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モノも想いも、循環する。

 私(スタッフななえ)は片付けが苦手である。ちなみに掃除も苦手。家では数年かけて断捨離を繰り返し、ようやく最近、物が少ない家になってきた。GW現在も大片付けに明け暮れている。(とほほ)

 これまで必要なものは、お金を出して買うのがあたり前で、使えなくなったら捨てるのがあたり前だった。いや、今でももちろんそういう生活スタイルから抜け出せているわけではない。

 ここのねで作業を始めて、7ヶ月半が経とうとしている。大掃除・大片付けから始まり、初めてのものづくりを経験する毎日には、気付きが多い。

 (床の基礎をしっかり作るには、どこにどの板をはめ込めばいいか考えている場面) 

 壊れているものを再生してまた使えるようにしたり、あるもので工夫して新しいものを作ったり。捨てようとしていたものを頂いて、きれいにして使ったり。そのどれもが新鮮で、これまで自分がやってこなかったモノとの関わり方だった。

 その中でも、大掃除・大片付けは、度肝を抜かれることが多かった。「お掃除大好き」のスタッフももちゃんの徹底した姿勢がカッコいいのだ。

 例えば、学校の場所が決まってすぐの頃、窓のさんを綺麗にしようしたとき。そこには、長年詰まっていたであろう、たくさんの虫の亡骸があった。ビビる私。しかし、ももちゃんは臆することなく「ごめんね」と言いながらキレイに取り除いていた。

 そして、油がガッチリとくっついたキッチンシンクも「磨けば取れるでしょ!」と言って、どんどん色んなアイディアを調べては試す、もも殿。一緒に磨いてくれたゆきちゃんの黙々と汚れを落とす姿勢にも感銘を受けた。

 寄付によって集まった数百冊の本を一冊ずつ拭こうと提案したのも、もも殿であった。そんな真っ直ぐにモノに向き合う姿勢から学ぶことが多い。

 そして、先日。「今日は小部屋の板を一枚一枚磨きましょう!」ともも殿に言われ、「ん?どこか汚れてるっけ?」と私。

 確かに、よーーーく見てみると、黒ずんでいたり、パテが付いていたり。それらをヤスリで削り、板と板の間も段差があれば、削っていく。釘が少し浮いていたら、金槌で埋め込む。子どもたちが裸足で上がれる部屋にできるよう、最終的な床の仕上げである。

 文字通り、1日床みがきとなった。いつも来てくれる神田さんと3人で端っこからヤスリで丁寧に磨いていく。こうちゃんは、別の部屋でここのねのカリキュラム案を練る時間。
 小部屋と言っても、軽く20畳はあるお部屋。半分まで磨き終わる頃には、結構疲れていた。途中でお昼ごはんを挟んで、また始めた。

(神田さんがいつも作ってきてくれる季節のおかずは最高に美味しい♡)

「これだけ一つひとつに手をかけ、愛情をかけた場所で学べる子どもたちは幸せだねぇ。」

 神田さんが床を磨きながら言った。

モノも人の想いもすべては循環していくものだからねぇ。」

 神田さんと話していると、はっときづかされることが多い。

 数十年使われていなかったこの場所に、大家さんのご厚意と私たちの想いが合わさって、また別の命が吹き込まれようとしている。使われていなかったモノたちが磨かれ、拭きあげられて、目を覚ましたように生き生きとしている。

 そして、そのモノたちに込められた私たちの想いもまた誰かに伝わっていくのかもしれない。

「すべては循環」

 だとしたら、私はどんなときも前向きな気持ちでいようと思う。悲しいことや辛いことがあっても、それはきっともっと幸せになるための合図だと思うから。そして、私の前向きな気持ちがきっとまわりの人へと伝わっていくと思うから。

 そして、ここに集まる子どもたちや大人たちと共に、わくわくする未来を一緒に創っていきたい。

……うーん。待ち遠しいなぁ(笑)待ち遠しすぎて、何回も同じこと言ってる気がする←

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