思い出の美化

「楽しかった」その言葉に尽きる。
いわば、終わりよければすべてよし。ということなのか


苦しい3年だった。
写真フォルダを見返すと、過ぎた苦しい日々が蘇る。

どれだけ笑っていても、思い返すと
楽しかったかと聞かれてうん。とはいえない。



しかし、名残惜しい







3年分の小言を読み返す。

辛い。存在意義がない。


業務のメモの間にある言葉は当時を鮮明に物語る



でもまた明日は来る




明日が来てしまう。



だから、辛かった過去をそのままにしたくない
辛くても3年乗り越えた。
それでいい。




私は、存在していた。
今の私の話ではない。



それでいい。
諦めとか、美化とかそういうんじゃなくて
過去を受け入れ未来を楽しみにすればいい

すぎた時間に固執する必要は無い。





明日が過ぎれば本物の無職だ。


不安なのにどこか焦りがない。
周りからしたら、大丈夫かと心配されるだろうが

まだ人生8分の1だと考えれば
「まだ」なのだ




それに明日私が死んでも
悔いない。色んな思いを経験したから悔いはない



痛いのだけは勘弁してください。

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