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(個人記録用)『オッペンハイマー』初見鑑賞後のX(旧Twitter)での自分の投稿をまとめてみる

※サムネイルの画像は映画公式サイト(映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開 (oppenheimermovie.jp))より引用。
 この記事は映画『オッペンハイマー』鑑賞後に勢いで連投ツイートしまくった記録を保存するためのものです。つまり完全初見リアクション。一部加筆修正したうえでこちらに転記。

 『オッペンハイマー』、小さな努力と衝突と喪失を淡々と積み重ね「成功」を機にそれまでの布石をひっくり返していくような展開でハラハラしながら見てた。言葉にするのが難しい衝動や感覚をまばゆいばかりの光と音で表現していて圧倒されたのでIMAXとか音響のいい映画館で観るとより味わえるかも。
 時系列が行ったり来たりするから話の筋を呑みこむのに時間かかったし正直ぴんときていない部分もある。もう一度見直したいぐらい。何度も見返して咀嚼したい。上映後にパンフレット買おうとしたら、同じく本作を観たと思われる初老の紳士がレジのスタッフに「わからんかった……難しい。パンフレット読まなわからんわ……」と話しかけていた。けどオッペンハイマーが何故その選択をとるに至ったのかというヒントは彼自身や周りの人物の言動で明確に示してあるので割とそこはわかりやすい。ああ仕方ないなそうだよな、彼はそうやって追い込まれていったのかと思うと同時に、見ていて居た堪れなくなった場面、腹立った場面もあった。努力が報われ歓喜するシーンなんてただただ狂気だったし、これは伝聞や知識に基づいた私の個人的な価値観がそうさせたのかもしれないが、明らかに「そう見える」ように撮ってあった。あれは喜びの場面ではない。狂気、取り返しのつかない過ちを表現しているのだ。
 作中に「結果に同情しろと?しっかりしなさい」みたいな台詞(実際にはこの台詞の前半にもう一言二言あってそれで一片の言葉になっていたけどど忘れした)があったけど「まじでそれな」みたいな心境でしたよ。何かを拠り所にして罪悪感を消そうとする気持ちはわかるけど逃げていてもいずれツケは回ってくるじゃん。
 しかし本編ではオッペンハイマー自身の見たものしか色彩をもって映らない、たとえば原爆のもたらした結果を直接描写しなかったので言い換えれば彼が直視できなかった惨状を想像できる人とできない人で受け取り方は大きく変わるんじゃないかな、とも思うのだ。
 彼自身は人より「見えている」側、言い換えれば人より知識や能力があり、専門家ゆえの先を見通す視野が、想像力がある側の人間として描かれていて、故に直に見ていない、可視化できない物事によって追い詰められ苦しめられる描写が凄まじかった。その苦しみは、彼を称える人々、あるいは彼を糾弾する人々には想像もつかないだろう。痛みを分かち合うことはできないだろう。登場人物はもちろん、見ている側の人間にも「無知の知」を問いかけてくるような苦しい場面だった。

 折に触れて感じるが、我々の生活や歴史や人生や世界に強くリンクするテーマ、素材を扱った作品には時として「全てを描けていない。〇〇という要素を無視している」という指摘をする人がいる。けどそれでいいじゃないかと私は思うんだよね。作品(特にフィクション)はそのテーマを知るはじめの一歩、新しい世界への扉だから。扉にすべてが描かれているはずないだろう。もっと言えば扉が、貴方の思うほど無知なはずがないだろう。敢えて描かないのだ。敢えて示さないのだ。開いた扉の向こうへ、私たちが自分の意思で踏み出すために。
 ただ大事なのは「知ろう」と決めたならしっかり勉強した方がいいということ。というか「物語ひとつを見ただけですべて知った気になるなよ」ということ。この映画を観てどれだけの人がその先を知ろうとするだろう。そんなことを突きつけられたような作品でした。『ゴジラ-1.0』の山崎貴監督が「アンサーの映画を日本人として作らなくては」とコメントしていたのも頷ける。見たい。
 というわけで感想おしまい。にしても色んな人が「原爆」を利用していたんだな。成功も脅威も発明者の存在も責任の所在も恨みの矛先も全部、目の当たりにしなかった人からすれば都合のよい手軽で貴重な材料なんだな…

元ツイートはこちらよりご覧いただけます。一介の初見感想呟き集でした。まとめようと思っていて気付けば2か月経っていたぜ。


いつもなら作業時聴いていた音楽のリンクを貼ったりするのだけれど、今日は久しぶりに無音状態で書いていました。ので割愛。

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