それで、0点(5)~いらない縁~
(実在の成功者達をモデルにし、ひとりの人物「先生」として描く小説です)
3日経っても田中君からは何の連絡もなく、逆に智子からは「あんた本当にバカだね!だから言ったじゃん」といった感じのメッセージが何通も来ていた。それに返信するのももう面倒で放置していた。
私がメッセージを読んだことが相手にわかる機能って、こういう時は特にいらないと思ってしまう。でも、これだけスルーしていたら、既読したことが通知されようがされまいが、同じか。智子には「返信がない」ことが私の気持ちって伝わっているよね。
やるべきことから逃げているような気もして、スマホを見るとなんだかもやもやした。
「はっはっはー!洗礼浴びたかー!」
私が彼と別れたことを話すと、高橋さんは嬉しそうに大声で笑った。
「洗礼?」
「今までの友達がいなくなるね」
「高橋さんもそうでした?」
「いなくなったねー」
高橋さんはにやっと笑ってぐるりと店内に視線を巡らせた。
高級ブランドのブティックに併設されたカフェのティータイムは、女性客でいっぱいだ。しかもここは、ソファがピンクやパープルだったり、猫足のテーブルやチェアが並んでいたり、フルーツを全面に推した見た目にもかわいいデザートで有名なところ。がたいのいいスキンヘッドの高橋さんが好んで来る場所には見えない。それでも、上品な薄いピンク色のジャケットを羽織っているためか、いい感じで馴染んでいるのが面白い。姿勢も綺麗だし、大人の色気も漂っている。うん、むしろ、お店側は黒とかグレーの「THE 普段着」に見えてしまう服装の人よりも、こういう人に来て欲しいのでは、と思えてくる。
だけど、昔の私なら間違いなく高橋さんの方を「変な格好のおじさん、場違いだなぁ」と思ったはず。数が多い方が正解とばかりに無難な格好をして、実は人生を愉しんでいる素敵な人を批判したり見下したりする。笑っちゃうな。
「インスタにこういうところに来てるのアップしたり、こんな色のジャケット着始めた頃は、けっこう色々言われたよー」
高橋さんはものすごくいいことがあったみたいな笑顔でそう言った。
「楽しそうですね・・・」
私は、田中君にふられたことも、智子にからかわれたり怒られたりしたことも、そんな風に嬉しそうに笑って話せない。
「うん、ネタネタ」
「ネタかぁ・・・」
「まあ、今はそう思えなくても、いつかさ『こんなことがあったんだけど、あれでよかったのよー!』って誰かに話してると思うよ。だったら、そのいつかを今日にしたらいいじゃん。いいことは先取り先取り」
高橋さんはそう言うと、ケーキの上に上品にのったイチゴを口に運んだ。
「うん、うまいなぁ。ちょっと生意気な女の子と楽しくおしゃべりしてるような味だ」
「どんな味ですか、それ」
「そのままだよ。・・・御厨、ふられたことばかり考えてて、この味を楽しんでないだろ。・・・よし!」
高橋さんはそう言うと、スタッフにシャンパンをオーダーした。
「乾杯しよう」
ふられたのに、お祝い?
腹が立ちそうな場面だなと客観的に思いはしたけれど、私の気持ちは思考とは裏腹にあたたく幸せになっていた。
「御厨、0点記念に乾杯!」
「0点?」
「マイナスがひどかったけど、余計な縁が切れて0点になったからねぇ」
「えっ、えっ? マイナスって私の彼や友達のことを言ってます?」
「そういうのが周りにいたってものすごく君にとってマイナスだったよね」
その言葉は何だか素直に受け入れられなかった。
誰かの存在を「マイナス」だと言うなんて、なんだか嫌だ。
「なんだよ、そのいやらしい正義感」
言葉に出さずとも思いは顔に出ていたのだろうか。高橋さんはシャンパンを一口飲むと、きりっと襟元を正した。
「御厨。お前、その友達とか元彼を批判してみ」
「批判、ですか?」
「そう嫌な顔をするなよ。人の悪口を言ったらいけないとか、批判したらいけないとか教えられて生きてきて、それを鵜呑みにしてるな、さては」
「悪口はいい気持ちしないですよ。言う方も、言われる方も、聞いてる人も。だったら、言わないのが一番だし、言うなら本人に直接言います。愚痴るなんて・・・」
「ばーか。誰が愚痴れって言った。愚痴は俺も嫌い。じゃなくて、批判しろって言ったの」
「批判・・・」
そうつぶやいたきり言葉が出てこない私を見て、高橋さんは手を差し出した。
「ケータイちょうだい。はやく、ほれほれ」
私はスマホを高橋さんの大きな掌に乗せた。
「パスコードは?」
「は?」
「パスコードだよ」
「そんなの教えられませんよ」
「へえ?」
高橋さんは興味深そうな顔をしてスマホ画面を私の方に向けると、
「じゃ、解除して」
と言った。
私は渋々指をホームボタンに乗せた。
高橋さんは「写真」をタップして開くと、太い指でスワイプしながら何かを探し始めた。そしてわりとすぐにニコッと笑って画面を私に向けた。
「これ、元彼?」
「・・・そうですけどぉ」
田中君と2人で頭をくっつけてロマンティックなクリスマスイルミネーションを背景に自撮りした写真。そりゃ、彼だとバレるよね。
「彼の格好についてどう思う?」
「どうって・・・」
「思ったまま言ってみ」
「ん・・・。無難な格好だなって」
「バーカ、お前の回答が無難なんだよ。もっと、本当に思ってることをちゃんと言葉にしてみ」
「・・・人生に遊びがない服着てるなぁ。温かくて、清潔で、普通であればいいという服。色で自分自身や周りを楽しませようとかそういう考えは一切持っていない人の服。クリスマスイルミネーションがかわいそう」
「それって、いいの?悪いの?」
「・・・いい悪いじゃないと思います」
「いい悪いで言うんだよ。御厨はどっちだと思ってるんだ?」
「・・・よくない」
そう言った途端に、蓋をして閉じ込められていた私の思いがぽん!とどこかで弾けて一気に飛び出してくるのを感じた。
「貧しい心がそのまま現れてるんですよ、服に。機能だけを優先してて、豊かさがない。目立たないように、周囲と馴染むように、そう教育された家畜が好む服。普通がいいって何? 普通がいいって、自分のことしか考えてないんじゃんって思う! 私といると、自分も頑張らないといけない気がするから元にもどって欲しいって何? 私と釣り合おうと努力したらいいじゃん。そんな彼女がいて嬉しいって思えないなんてどうよ? 大体、大して頑張ってもないじゃん! ほんのちょっと素敵になることを、頑張るなんて言わないで欲しい。田中君は間違ってる!」
「おー、批判できるじゃん」
高橋さんはお店の迷惑にならないような小さな音をたてながらパチパチと拍手した。
でも私は、言い終わった途端、一気に罪悪感に包まれた。
私に誰かに間違ってるなんて言う権利があるだろうか。
普通でいたいと思うことは、そんなに悪いことだろうか。
ただ、私と考えが違うというだけで間違ってるって言うなんて、私は傲慢じゃないだろうか?
「だから、批判しろって言ってるんだよ」
口には出さなかったのに、今思ったことは高橋さんにはお見通しらしい。
「私の心、透け透けなんですね」
「顔に出るもん、御厨」
高橋さんは楽しそうに笑った。
「お前の中にある『これまでの常識』は案外、手強いぞ。そうやって、なにかにつけて出て来て上へ昇って行こうとするお前の足をひっぱる。覚えておけ。その『常識』は、お前が今までいた世界のものだ。元彼だろうが友達だろうが、偉い人だろうが、店だろうがなんだろうが、それはおかしいと思うものを、しっかり批判しろ」
「しっかり、批判・・・」
「お前がなってはいけないものをしっかり認識しろ」
「なってはいけないもの・・・」
「彼らを擁護することは、元に戻ろうとするお前自身を擁護することだからな。あれはおかしい。まちがっている。こうあるべきだ!って常に理想を見て、自分に叩き込め」
「だったら、わざわざ他人を批判しなくても、自分を批判してればいいんじゃ・・・?」
やはりどうしても、誰かを批判するのに抵抗が生まれる。
「楽な方に逃げるなよ、御厨」
そう言うと高橋さんは私のSNSのリストを開いた。それから田中君を見つけると私に見えるように彼を削除した。
「ちょ・・・!」
「なんだっけ、仲よかった女の子」
「え、あ、智子?」
「どれ?・・・あ、これか」
リストの上部に表示されているので難なく智子を発見した高橋さんは、同じように彼女も削除してしまった。
「ワイン会の写真に冷やかしのメッセージ入れてた奴らも消しなよ」
そう言いながら、悪びれもなくスマホを私に戻す。
結局、抵抗がありながらも、私は彼らの名前も高橋さんの目の前で削除した。高橋さんはそうするまで譲らないのが伝わったから。
「御厨、人間関係、0点記念!さあ、マイナスがなくなった」
高橋さんはガハハと笑ってワイングラスを持ち上げた。
「乾杯〜!」
でも私はまだ乾杯する気にはなれなかった。
「土足で心を踏みにじられた気分です・・・」
正直に感想を伝えると、高橋さんの目がパッと輝いた。
「ほんと? 俺、いけてるなぁ。先生に一歩でも近づけてるかな♪」
「はぁ? 褒めてないですよ」
「いいや、褒め言葉だよ。先生は土足で心に入り込んで荒らして、そして何もフォローしないで出て行ってくれる。愛情深いよなぁ・・・」
ああもう、この人(たち)の常識は訳がわからない。
でも、もう、古い常識はいらない。
そんな気はした。
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