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好きなことをやればいい。

好きなことを追求していく時に
または
好きなことに没頭していく時に

それを妨げるのは

「他人の言葉」

これを気にする自分だと思うんです。


そんなことやって何か意味があるの?

そんなことばっかりやっていたら(何か悪いこと)になっちゃうよ?

そんなことばっかりやっているのは身勝手だ

etc 
etc
etc

そして、うなずいてしまうんですよね。

ああ、意味なんてないかも。

確かに、ダメになっちゃうかも。

そうだよね、もっと役に立つことをやらなきゃ。


コロナ禍の今において

私の生活で大きく変化したところは

自分がやりたいと思っていたのに「価値がないと思い込んでやってこなかったこと」をやれるようになった

・・・ということです。


これまでもやる時間はあったし
やる自由もあったのですが
人づきあいの中で後回しになっていました。

それが、不要不急の外出を控えたり
海外出張がなくなったりしたことで

やる時間が生まれたわけです。


ところが
それに没頭すると
ふと思うのです。


こんなこと、やってていいの?

それって、何かの役に立つの?

好きなことだけやって生きるなんて勝手だよ

そんなのまっとうな大人じゃないよ?


ひとつひとつ検討してみると

やっていても今のところ困ってないし・・・

私が没頭していることで喜んでくれる人もいるし(多少は役に立っているように思う)・・・

実際に「そんなことばっかりやってるな!」と誰かに言われたわけでもないし・・・

そもそも「まっとうな大人」って何? とも思うのです。


それでも
好きなことがあって
没頭できる今があることを
素直に受けとるのではなく

罪悪感みたいなものを覚えたりするんですよね。

この状況も永遠に与えられるわけではないのだし、ありがたく受け取っておけばいい、とも思うのですが・・・

これまでの人生で
自分が言われて来たことや
人が言われているのを聞いて来たことが

私の中で力を持って

「こんなことしてていいの?」

そう囁くのです。


そんな時、
もうこの世にはいないのですが
ある友人の言葉を思い出します。


”ひとりの幸せでささやかな願いを無視して、大勢の願いの方を叶えるべきだと考える社会など間違っていると思う”


幸せな気持ちの中で生まれる

私の小さな「やりたいこと」が

誰かの小さな「やりたいこと」が

実現されていくことで

幸せな社会になったらいいな、と思うんですよね。


そんな甘いことを、と、

またどこかで聞いた言葉が

私の中に立ち上がるのですが


スィートな世界で何が悪い。(笑)

共犯者を増やしたくて、これを書いています。
ふふっ。


一度きりの人生。
今日も人生。
どう過ごそうか。

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