストならジャーナリストが、そして介助したり、京都市内でいろんな運動・活動している仲間たちが、どういうふうにそれを支えたり進めたりしようとしてるのかっていうことを、僕が聞き手に回って話を聞こうと思っているので、どうぞ見にきてください。
 という、締めでも何でもなくて、宣伝ですと。そんなふうにして、ときどき僕は長見さんのイベントで、この人もほんっと、わけわかんない。コロナがいよいよ真っ盛りになる直前ですね、にアバンギルドって言ったっけ? なんかライブハウスっていうか、みたいなところで、ハングルと、ALSと、なんかよくわかんない(笑)、そういうイベントをやって、その後いよいよ、そういうところでライブができなくなって、まあ半年くら
い過ぎたんですけれども。そんなとき、ま、そのとき2月終りだったんかな? 僕も行ったんだけれども。まあ京都、けっこう意外とおもしろいと思うのね。ここ10年ぐらい、もっとかもしれないですけれども、いろんなことが起こっていて。なんだろ、あんまりない、けど時々ある、みたいなね。だからその福祉福祉した人たちだけじゃなくて、医療っていうだけじゃなくて、アートであったり、まあものを書く人であったり、そういう人が混ざったり集まったりしてっていうことが、ぽつぽつと起こっていて。さっき紹介した筋ジストロフィーに関する企画も、ちょっとそういうとこあるんですよ。ですから、けっこう面白いことが近所で起こっている、自分もそれに関わってる、関われるっていう感じで、こういう企画もね、そういうきっかけっていうか。あるいはすでに、そういうものに染まっている人たちにとってみれば、それを確認し。でまた知り合えた人と久しぶりに会ったりって、そういう機会だと思っていますけど。
 えーと、まあ半分宣伝でした。どうも。さっき来たばっかりなんで、今日何があったか実はよくわかっていません。なので、たぶん閉会の何とかみたいなことは、長見さんか誰かがやるんだと思いますから、僕はこれで終わりにします。どうもありがとうございました。
(会場拍手)

司会:立岩先生ありがとうございました。

(NPOココペリ121長見代表挨拶)

 お越しいただいたみなさま、手話通訳の方々、スタッフのみなさん、司会のおふたり、本当にありがとうございました。

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--------------------------------------------------------------------------------------『えんとこの歌』自主上映会のチラシはこちら
20200912上映会(表).pdf
20200912上映会(裏).pdf

20200912上映会(表)縮小

20200912上映会(裏)縮小


*前編(日+英)及び後編(英)はこちらをご覧ください。


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ココペリ121
在宅で生活する障がい者への介護派遣事業を運営する特定非営利活動法人ココペリ・ワン・ツー・ワン(NPOココペリ121)。当NPOの学術文化部門(主な業務として、出版、文字起こし、語学講座、学習会、自主上映等があります)がお届けするウェブマガジンです。