[聴く]~食事を整え~
過去に
愛する教会の姉妹と
子どもについての話をした
記憶の事です。
姉妹は男の子と女の子二人を
授かって
彼女のお嬢さんと
娘が仲良しだったこともあり
お宅によく遊びに行っておりました。
教会の礼拝で
会えることも娘にはとても
信仰の友てあり
神の家族として
励まされておりました。
そんな日々の中
親なら誰でも一度は戸惑う経験をする
子育て…。
私は子育てと言う言葉には
違和感があります。
何故なら正直言えば
中学生までは子育てというか
関わることも多くありましたが
特に末の子どもになると
子育てと言う言葉より
ひとりの人格のある存在と共に
暮らしている
というのてしょうか…
今は
自立したこども達とは
同じ社会人として
同じ立場のものとして
語りあうことが多いのです。
(メールのやり取りも
昔から 何故か
皆 敬語で送って来ます。)
今の私の場合は
どちらかと言うと
子育てと言うよりも
自立した子どもを含めて
一緒に暮らす
十代の子どもからは
親というか
ひとりの人として
育てられている…
そんな想いであります。
ですが
ひとつだけ
心に残っている姉妹の言葉があります。
それは
この様な言葉てした。
『男の子は何も言わない事が多いけど
好きな食事を整えてあげていれば
それだけで元気になれる…
そう思わない?
きっとそれだけで良いのだと思うの。
何を語らなくても それだけで…。』
そう笑いながら明るく言いました。
確かに…
思わずほころんでしまいました。
彼女は
お誕生日ケーキも作ったり
お料理が大好きでした。
子育てしている時期や
ご主人が開業医となる前は
看護士としての彼女ではなく
お料理を楽しんでおり
遊びにいくと必ず
娘が
姉妹の家で何を作ったかを
話してくれていました。
『すごく簡単なんだよ!』
娘が目をキラキラして
話してくれたのは
フロランタン…
娘はいつも
私とお菓子作りをしている子で
社会に出てからも
カフェ巡りや
お菓子作りをしている様子が
Instagram等ても
みられます。
そんな娘の
初めての
フロランタン
それはそれはもう
楽しくて嬉しくて
仕方なかったのてしょうね…。
そんな思い出を与えて下さった
姉妹である彼女の
言葉は
いつもそばにいて
子どもを見守る親
食事を整える親なら自然と
伝わってくることでしょう…。
(もちろん親でなくとも仕事関係でも
仲間を励ます時に言葉ではなく
食事を共にすることも
または
友達同士でお茶をしたりすることも
あることでしょう)
過去の事てすが
ふとあることに
私は
気が付きました。
それは
こども達が小さな頃から
何故か
口に出す言葉は
本音ではなくて
本当は心の奥に
伝えたい思いがあるにも関わらず
異なる事を
つぷやいたりする事にでした…。
それに本人さえも気が付いていない状態
または
無意識に置き換えてる状態の時が
あります。
それで
表面に出てくる言葉では
いくつかあるのですが…
そのひとつには
『何が食べたい…』でした。
勿論
それは物質的なもの
または容姿に関すること
またはスキル磨きに関すること
突然の
コンプレックスな言葉にしたりして
様々な事柄で表面に表れてきますが
そんな時には
何処かで不安定になっている時
人の言葉で傷ついたり
人との比較で
疲弊したりしている事も
あるのではないかと
感じたりします。
そんな時には
その時その時で
代用した
置き換えた存在で
対処方法としても
ありますが
本当のところ表面の
解決策は一時的かも知れませんし
そうでないかも知れません。
ですが
もし
何か食べたい…
甘いものが食べたい…
そう聞いたなら
たとえそれが
表面的な言葉であったとしても
たとえそれが
一時的なことであっても
何も言わないで…
ただ
ただ
食事を整えていることで
よいのだと思うのです…。
もう
永遠に変わらない
みことばは
彼女も
私も
伝えてきているのですから…。
そうして今日も
Kitchenに立ちます。
換気扇の音
お鍋のグツグツ煮る音…
オーブンの焼き上がった匂い
ザクザク切った緑の野菜たち
静まって
そんな音を聴いていると
遠くから私の心に必ず
聴こえてくるのです。
『好きな食事を整えてあげていれば
それだけで元気になれる
そう思わない?』
そう…
あの
姉妹の笑いながら語る
懐かしい声が…。
ブルーグレィの教会で
黒でもなく
白でもない
それは人の心模様のグラデーション
不完全な人の独り言…。
感謝します…。
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