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佐々木閑先生・仏教講義「ブッダの生涯 16」より

「初転法輪」続き(第2回目)

「中道」はユニークな教え。

お釈迦様というスーパーナチュラルな存在があり、お釈迦様にひたすら願うことで将来の喜びが手に入るのだ――ということなら「中間を行け」という「中道」の教えは、出てこず、「ひたすら信仰せよ」となるだろう。

「中道」は、そうは言わない教えなのだ。

なぜなら、仏教は何かに全てをささげるという宗教ではなく、自分で自分を変える、修行の宗教だから。

仏教内にある、「中道」と呼ばれる別の教え

◆「常見」と「断見」を離れる
「常見」「断見」は、ともに、体が死んだ後も続いていく魂のようなものを前提とした考え。仏教にはそういうようなもの(魂)はない。だから、そこから離れなさい。

◆言語表現による規定を離れる
本来はっきり区分できない「世界」を私たちは言葉で切り分け、「世界」を理解したつもりでいる。言葉と、「世界の表れ」の中間を行け。そうしなければ、切り分ける前の「世界」へたどりつけない。(主に大乗仏教での教え)

*上記は、下記youtube動画をもとに筆者がメモしたものです。受け取り違いなどがある可能性があります。


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