見出し画像

拝啓、いつかのホームズとワトソンへ

  写真は今住んでいる部屋にあるホームズ関連本、というか少しでもホームズ要素がある本まとめ。BBCの『SHERLOCK』関連が多いのは沼に落ちたからです。まだ沼の底が見えない。あと去年まで高校生だったこともあってホームズ関連本は図書館で借りていたから、まだまだコレクションが少ないし映像作品もそこまで見ていないのだ。時間をとって勉強したいところではある。
 閑話休題。今日は私が最初に出会ったホームズ作品について話したい。
 ホームズとワトソンを知ったのは田舎の親戚の家から引き取った大量の児童文学全集の中の一冊から。ページも黄ばんでいて、海外文学の文体も古い言い回しが多い。明らかに昭和時代のものだ。同じ本にはキプリングやディケンズの短編、チャーチル首相の伝記、『不思議の国のアリス』などがあったと記憶している。
 さて、ホームズだが『まだらの紐』『焼けあとの死体』『ブルース・パーティントン型設計書』『ぶな屋敷』の四作が収録されていた(※『焼けあとの死体』という邦題にはその後お目にかかっていないが内容は『ノーウッドの建築家』である。尚この文章中では『焼けあとの死体』で統一させていただく)。今思えば編集サイドの好みが垣間見えて面白い。私なら初見さんに『ブルース・パーティントン』は勧めない気がするし、勧めるなら『唇のねじれた男』『ボヘミアの醜聞』のような初期かつ死人が出ない話を中心にするかも。
 対象が児童向けだからなのか翻訳というより翻案、アレンジが多かった気がする。例えば『焼けあとの死体』のラストで家政婦レキシントンに台詞があったり、『ぶな屋敷』のラストでヴァイオレットとアリスが出会って「髪がそっくり!」と驚いたり。後になって他の邦訳を読んだ時に大いに困惑したものだ。
 それでも、今でも内容をほぼ思い出せる程度には読み込んでいた。ややいかついけど読みやすい文体だったし、ホームズの口調には無邪気さが、ワトソンの口調と地の文には大人の男らしさがあって親しみやすかった。挿絵もかっこよくて私の好みだった。
 『まだらの紐』を読んでから「ホームズ普段は朝寝坊なのか。可愛い」とか「ホームズも緊張するんだな」と、名探偵の人間味にニマニマした。ホームズの多彩さにも心惹かれたし、隣室からの断末魔を聞いた二人の気持ちを思うとざあっと寒気がした。何せ村はずれまで聞こえる悲鳴だ、間近で聞いたら心臓に悪い。ホームズはワトソンを連れてきて正解だったのだろうと思った。
 『焼けあとの死体』を読んだときは「え!ワトソンいつから221B出てたの⁉」とびっくりしたし(そういえばワトソンの結婚については四作通して言及されなかった気がする。混乱を防ぐためかも)、犯人が予想の斜め上だったしレストレードを論破したホームズが痛快だった。一番最初に好きになった作品だ。文字通り飽きるまで読みふけった。
 その後にハマったのが三番目に収録されていた『ブルース・パーティントン型設計書』。先ほど私ならこの話を初見さんには勧めないかも…というようなことを述べたが、当時の私は兄のマイクロフト登場が嬉しかった。ホームズってお兄ちゃんいるんだ! ずっと一人だと思ってた! あと前作ではいけ好かない感じだったレストレード警部がいい人になっている! ホームズにものすごく馬鹿にされるけど!今思えばあのけなし度合いも訳者のアレンジな気がする。あと今になってあの話におけるマイクロフトとレストレードの関係に疑問が湧いたのだけど、突っ込みだしたらキリがないのでまた別の機会に。ピッキングして他人の家に上がり込み、勝手に、しかも痕跡を残さないように家宅捜索しているのがかっこよかった。
 逆に吞み込むのに時間がかかったのは『ぶな屋敷』。依頼人のヴァイオレットに相好を崩すホームズを見て、なぜか混乱したからだ。『まだらの紐』のヘレンとのやりとりでは一切違和感なかったのに、他の作品にもそのような描写はなかったのに、頭の中で勝手にホームズは女性が苦手、という固定観念が出来ていたのだ。もっとも他の作品を読んで固定観念は確信に変わったのだけれど。あと色々怖かったから。主人とその幼い息子、そして息子の性格から主人の狂気を推測する話。ホームズの説を読んで「決めつけはよくないよ」と思ったが、ホームズが言うんだから間違っていないのだろうし、実際主人はどこか怖いし。なかなか家庭教師らしい仕事をさせてもらえないのも不気味。あと犬も。なんだかそういう色々な違和感が一気に体内を駆け巡って、再読するのにかなりの時間を置いた。
 とまあ、こんな風に私はホームズとワトソンに出会った。ありがとう文学全集。そういえばホームズが収録されている本だけは読みすぎてある時背表紙が剥がれた。ホームズの話以外にも面白いものが多くて(前述したチャーチル首相の伝記も面白くて小3にしてボーア戦争に詳しくなってしまった)、重かったのに四六時中手放さなかった。結局文学全集は全部読み切って数年経ったのちみんなまとめて資源回収のトラックの荷台に積まれ、私は次第に児童書からライトノベルと文庫本へ趣味を移行させていくことになる。
 最近また正典のシャーロック・ホームズを手に取って読むようになり、余裕があるときは異なる邦訳を読み比べて昔のようにわくわくしたりはらはらしたりニマニマしたりしているが、ふと初めて出会った彼らが脳裏をよぎる。もう一度読み直してみたいがもう二度と会えないのだろうと思う。あの日出会った二人が今の私の『正典』のイメージだ。擦り切れ消えつつある記憶の中で、彼らの存在はまだ形を留めている。

作業BGM 映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のサウンドトラックより『Shoo-Rah! Shoo-Rah!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?