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成功者の好むものを好むべし:リラックマのスマホケース?!

(実在の成功者モデルたちをひとりの人物「先生」として描く小説です)

 先生とカフェに入って、先生のオーダーしたバナナスプリットとピーチメルバを待っている。

 何を隠そう、この時間は私にとっては試練の時。

 何が試練かと言うと、会話!

 私には先生と共有する話題がないのである。
 生きている人生の違いをひしひしと感じながら困っていると、先生の方から口を開いてくれた。

「その携帯ケースは、色気がないなぁ」

「え、これですか?」

 昨日買い換えたばかりのスマホケースは、革製のノートタイプでベビーピンク。これまでの私はプラスチックの1000円くらいのカバーを使っていたのだけど、先生と知り合ってから女性らしさや上品さを意識して、これに変えたところ。お値段もまあそれなりにした。

 なのに、色気がない・・・?!

「うんうん、君らしいね。機能優先!」

「そんなことないですよ。私、機能性なんて考えてこれを選んでませんもの。色味も女性らしいもの意識して選んだんですよ。私のこれまでの好みとは違うものです」

「じゃあ、なぜ、後ろにぱかっとはめるタイプではなくて、ノートタイプなの? あと、なぜボタンでとめるタイプなのかな?」

 先生は楽しそうに笑っている。

「それは、画面を守れるからですね」

「機能優先」

「う・・・!」

先生はテーブルに置かれた私のスマホを手に取って、ケースの扉を開いた。

「ここに、カード入れもついてるね。機能優先」

「それは、ほとんどの手帳タイプについてるんです。私はスマホケースにカードや名刺などを入れるのが好きじゃないから、入れてないですよ。そこは作り手がそうしたってだけで、私が機能を優先したわけではありません」

「でも、これを選んだんだよね?」

 先生はスマホを私の顔の前に突き出してひらひらと振った。

「素敵な女性というのは、そもそも、これを選ばない。こんなのがついていたら嫌!ってなるんだ。でも、君は受け入れた。そこが間違い」

 先生には以前から女性らしさが足りないと言われていたので、あえて好みではないピンクのレザーのスマホケースに変えた、その翌日に、がっつりその選択を否定されてしまった悔しさと残念さとで、私は精一杯抵抗したい気持ちだった。
 けれど、このひとの言葉の向こうには私が知らない豊かな世界が広がっている。それは確か。

「じゃあ、どんなスマホケースがいいのか一緒に買いに行ってくださいよ!」

 抵抗と期待と両方が混ざった私の気持ちはそのまま声にも表れていた。

 先生は当然のようにうなずいた。

「そうしよう。今の君の感性で選ぶべきじゃないからね」


 それから1時間後、私たちは大手電気屋さんのスマホケース売り場にいた。
 床から天井まで壁一面びっしりスマホケースが並んでいる。

「うわ、こんなに種類があるんだ!!!」

 その量に圧倒されていると

「こっちにおいで」

 私の目には入っていなかったさらに奥のエリアから先生の声がした。

「君にぴったりなのを見つけた」

「え、もうです?」

 先生はものすごい量の中からあっという間に「たったひとつ」を見つけ出したようだ。呼ばれた方へ行くと、銀色の袋に入ったスマホカバーを「はい」と手渡された。

 重い。

 それが最初の印象。

 え、こんな重いのバッグに入れて歩くの?
 やだなぁ。

 と思いながら裏返してデザインを見ると、なんとスワロフスキーがびっしり埋め込まれていた。しかも、その絵はリラックマだった。

「リラックマ? いい大人が、リラックマですか?!」

 冗談かと思ったけれど先生は本気らしい。

「かわいいし、癒されるじゃん」

「いや、かわいいですよ? それはそうです。私の姪っ子もリラックマ好きです。でも、でも、いい大人がリラックマのスマホケース? これ、高校生とかが持つやつですよね?」

「大人の女性が持つからいいんだよ。キラキラしてるのもいい。君はね、こういうのを愛すべき


 私が愛すべきは、このキラキラのリラックマの重たい、歳に合わないスマホケース・・・。

 
 しかし、抵抗していては、私の人生はこれまでの続きにしかならない。


 成功者のアドバイスは、聞いたら必ず実践する

 

 これも、先生が最初に私に教えてくれたことだ。

 私はこのリラックマと共に日常を過ごす覚悟を決め、購入し、すぐにケースを取り替えた。


 後にこのスマホケースは、様々な友人からバッシングを受けることになった。

 しかし。

 いわゆる「成功者」の男性達からは「いいの持ってるね!」「かわいいね、これ」と絶賛されたのである。


 成功者の好むもの、愛するものを、私も好み、愛すべき


 これも、先生の教えだ。

 それはヴィンテージワインであったり、乗馬であったり、クラシックカーであったり、諸々のラグジュアリーなものであったり、エクスクルーシブなものであったりして、庶民の私には手が届かないものばかりに感じていた。

 でも、あるのだ。こんなに身近に。手が届くところにも。



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