今週のおちょやんがしんどかった話。

2年前、次男の産休中から視聴習慣ができた「朝の連続テレビ小説」

まんぷくとスカーレットにはまり、なつぞらとエールはいまいちでした。

ええ、BK制作が好き派です。

今回も、おちょやんを毎日見ているのですが、今週は主人公の父親が再び現れて最期は・・というお話でした。

主人公は父親にさんざん振り回されていて、「毒親」と称されていて。

私の父親も、ろくでもなかったから、見ていて重なるのよね。

嫁の実家のお金をあてにして、仕事をせず借金作って首が回らなくなって。

祖母が私のためにかけていた学資保険を勝手に解約して、そのお金を使い込んだり。

“いざというときは、一家心中するしかない”っていつも口にしていて、幼かった私はそうするんだろうなーとぼんやり考えてた。

結果的に、両親は離婚して父親が出ていって、一件落着ではあったのだけど。

大人になるにつれて、そして自らも親になるにつれて、

”親だったら、子どものために頑張ってほしかった”と思うようになってきて。

怒りというか、呆れるというか。

自分は絶対にあんな人間にはなるまいと、奮闘してきた自負はある。

社会に出て働いて、子ども育てながら働いて、それなりにいろいろ経験して思うようになってきたことは、

"頑張りたくても、頑張れなかったり”、”頑張りが空回りして、報われなかったり”、そんなことを繰り返していくことで、"頑張り方がわからなくなったり”


そんなこともあるってこと。

私の父親が、あの当時どう考えてたかなんてわからないし、ハナから頑張る気なんてなかったのかもしれない。

こんな風に思えるようになったからって、許せるわけではないんだけどね。

許す許せない、という次元じゃないんだよね。

血のつながりって、どうしても変えられないから。

あの父親の娘なのかと思うと、どうしようもなくしんどいときもあるけど、こればかりはどうしようもなくて。

父親=私をこの世に生み出すために必要だった人物

それ以上でも以下でもないって思うようにしていて。

そんな私が、今週のおちょやん見てると、しんどいわけですよ。

さすがに死んだら連絡の1つはくるだろうから、まだ連絡が来てないってことはどこかで生きてるっていうことなんだけど、私が同じ状況で父親に再会したらどうするんだろうって考えずにはいられない。

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