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母の日に想う「教えないことの大切さ」

 息子が小学一年生になった。今は、コロナの影響でまだ数回しか学校に通っていないが、学校がある日は親よりも先に起きて、着替えて、「ママ、朝ご飯はパンにするー?ご飯にするー?」なんて、布団の中にいる私に一階から大声で叫ぶほど、息子は学校を楽しみにしている。

 幼稚園の年長さんになると、しばしば「そろそろ文字を教えた方がいいのかしら?」「そろそろ小学生の準備で少しお勉強をかじっとくべき?」なんて世間の風潮を感じることがあった。実際に入学説明会では、「自分の名前くらいは読めるようにしてきてください」とお願いされたし、息子のまわりのお友だちを見ても、年長さんで読み書きがスラスラとできる子はたくさんいた。
「学校に行ってから、まわりと自分を比べて肩身の狭い思いをしないかな?」
という考えが一瞬よぎることもあった。

 それでも私は、
息子が教えてと言わない限り、絶対に自分から教えないぞ
 と心に決めていた。それは、何より息子の「学びたい!!」という気持ち、「自分で書けた!!」という喜びを大事にしたかったからだ。

 幸い息子が通っていた幼稚園は、私の考えと同じ幼稚園だった。だから、息子は小学校入学する寸前まで、思う存分自由に遊び、思う存分自然と触れ合った

 入学が近づくころ、それまで全く文字に興味を持っていなかった息子が急に「ママ、これって『あ』でな?」と聞いてきた。「おお、そうだよ。よくわかったね。どしたん?」と私。「じゃあ、『ゆ』はどれ?」

自分の名前はどうやって書くんだろう?

 何かのきっかけでそう思った息子は、わくわくしながら私に尋ねてきた。そして、あっという間に自分の名前が読めるようになった。車でドライブをしながら、看板の文字をたどたどしく読み、わからなかったら私たちに聞き、「そう書いてあったんだ!!」と嬉しそうに喜ぶ。そうこうしているうちに全部のひらがなをいつの間にか習得していた。

 母の日。恥ずかしそうに渡された息子からのお手紙の中に、なにやら数字とひらがながバラバラに書いてあった。息子がにこにこ説明してくれた。

「『2・ね・ん・せ・い・に・な・っ・た・ら』って書いてあるんで!」

「二年生になったら、自分でお手紙書くよ。」

 そう私に伝えたかったそうだ。しかも、ひらがながとっても上手に書けていたので驚いて「パパに書いてもらったの?」と聞くと、教科書の後ろのひらがな表の上に紙を置いて、上からなぞって書いたとのことだった。
「字をきれいに書きたい」と思ったら、誰に言われるわけでもなく、自分で考えて、工夫して書いていた。

 お手紙の左上にちょこんと書いてある「5+01=15」の文字。数が大好きな息子。「早くさんすうしたいな。」と学校から帰ったら、嬉しそうに宿題をひらいて机に向かう姿。

「学ぶことが好きで好きでたまらない」

「学ぶことが楽しくて仕方ない」

 息子の背中からそんな声が聞こえる気がした。

 小学校一年生を担任したときに強く感じたことがあった。それは、「この子たちのこの『学びたい!!』『知るって楽しい!!』という満ち溢れる意欲をどうやったら潰さないでいられるのだろう」ということ。
 学年が上がるたびに「勉強が嫌い。めんどくさい。」という子どもたちの割合が増えているのを実感していたからだ。

 学年が上がるたびに学習内容は確かに難しくなる。当然だけど、勉強の中でできないことだって増えてくる。それが原因で「勉強嫌い」が増えていくのか。私はそうではないと思う。

 問題は「できない」ことが、まるで「わるいこと」で「できるようにしないといけないこと」のように、重くのしかかる学びの雰囲気、環境にあるのではないかと思うのだ。

 「できない」ことができるようになることは、もちろん良いことだ。大人になった自分でも、できないことができるようになるとすごく嬉しい。自分が「できるようになりたい」と思って行動してできるようになることはとても素敵なことだと思う。

 だけど、「できない」ことを「できなければいけない」とまわりから思わされることは違うと思う。「できない」ことばかりに囚われて、自信を失ったり、学ぶ意欲を失ったりする方がよっぽど良くないことだと思うからだ。

 とはいえ、学校の中にはたくさんの「他者からの評価」が渦巻いている。それは、テストの点数であり、通知表の「よくできる・できる・もうすこし」の判定であり、日々の評価だ。そこから逃れることはなかなか簡単ではない。

 だからこそ、家庭の中では、「できる・できない」の評価の目をゆるめていきたい。

「できてもいいし、できなくてもいいよ。どんなあなたでもまるごとオッケー♡」

 そんなメッセージを送り続けることで、息子はどんなふうに学んでいくのだろう。「学ぶのが楽しい」その気持ちさえあれば、大丈夫。あとは、その気持ちを大人がどれだけ邪魔しないか、にかかっている。

 「ここのね自由な学校」では、学びのお誘いやきっかけを準備はしても、強制はしない。

 子どもたちは、自分の学びたいことをちゃんと知っている。子どもたちは、自分の学びたいときにちゃんと自分から学ぶのだから。

 そんな絶対的な信頼があるのだ。だから、大人が焦る必要はない。大人が焦ったり、不安になったりする気持ちが子どもたちに伝わることが一番良くないんだと思う。大人が試されている。私が試されるだろうと思う。

 息子の「学ぶ意欲」をどこまで守れるだろうか。それも楽しみ。 

 そして、ここのねに来る子どもたちの「学ぶ意欲」がどこまでもどこまでも広がっていけるような環境をつくっていきたい。

 

「あの雲、どんなかたちに見える?」

◎学校見学のお申し込みは、こちらまで(*^^*)

kokonone.school@gmail.com

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