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[COLORS]~母の白のレースの服と母の青色スカート~




私には母が二人います。


一人は産みの母と

もう一人は育ての母であります。



産みの母は
わたしがいうのもなんてすが

綺麗な女性だったと思います。


ですが
何故か幼心に

母というよりかは
ひとりの女性という印象が残っている

そう
最後の最後まで

そんな母でありました。


懐かしい
想い出は幾つかありますが

記憶のひとつには

私のお誕生日にはいつも
クレヨンとかスケッチブック等を必ず
プレゼントしてくれました。

もの静かな人でしたので
私の好きなモノを
知っているのかと不思議に思いました。


それほどにまで
落ち着いた
イメージしか
ありませんでした。


そんな母も
数年前に
この世を去りました。

最後に逢った日は
暑い夏の日でした。


白のレースのノースリーブに
シンプルな美しいピアスだけを
身に纏い

病で痩せ細った
今にも折れそうな細い腕で
Kitchenでお茶の準備をしてくれたのです。

本当は痛くてしんどくて
たまらないはずなのに


千葉へ

駆け付けた私達に


麦茶を注いでくれたのでした。

何もしなくて良いからと

そわそわした
私が見た
母の斜め後ろからの姿は…


いまだに消えないまま

汗ばむ建物の匂い…

グラスに注ぐ音…



麦茶の季節が来る頃に
胸に響くように思い出すのです…。






そして



もうひとりの母は

育ての母であります。


8つになったばかりの私の
目の前に


父から
紹介された女性が
後に育ての母となりました。


現在千葉に住む4つ下の妹は

育ての母が
自分の実の母親と
思って育ったわけなのですが


もの心ついた時から
育ての母だと知った彼女ではありましたが

特に何も変わらず
クールな彼女は

相変わらず
ボーイッシュな装いで明るく

「私の母はママだけよ」

そう言って

いつもブルーやグリーンの服を
好んで着ていた女の子でした。


さて


いきなり
父に紹介されて


私の新しい母との暮らしが
始まったそんな幼少時代に



私は早速

母に
色鉛筆が欲しいと勇気を声に表し

伝えてみました。


何故なら

私は家にいる時は
いつも絵を描いたり
絵本を読んだりしているのが
好きだった子どもでしたから…。


すると母は
しばらく静かに
私の顔をみていたのですが


鈴を付けたお財布を持って
いつもの時間に
出かけようとしていました。



そして

玄関で振り返り


「24色ね…」


そう言って出て行きました…。




ドキドキ…

ドキドキ…



本当に色鉛筆が買ってもらえるのだろうか…。

それも24色。


信じて良いのだろうか…。

まさか…

まさかね…



そんな思いを巡らしていた私の目の前に


なんと母は



24色の色鉛筆を買って帰って

私に渡したのでした。



その時の幼い頃の

何とも言えない感情の揺れを
忘れる事が出来ません。

それは
父が

遊園地を約束しても

忙しくて
叶う事が難しく


その幼少の頃は

次の日の遠足で眠れないほどの
喜びを持ってしまうわけでありますから


勿論
父の言葉にも何度か
大きな期待をしてしまい


喜びと失望の
ジェットコースター並みの感情の揺れに

いつからか
8つの私でも

そこは何故か冷静に
感情を見つめる少女となったわけでありました。



他にもここには綴りませんが
様々な過去から
思い巡らした感情が
その色鉛筆の歓びとなって溢れたのです。


それから

そんな私に
育ての母は


必ずどんな事でも
約束を守ってくれて

いつも私の側で
見守り

絵を描くときもひとつひとつ
見てくれて

そして
その母側の祖母もいつも
絵本を読んでくれて


小さな事であり

ささやかな事ではありましたが

私の心はよろこびの芽が育っていたようでした


いつもわたしを気にかけてくれていた
血の繋がりのない母


私は

育ての母をいつもいつも
信頼していました。



そんな母がいつも着ていた服は
青いスカートでした。


その色は原色の青で
鮮やかでした。

母はとてもそのスカートを
気にいっていたようでした。


なので
母の日の作文には大好きな海と
必ずその青のスカートについて
書いたりしたものでした。




母の日は手作りのマスコットを作ったり
肩たたきチケットを作ったり


勿論カーネーションを
お小遣いで買ってみたり…。


そして育ての母は
5月15日がお誕生日でしたので
それは色々とプレゼントも
子どもなりに考えておりました。


喜ぶ母の顔が見たくて
いつも5月は楽しみでした。



そんな育ての母も
産みの母と同じく


もうこの世を去りました。



ですが

私は
なんて幸せなのかと思うのです。


何故なら
本来ならひとりの母親しか
いないわけですが

私には二人も母親がいたわけですし
それで
沢山の想い出を頂いたのですから…。



そして

愛情の表現は違っても

そのふたりの母からの教えは
今でもこころに刻まれています。



神は
私を母の胎の時から覚えておられ

そして
わたしの未来についてもご存知でした。


現在の私が神を信じる道へ
導かれたのも


このおふたりの
母達の存在が関わっていることも信じています。



そして

血の繋がりがあろうが
なかろうが
神様の家族であることも


幼少の頃の

何処かで
語りかけられていたような気がしますね…。





母へ


私の母でいてくれたことに
感謝しています…。



新緑の美しい季節



母の日…



何故

私はこんなにも

色を意識するのか…



青い海で


私を胎に身ごもり
十月十日私を愛してくれた母との

暮らした想い出…


育ての母の

24色の色鉛筆…



もしも今幼少に戻って
スケッチブックに母の日に似顔絵を描くなら



白のレースの服と


青色のスカートの



おふたりの母を


描くでしょう…。



青い海と共に…。








~ブルーグレィの教会で~



黒でもなく白でもない


それは人の心模様のグラデーション



不完全な人の独り言



主に

感謝致します…。




































































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