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あなたはわたしがこの世界に生きた意味でした


2022年3月4日(金)天気は晴れ  めっちゃ晴れ
の日に 公開された 映画「余命10年」を見てきた。
この昨品に出逢ってから 現在 までを 少しずつここに綴ろうとおもう。


昨年の9月に この小坂流加さんが書かれた小説「余命10年」の実写映画化が発表され、わたしはそれをTwitterで知る。そのときわたしはこの作品を知った。 何も知らなかったそのときのわたしが言葉を選ばずに正直に言うと  在り来りのやつ  だった。(ごめんなさい…)
何に対してもすごく感情移入してしまうわたしは 余命ものは どうしても泣いてしまう。昨品から得るものがとても多いが その感情移入がしばらくつづいてしまうので すこし苦手分野でもあった。

しかし数日後 本屋さんに寄ったときに この小説「余命10年」が目に止まった。【あれだ…】と 頭の隅に小さく置いてあった映画のことを思い出し、迷った末、手に取って ページを開いた。
まず 小坂流加さんのプロフィールを見た。衝撃を受けた。このタイトルにもある「余命10年」は作者である小坂流加さんの残りの時間だったことを知ったのだ。わたしはページをめくる手を止め、その小説をレジに通し 家に帰ってから読んだ。

読み終えたとき 茉莉ちゃんの言葉たちがわたしの心の至るところに生きた証として跡をつけていた。
泣いた。めちゃくちゃ泣いた。そのときの気持ちを表せる言葉をしっかり選びたいけれど …  でもむずかしくて、上手く言葉にはできない。

きっとこの言葉選びはじぶんの感情とすこし違っているが 「余命10年」の公開日を すこし怖さもあるが たのしみ にするようになった。


そして迎えた 3月4日。
朝いちばんの時間の回を観たくて 父に車で映画館まで送ってもらった。
ショッピングモールの中の映画館で 映画館以外はどのお店も営業してない みんなこの日を待ち望んだひとたちなのかと思うと とても心強くなった。

小説と照らし合わせながら  茉莉ちゃんと和くんが共に過ごす時間をどんどん愛おしく思うようになっていく。

茉莉ちゃんと和くんが目を合わせ笑う瞬間、
手と手が触れ合う瞬間、
結末が分かっていても お願いだからこの時間がずっと続いてほしいと願ってしまう。


春になると桜が咲き 風に吹かれて花びらが舞い、
夏はだいすきなみんなと 海に行ったりお祭りに行ったり、
秋になると 木々が紅葉する、
冬は  だいすきな和くんと ゲレンデへ行く

この当たり前のように 背景にある季節の色と共に 時間の経過  茉莉ちゃんの命が尽きる瞬間へのタイムリミットが迫る 切なさ を感じた。

「さっさと死なせてくれ」そう思っていた茉莉ちゃんが「生きたい」と言葉にした瞬間、さっきまで我慢できていた涙が 溢れて止まらなかった。泣いた というよりも 嗚咽 だったかもしれない。
場内の至るところで 鼻をすする音が聞こえたのでこの場面に胸を締め付けられたり 心を大きく揺さぶられたりしたひとが多いのではないだろうか。

茉莉ちゃんが背負ったものは きっとその立場にならなきゃ分からないものばかりだと思う。

過ぎ行く季節を特別に愛おしく思うこともなく  ただ漠然と今を生きてきたわたしが  もし、望まない人生のゴールテープが見えたら そのとき どうするだろうか。

茉莉ちゃんが家族にはじめて弱さを見せたとき 茉莉ちゃんにとって生きることが希望に変わっていた。
「可哀想」「切ない」そう言えばそこまでだが  そこで終わるものではない。

茉莉ちゃんから放たれる 生きようとする力の光が わたしの心に降り注いで包んでくれた。

小説を読んだときに心に跡をつけた茉莉ちゃんの言葉、そして小松菜奈ちゃんが演じた茉莉ちゃんの目の奥でじわじわと熱さを増していく 生きようとするエネルギー、
人間らしい脆さはもちろんあるけれど 強くて 眩しくて とても美しい。


茉莉ちゃんとお別れしたあとの世界で  光の方へ進んでいく和くんと共に、わたしも限りある人生を 自分だけの色に染めていこう   命のある限り  生きよう  そう思えた。



いつ何が起こるか分からないが   生きるという希望を自分のペースで辿って生きよう と思う。




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