「嫌われるのが怖い」を育てると「あなたを愛している」になる話
「嫌われたくない」
先月まで、よく耳にしていた気がするのでこれについて書いてみようと思います。
私の中にも、ふりかえれば、あるある、です。
嫌われたくない。
好きな相手、大切な相手だけじゃなく
一般的にざっくりと、嫌われたくない。
これはあれですかね。
群れをなして生きる動物の本能。
昔は、群れからはぶかれることは命に直結していたのだし、今だって、テクノロジーの時代とはいえ、そう変わらないのかもしれない。
物理的生命の危機はないとしても「人間としてどう生きるか」というそっちの方の「生命」には、けっこうな影響があるのだと思います。
最近、TRAHA というオンラインゲームをやっています。
このゲームでは、とある心理実験のため、あえてソロプレイヤーの道を選択していますが、ギルドやパーティーのない不便さを感じまくるこの頃です。
独り身の気楽さはあるのですが、この世界を堪能するには仲間がいるよねーと、とてもとても思うのです。
できることも違うと思います。
きっと私が思っている以上に。
それでも、ソロでゲームは続けられます。
つまりは、その世界で生きていける。
プレイヤーとしてその世界にあり続けることが可能なわけです。
だけど、それじゃおもしろくなくなるんです。
2人以上でなければ
3人以上でなければ
もっと大勢でなければ
できないこと
というのが、ゲームの世界は全体を見渡しやすいので、くっきり明確に見えます。
世界の全体像を見ることがなかなか難しい実際の生活も、同じだと思うんです。
「仲間と何かを成し遂げたい!」とまでは思っていないとしても、多くの文明社会に生きる人は物理的な生命の危機ではなく「人としての自分の意味」「自分の人生の価値」「より充実した人生」といったものを失いたくなくて、群れからはずされることを本能的に恐れているのだと思います。
それが現れたシンプルな思いが
「嫌われたくない」
だから、切実です。
嫌われることをとても恐れます。
嫌われたら「どんな人生を過ごすか」に影響が及ぶんですから。
・人生で何を見るのか
・人生で何をするのか
多くのものが用意されているこの世界で、ほぼ何も見ず、何もせず、終わる。
「私は人生でこれがやりたい!」というものがない人ほど、漠然とこのことへの恐れを持っているように感じます。
まあ、それがわかったところで
誰もが
「あ、じゃあ、嫌われるのを恐れるのやめよー!」
となるわけではありませんし
「人生でこれがやりたい!」
というのがすぐに決まるわけでもありません。
じゃあ、どうしようかな?
って思った時の処方箋も、何が効くかは人それぞれ。
見つけていくしかありません。
こう言っちゃ身も蓋もないかもですが。
ただ、嫌われたくない という思いは
いい感じに育てていくと
あなたを愛している
に変容していきます。
すると、全部まるっといい感じなんです。
結局のところ
こうなったら嫌だ
ではなく、
こうなったらいいな、
なのです。
恐れはある。
避けたいものもある。
そこから逃げるのではなく
それが、では、どう変化・変容したら素晴らしいか
を考える。
そして小さな一歩を踏み出し続ける。
小さな、一歩。
これ重要。^^
一発逆転大ジャンプで上に高く飛ぶのもいいんだけど
ーーーーーーーーーーーーー>
この方が楽だと思うんです。
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