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【主は富んでおられたのに…。]

いくつもの

哀しい事があったとき



『自分自身が招いてる事なんだから
貴女自身の問題よ。』


と、人は必ず言います。


また、

『引き寄せ』とも言います。


挙げ句の果てには

『前世が悪い』にまでなっていきます。




前世を抜いて
後は、間違ってはいないと思います。

ですが、
ある青年が言いました。


『人に注意や指摘されるけど
無意識にいるので
何処をどう変えて良いのかも解らなくて………。』


そう

そうでしょうね………


私もよくあることです。



そのような言葉を受けて

彼の
あるがままを受け入れて。
その青年の心の内を
見つめながら

会話するようになりました。

良くない考え方と思えるところも
良いと思えるところも

色んな方法を伝えてみたりしながら………。


まるで
自分を見てるようでした。



無意識に生きているときは、
自分に
気がつきません。


意識しながら
訓練して
練られていくのかと思います。


ですが、それを実行する前から
ありのままを否定されたような
目線な言葉は
きっと
心を閉ざしてしまいます。




その様々な問題とされる相手というものは


自分自身で
気付いてる事も少なくはありません。



なので伝える側も
大丈夫な心の状態の人か

脆く崩れかけて助けが欲しいときに
強がったり
見せたくない内側を
守っている心の状態の人なのか

しっかり
見極めて語らなければいけません。




私自身は、
もう気が付いて
もう自分をあるがまま受け入れました。

笑って
どうしょうもないままを
そっと
喜んでいます。



けれど、貴女に語る事が出来ないから


伝えたいこと
ここに
綴りますが

もしも
哀しみが多く重なったのなら
思い出して下さい。






十字架のあのお方は

傷も
汚れもない

聖い神でした。



ですが裏切りと、あざけり、ののしり



ムチで

肉は裂かれ


脇腹は槍で突かれ

最も残酷とされる十字架の刑を受けました。

知らない………知らない………知らない………

あんな人知らない………。


唯一、罪のない
あのお方が

そのようであるならば




また、同じように
十字架につけた
罪人である人間が

また
罪人の人間に

哀しませる事も
哀しむ事も


あるのは当然ですね………。


ですが
何事に置いても

貧しく哀しむ事もないのだと




聖書は
そっと語りかけて下さいます。




コリント人への手紙
第2




『あなたがたは、すべてのことに
すなわち、信仰にも
ことばにも、知識にも、
あらゆる熱心にも

私たちから出て
あなたがたの間にある愛にも富んでいるように
この恵みのわざにも
富むようになって下さい。


あなたがたは、私の主イエス.キリストの恵みを知っています。
すなわち、主は富んでおられたのに
あなたがたのために貧しくなられました。

それは
あなたがたが、
キリストの貧しさによって富むものとなるためです。』





貴女が

すべてにおいて
富む者となるために、



聖い神でありながら
あのお方は

貧しくなって下さいました。




十字架が

見えますか………


恵みを受けたら
あるがまま、


これからはすべてのこと


すなわち




信仰
ことば
知識

熱心

そして
愛に


そして

愛の知らなかった
不器用な者から

貧しかった者から





貴女も私も

見えないものすべて


富むものに
なっていきましょう………。

卑しい
貧しい

大丈夫………。





もうむやみに相手を自分を責めたりしなくても
意味もなく傷付いたり
、傷付けたりしなくても………




愛された者らしく
あるがまま


哀しみに溺れず



富むことに
熱心に生きましょう………。



感謝します。






この記事は

2016  9 20 に綴った過去のものです。


私自身は
移り行くものでありますが

今は

此処に残します。










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