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小説「ラパラパ」

 つくづく私はツイている。びっくりするほど環境に恵まれている。仙台にゴジラはいないし、死ね虫も少ない。それに名掛丁ではラパラパを幾らでも飲める。商店街のベンチに並んだ空きカップを眺めていると、胸にじわじわとした充足が湧いてくる。それは身長が高くなったようで、テストの点が上がったようで、誰かが自分の代わりに叱られているみたいだった。
 たぶん、そんな感じだ。

「また飲んでる」

 私に話しかけたのは、やはりCだった。こんな昼間に会いに来るのはCくらいだ。茶色い髪が少し伸びて、柔らかそうな厚手のセーターを着て、柔らかい体を覆っている。抱きついても痛くないようにこれを着てくれってお願いしたのだけれど、本当に着てくれたんだ。それはもう、見かけた途端に飛びつきたいような気持ちになったけれど、出来るだけスンっと、スンとした音が鳴るようにした。今の私は反抗期だからだ。

「また来たんだ、何か用?」
「Aがあんたの様子を見てきてってさ。明日には帰ってきなよ、明後日は雨の日だから」

 Cは口うるさいけど、そんな所すら好きだ。私が甘えられるのはCくらいだ。ここの人たちは皆、ドライというか素っ気ないというか、我が強いから。私はCのことを姉のように想ってるし、Cの前では妹っぽく振舞おうとする。

「もう一か月も経ったの? 早いね」
「あんたみたいに遊んで過ごしてたらそうかもね」
「ぺっ」

 地面にラパラパを吐き捨てる。よくないことだ、やっちゃいけないこと。

「あーあ、Aに怒られるよ」
「あんなやつ知らなーい」

 そりゃあ怒るだろうね、「口の中に吐けばいいじゃないか!」って具合でさ。私だって食べ物を粗末にするのは良くないと思うよ。でもさ、気分が良いんだよね。だって私は選ぶことが出来るんだ、ストローで吸い出したラパラパを食べてもいいし、吐き出してもいい。ミルクの甘さよりも自由が美味しい。

「まったく、折角Aが起こしてくれたってのに」
「頼んでないもんね」
「……ま、それもそうだね。じゃあ私はもう行くから、早めに帰ってきなよ。あの中を合羽で歩くの、もう御免だからね」

 少し強い風が吹いた。吐き出されたラパラパが転がって、タイルに湿った跡を作る。明日には雨に流されてしまう、かわいそうなラパラパ。私のラパラパ……気が向いたら拾ってやるよ。


「いい加減にしないか!」

 全身に水を被って鼠になった私に、更に大声が浴びせられた。大きな声は嫌いだ、Aのそれは優しさの含まれた声色だけれど、だからこそ悪いことをしたんだなって気分になる。Aは合羽を着ている。なんだ、やっぱり探してくれようとしてるじゃん。うー、寒い。玄関のコンクリートに黒く水たまりが出来ていく様は何とも惨めだ。セーフハウスの暖かい照明が余計に疎外感を生む。

「だってさ、ネカフェの個室には時計が無いんだよ。それにちょっと昼寝しただけじゃん? こんなに経つとは思わなくってさぁ」
「夢には車も海もない、人が死なないようにだ! そんな中で洗浄雨は最も危険なんだ、命を落とさないとも限らないんだぞ!」
「とかいって実際に死んだ人なんていないでしょ?」
「それは管理者に選ばれる人間は優秀で、雨の時間にはしっかり避難しているからだ。君はこれで三度目だぞ! 分かっていると思うが、夢で死んだら現実でも死ぬんだ……もういいから、早く風呂に入って体を温めなさい。ここには風邪は存在しないけど、冷えると体に悪いから」

 私が可哀想になったのか、Aは説教を早めに切り上げた。Aの言うことは真っ当で優しいけど、あんな大雨くらいで死ぬことは無い。Aは私を子供扱いしすぎじゃないか? そう思った途端、なんだか無性に腹が立ってきた。

「別に私、管理者になりたいなんて頼んでない」

 これを言うと、Aはひどく複雑な顔をして困る。何だか怖くて、わけを聞いたりは出来ないけれど、Aが少し優しくなる気がして、言ってしまうことがある。あるいは、私は悪い子なのかもしれない。

「仕事は頼んでないじゃないか」
「それは私がバカだからでしょ」
「……君みたいな若い子に仕事を覚えてもらった方が将来の為だと思ったからだ」
「嘘つき、だいたい十歳しか変わらないじゃん」
「どうしてそんなことを言うんだよ」
「だって、そうやって、澄まして、良い事ばっか言って、何も悪いところがないみたい」

Aは、感情に任せて怒り過ぎたりしない。よくできた大人だ。そして私は、まだまだガキ。甘えていたいし、対等でいたい。ぐしゃぐしゃでよくわからない。世界はこんなに私に優しいのに、何が気に食わないんだろう。

「現実のこと何にも教えてくれないくせに!」

 私は外に駆け出した、名前を叫ぶ声を遠ざけながら。濡れつくした衣服に白くて暗い雨が衝突する。ばつばつばつばつ。シャッターのしまった仙台は谷底みたいだ、無機質に私を見下ろす。明かりが見えなくなるまで走って、息が苦しくなってから、ようやく寂しくなってきた。あーあ、素直に言うことを聞いていれば、今頃あったかいお風呂でさ。Cの入浴剤をこっそり使うんだ、柚子のやつ。

「あーあ!」

 わざと大きな声で言ってみたけど、お前の悩みはちっぽけだと言わんばかりに、滝のような雨音がかき消してきた。雨水が多すぎて息がしづらい、上を向いたら溺れてしまいそうだ。普段は灯りをともしている街も、今日ばっかりは他人のように静かだ。私がどんなにかわいそうだって無関心を貫く。平気で流れるテレビのニュースみたいに。あれ、それって何のことだっけ?
 寒さで体がガタガタと震え始めるのに、奥歯を食いしばってみる。明日の朝には帰るにしても、流石に雨は避けないと本当に死んじゃうな。そう思ってから、更にもう少しだけ先に進んでみてから、高架橋の下に隠れた。重たくなった衣服を抱きしめて、密着する肌を温かさと勘違いする。轟轟轟と鳴る雨音は、その他の一切を感じさせなくて、ある意味で静寂だった。私しかいない、あとどれくらいかわからない一日を、たったそれだけ待てばいい。
 眠気すらも湧いてこなくて、だんだんと心細くなってきた。きっと、きっとAが助けに来てくれる。だってほら、こんな私を起こしたんだから。頭が悪くて仕事が出来ない私を、あの機械の箱から起こして、「好きに過ごしていい」って言ったんだ。きっとAは私のことが好きなんだ。だって私って可愛いから、だから夢に目覚めさせたんだ、たった二十五人しか起こせないのに私を選んだんだ。現実のことを教えてくれないのも、可愛い私には、きっと相応しい人がいるからなんだ……

「死ね」

 心中へ逃げる私へと、冷や水を上塗りするようなセリフだった。憎しみを絞ったような声色だった。暗闇の奥から、甲虫が袋の中で暴れるような耳障りな音がする。ジビビ、シジビビビ……

「死ね、死ね、死ね、死ね……」

 暗闇の中からわさっと、醜い虫が姿を現した。甲は泥水のように光沢を帯び、細い鉄線のような足が伸びている。発作的にひび割れた翅を震わせ、胴は羊の内臓のようにグロテスクで、糞尿のように曖昧だった。死ね虫。名前だけ聞かされていた、醜悪で恐ろしい虫だと。人間の為に完了した夢の世界において、唯一のバグだと。それが、群れになって、暗闇の中に蠢いている。細長い毛虫のような舌が、何をするためにあるのかは分からない。
 怖い、体が縛り付けられたみたいに動かない。どうしてこんな敵意を向けられているんだろう、私が何かしたのかな。逃げるのも怖い、叫ぶのも怖い。怖いことが、こんなに恐ろしいなんて思わなかった。体が固まるってこういうことなんだ。虫たちが徐々に迫ってくる、甲殻がぱくりと割れて、飛び上がる準備をしているように見える。腰を抜かした私の目前まで迫った虫の、細長い足に、和毛が生えている──瞬間、辺りが明るくなった。

「ひゃっ」

 光に照らされた虫たちは、不快な羽音を立てながら、その光の元から離れるように飛んで逃げた。それ自体、気絶しそうなほど悍ましい光景だったけれど、悲鳴を出せたのは……敵意が解かれたからだろうか。

「光には弱いんだよ、だから雨の日は危ない。どこも明かりを消してしまうから」

天井や壁に張り付き、光に照らされながら小さな声で「死ね、死ね……」と憎悪を撒き散らしている虫は、十分に気味の悪いもので、生理的に拒否反応の出る光景だ。それでもAは私と死ね虫の間に立って、後ろを指さした。ライトを輝かせた小さな車が停まっている。それなのにAはびしょぬれだった。

「特別だよ、本当はダメなんだけどね」

 ──橋の下からは、すぐに遠ざかった。速いのは知っていたけれど、車に乗るのなんて初めてだから、そんなにすぐに離れるなんて思わなかった。ビルが後ろへ後ろへと走り去っていく。暫くは行かないだろうな、橋の下。車内は暖かかった。それを意識してからは、何だかより一層、体が冷えているのを実感できたみたいで、濡れた服を全部脱いでしまいたいような欲求に駆られた。袖をぎゅっと掴むと水がぼとぼとと落ちて、シートが濡れたことに少し罪悪感を覚えた。

「ごめんね」
「……別に怒ってないし」

 ざらざらと車が走る中、先に口を開いたのはAだった。私が先に言おうとしたのに。変な不満が湧いてきたのを、悪ぶるふりをして打ち消した。やっぱりガキだ、私。

「ありがと」

 ぶっきらぼうに言ってみる。これで少し大人になれただろうか。少し嬉しそうな顔のAを見ると、ぜんぜんそんな感じはしないが。窓に映る自分の顔が不愉快だ。

「君はさ、現実であんまり良い扱いを受けていないんだ」

 Aはゆっくりと話し始めた。路上の石をも避けているような、徐行運転だった。

「だからさ、自分勝手なんだけど、可哀想になって、夢のなかだけでも楽しく生きてほしいなって思ったんだ。君を起こしたのは、それだけの理由だよ」
「はは、なにそれ、ホントに自分勝手だし」

 やっぱり私のこと好きなんじゃん……なんだか呆れたような、おかしいような、笑いが出てきた。あんなに賢いAが、そんな理由で。はは、ははは!

「あは、ははは! なんかさ、笑い、止まんないや、あはは!」
「怖かったね」
「……うん」

 帰ったら、お風呂に入って、早く寝てしまおう。悪い夢なんて見たことないから。


 雨の翌日は決まって休みだ。私は働いていないけど、Cと遊べるから好きだ。セーフハウスでゲームして過ごしたり、だらだらしたり……Cは仕事で疲れているから、そういうのが好きなのだ。そうして過ごして昼間になったら、私がワガママ言って連れ出したりする。街へ出ると、冷たく乾いた風が髪を揺らした。季節で言うと秋を再現している時期らしい。昼間は涼しくて過ごしやすいけど、朝や夕方は肌寒い。私は夏が好きだなぁ、ラパラパが美味しいから。しかし、秋に厚着をして飲むのも乙だな。思い立った私は、Cの手を引いて服屋へ行った。私はCにセーターを選んだ、セーターを着ているCに抱きつくのが好きだからだ、こうやって強引に押し付けると着てくれる。Cは私に赤いマフラーを選んだ。「赤が似合うと思って」だそうだ、好きだ……私はCに抱きついた。
 その後は、小さなファミレスに来た。金銭の概念は無いから高い店に行っても良いんだけど、気楽な店で食べたいし、ドリンクバーもあるから来た。まぁ、ドリンクバーって言っても、夢じゃ何処でも飲み放題だから、あくまで気分の話になる。普段はラパラパばっかり飲んでるし、気分転換みたいなものだ。私はラパラパ以外を飲んだって良いのだ。実際、管理人の特権は、申し訳程度に維持された街を使えるくらいだ。あくまで人類の共有財産だから、乱雑に使い過ぎたら投票で眠らされたりする。管理人にそんなバカはいないけど。私ぐらいだ、バカは。他の権限といえば、こんな世界があることを知る権利くらい。
 本当にそれくらいなのだ。管理人だからって、現実において優位に立てるわけじゃない。Aが現実の私を知っているらしいのも、狙った人間の人生を覗き見たりする権限があるんじゃなくて、管理人候補を見繕うときに、偶然覗いたりしたんだろう。悪事は許されない、例えば夢での殺人……永遠に寝ている一般人を殺したりなんかをしたら、投票以前にシステムに消されるだろう。ある意味ではディストピアなのだ。自由を愛する私からしたら、そんなことを考えても憂鬱になるだけだけれど、今は考えなくちゃいけない。管理人たる私には、世界を知る権利がある。だからCがお手洗いに行っている間、Cのカバンをこっそり弄る。目当ての物はすぐに見つかった。青いカプセル錠……私以外の管理人たちが食後に飲む薬、現実と夢を結ぶ、記憶結合剤だった。
 辛い思いをしている人間なんて沢山いる筈だ。その中で、Aは私をわざわざ選んで救おうとした。どんな目にあっているかなんて考えるだけで怖ろしい。結合剤を飲ませないのは、私に現実を見せないであげる為だろう。でもそれでは、私は責任をAやCに押し付けているだけだ、子供扱いが嫌なら、大人になって見せろ。
 帰って、お風呂に入ったりしてから、自室で横になる。夜の九時、寝られないこともない。

「大丈夫だよね」

 声に出してみても、不安は消えない。嫌な方へ考えていくと、なんだかいくらでも思いつく気がした。いじめられてたりするのかな、親が病気だったりとか。全身が痛い病気だとか。すぐに寝ればいい。寝ればいい。そうだ、本当は辛くもなんともないのかもしれない。Aがやっぱり……私の事が好きで、そうやって誤魔化したんだ。この説、いいな、馬鹿馬鹿しいけど汎用性があって、ふふ。そういうことにしよう。Aは私の事が好き好きででたまらないんだ。
 そう思うとなんだか安心して、すぐに眠れそうだった。


 暗い部屋……テレビの画面だけがチカチカと騒いでいる。これはなんだっけ……

「おはよう」

 ……あ、やだ、いや、あ、やだ出して近づかないでやだやだやだやだいやああああああああああああああああああああああああ! あ、あ、あ、あっ。探さなきゃ、探さなきゃ、探さなきゃ、探さなきゃ、探さなきゃ、探さなきゃ、探さなきゃ、強……い歯ごたえが魅力のたたきがです商店街では今朝釣れたばかりの海産物を取り扱っているんです、かつおのたたきをこちら頂いてみましょうみてくださいこの艶やかなそれではいただきますあまくておいしいですこちらただのかつおではないそうでなんとさくらのみをたべてここまでこえてふとってしまったねこのゆめをみているおまえはかごのふちをなめとってだえきでそだったかびをくっていきているんだそれではここで今週の……
 がちゃがちゃがちゃ。

「なあ、俺はお前に痛いと思ってほしくないんだ、やめてくれないか、一緒に人間になりたいだけなんだよ、もっと新しくなろう、希望を捨ててはいけない! ああ残念だ、右薬指の爪が生えてきちゃったか、俺に似ているなあ。大丈夫だ安心しろ、ぜんぜん痛くないぞ、もし痛かったら耐えられないからな」

 強連続1パラメータユニタリ群強連続1パラメータユニタリ群強連続1パラメータユニタリ群強連続1パラメータユニタリ群強連続1パラメータユニタリ群強連続1パラメータユニタリ群強連続1パラメータユニタリ……あああああああ!
 がちゃがちゃがちゃ。

「叫ぶなっ、叫ぶな! は、はあああ……俺は、涙が止まらない……どうして俺はこんなことになってしまったんだ。その姿勢もやめないか、まだNGワードなんて、探して、ここから出たいという気持ちが人間から遠ざかっていく、運命は大切にするべきだが、俺がそうでなかったように、頑張って探すんだかつての俺のようにNGワードをほら、なんとかって言うかもしれないぞ、アナウンサーが、名前が無いだろ、お前も、俺も、そっくりだ、誰に呼ばれることもないお前は俺に似ているんだ、そっくりだ、俺みたいだ」

 こちら流行しております若者の間で……おじいちゃんおばあちゃんには懐かしいでしょうタピオカミルクティーが……再び出店すると……名……


 あたたかい、痛くない……いたっ。ここは、ベッドから落ちてる。飛び起きた、頭がガンガンと痛い。顔が濡れている。セーフハウスのベッド、そうだ、ここで寝て……ひと、人じゃなくって、人に会いたい。私はふらふらと立ち上がって、リビングへ繋がるドアを開けた。

「あ、A……」

 そこで、ばったりとAと出くわした。Aは私の顔をじろっと見る。どうしよ、変な顔してないかな……なんて思ったら、ばっと抱き着いてきた。

「ごめん、ごめんな。俺が悪いんだ、俺が君を助けないといけないのに、俺は何か、夢を見ていた。惚けていたんだ。これが正しい選択だって……俺を恨んでくれ、Q」

 久々に名前を呼ばれた。Q、私が十七番目の管理人だから。あのAが泣いている。初めてだ。私も一緒に泣きたかったけど、何故だか涙が出なかった。

「Cは?」
「……伝えてない。出来れば、Cの結合剤を使ったのなら、Cには言わないで欲しい」

 Aは数秒困ってから、そう話した。こんな時でも大人な判断が出来るんだ。結合剤を使ったことも、やっぱり気が付けるんだ。腕の内にいるAがやけに遠い気がした。そんな私の心中を察してかは分からないけれど、Aは私を手放して口を開いた。

「A、私さ、ひどいことされてたよ」

 どういう反応が欲しくて言っているのか、自分でもわからない。変な昂ぶりが私をおかしくしてる。困らせたいわけじゃない。ただ、正解が欲しいのかもしれない。

「僕に出来ることがあれば、何でも言って欲しい」
「じゃあ助けてよ」

 ああ、違う、こんな声を出すつもりじゃなかった。そんな顔をさせる気じゃなかった。ただ、Aにも少しだけ子供になってほしかっただけだった。

「冗談、でもちょっと一人にさせて、いい?」
「……わかった。すまない」

 私は逃げるように自室に戻った。カーテンの隙間から日が差し込んでいる。一人になって気が付いたけど、泣けなかったのは、きっと少し嬉しかったからかもな、と思った。普段使っていない部屋は綺麗で、なんだかお誂え向きに思える。私は頂いたばかりのマフラーを手に取った。

「ようやく死ねるんだ、私は」

 私は自由で、食べることも、捨てることも出来た。


 幾度となく経験した、目が覚める感覚に絶望した。変わらない暗闇。テレビの音。手足に纏わりつく鎖。全部終わると思っていたのに。終わると思ってたのに、終わると思ったのに、終わると思ったのに終わると思ったのに!
 階段を下る音。探さなきゃ、探さなきゃ、探さなきゃ……殺人の罪を問われた被告に懲役十年の実刑判決が下されました大阪地方裁……ああドアが開く!

「ひゃっ」

 私は照らされた。眩しい。

「お、女の子一人、監禁されています!」

 若い男の警察官は、少し目線をきょろきょろとした後に、上着を私の体にかけた。自分の体がそうしたものであることを思い出した。程なくして、鍵を見つけてきた警官に拘束を外された私は、病院へと連れていかれた。道中幾つか質問をされた。私を閉じ込めていた男は死んだようだった。そうなんだと思った。ひどくどうでも良い事のような気がした。「あんな環境にいたのに会話が出来るなんて」という警官の会話が聞こえてきた。あらゆる大人たちの手によって、あらゆることが、とんとんと進んでいった。なんだか、この調子では普通の人間にされてしまいそうだ。何回か質問をされて、私には名前がないと四回言ったくらいで、「今日はもう休んでください」と言われた。何が何だか分からないのは、考える気が無かったのもあるし、力が無かったのもあった。何か言えるとしたら、こんなの自由とはとても呼べないけれど、今までよりはちょっとマシってことだった。


「Q……! Q! Q、起きてよ!」

 肩を揺すられて起きた。ああ、起きちゃった。まぁ、緩く絞めて、ちょっとずつ死のうって算段だったからな……Cの声が聞こえる。泣いていた。今日はなんだか、みんな泣いているなと思った。よくない日なのかもな、私のせいかも。

「生きてるよ、C。いえーい」

 そんなことを言ってみて、Cの顔を見る。ひどい顔をしていた、美人が台無しだ。とか思っていると、ぎゅっと抱き締められた。苦しいくらいにだった。なんだか、今日はよく抱きつかれるな、良い日なのかもしれない。

「良かった……」

 Cとは仲が良いつもりだったけれど、いざこういった場面で泣いてくれるのは、なんだかうれしいな。こんな苦しいくらい抱きしめてくれるんだ。Cの体温が高いからかわからないけど、私は本当に心が温かい気持ちになって、本当に死んじゃいそうな気分になった。

「ごめんねC、ちょっとやってみたかっただけなんだ」
「二度としないで! 勝手に死ぬなんて許さない」

 Cはより強く私を抱きしめた。暫くはそうやってしていた。Cは私を離したくなさそうだったし、私はCに抱きつくのが好きだからだった。とても安心できる時間だったけれど、少しずつ、少しずつ、不安になってきて、私は口を開いてしまった。部屋には夕陽が差し込み始めていた。

「Aは?」

 Cは何も言わなかった。頭が勝手に整合性を取ろうと動いている。地下室が見える。気持ちの悪い感覚だった。やめて、考えないで。考えないでよ。気が付かないで。

「ねぇ、冗談でしょ」
「……Q」
「冗談だって」

 Cは、悲しそうで、少しAに似た、大人っぽい目を私に向けた。ああ、お前は賢いよと、突きつけるような目だ、Aと同じ、大人の、理解を理解する目だ、残酷で冷たい、目だ!

「Aがあいつを殺したの……?」
「許してあげて。あの人、ずっとそうしたがってたの」

 私は部屋を飛び出した。そして、Aの、滅多に開けない、部屋の扉を開けた。Aの部屋はもぬけの殻だった。引越しの前みたいな淡白さだった。私は、逃げられたと感じた。

「ふざけんな!」

 無力感と憤りがふつふつと沸き上がってきた。ふざけるな、あんな、態度しておいて、結局、自分勝手に、解決したってのか。最後まで大人のまま!

「私は……! 私は自由だったのに! 死んでも、生きても良かったのに! それを奪って、勝手に消えるな!」

 止まらなかった。溢れて止まらない。大きな声なんて出しなれてないから、ところどころが掠れて、擦れて、丸く、丸く、丸く。

「この……バカ! 勝手なことしないでよ。あんなのと、釣り合うつもりだったってのか!  せっかく、もう終わりだったのに、ずっと子供扱いして、私もそれをわかってて、なのに、どうして!」
 ねぇ、A、あの時。
 どうしてダメって言ってくれなかったの?


 私が社会復帰……というか、養母さんに迎えられてから、不安だった学校にも馴染めて、バイトなんかも始められたのは、結合剤のおかげで、夢での記憶があったからだと思う。カウンセラーさんは、こんなことは奇跡的だと驚いては、本当に大丈夫かとしつこく心配してきた。私は五年監禁されていたらしいけれど、その間の事をあまり覚えていない。若かったからか、人間の脳が都合よく出来ているからか、どっちもかもしれない。
 この前、少し話題になったニュースがある。(テレビなんて見ないよ、高校生なのでスマホで見た!)遺伝子異常によって生まれたとされる、非常に気味の悪い虫の死骸が見つかったという話題だった。こいつ、私には見覚えのある、そう、死ね虫だった。私が管理人としての仕事を手伝い初めてすぐだったので、何か手違いを起こしたのではないかと焦ったものだ。今はそんなの気にしていない。気にしていられない。管理人業務は激務だった。Aがいなくなった分のしわ寄せが来ているのだ。Aはどうやってこの量を捌いていたんだ?
 ミルクティーにキャッサバの団子を沈めたものを、タピオカミルクティーと呼ぶらしい。これは夢でラパラパと呼ばれていた飲み物と同じだった。最初は友人に向かって「これはラパラパだ!」と主張したが、その愚行は私のあだ名が「ラパちゃん」になるという結果に終わった。バイトもしてそれなりに金のある私は、今日も友達とタピりに行っている。そう、私には友達がいるのだ。思えば夢では友達っぽい人はいなかった。問題があるとすれば、友達の名前が「ユメ」だってことくらいだ。奇妙なことだ。まぁ明るくて楽しい子なので、いつも楽しんでいる。「きゃははー!」って具合に。
 どっかのゴミ箱の匂いがする街中、あの時は珍しかった車が何台もびゅんびゅんと、行き交って、人間を轢き殺さんとするなか、呑気にタピオカの粒を噛んでいる私は幸せだ。そんな幸せな時間はグリっとした硬い食感に阻まれた。ペッと手のひらの上に出す。

「え何ラパちゃん、芯残ってた?」
「ああ、出来損ないがいたわ」
「ぎゃはは、怖!」

 手のひらの上で粒を転がす。白い芯の残った出来損ない。きっとバカで、仕事が出来なくて、甘やかされて育ったガキに違いない。

「そんなに気になるんなら捨てちゃいなよ!」

 そうさ、捨てたっていい。食べたっていいし、捨てた後に拾って食べてもいい……それはユメちゃんに引かれるかもだけど、いや、ウケるかもしれない。
 それに、誰かさんに叱られたりするかもな……。
 えい。

「口の中に捨てる」
「ぎゃはははは!」

 ま、今日は悪くない気分だ。良かったな、私のラパラパ。


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