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使えていないギフトの使い方

序章:前回のあらすじとまとめ

前回の続きです。
未読の方はぜひこちらから▹▸


超要約すると

・世の中には才能、ギフトという上からの強制融資が存在する。
・仕事でうまくできるかできないかで悩むのは上からするとどうでもよく、極論いいからやっての世界である

という
お話を前回書いたのですが


この2つのの要約を
自分の人生に当てはめて
考えてた話を
今回書いていきます。


ギフトはなかなか気づきにくい

人は本来必ず
誰かと比べる必要もない
素晴らしい能力がある


ということは
私も確信的に信じているけれど


その「素晴らしい能力」というのが
自分では何となく気づけない
そんな仕組みになっている気がする。


思うにその「自分では気づけない仕組み」
というのがなぜなのか考えてみたところ


・すぐわかっちゃったらつまらない
・他者がいることでわかるという素晴らしいい仕組みのおかげで他者と共存、共栄、支えあい、刺激しあって生きることができる。
・素晴らしい能力は段階的にあらわれる
 (発現のタイミングがある)


という発想が出てきた。
いずれもポッと思いついたものを
列挙しているにすぎないので
実際のところどうなのかわからない
いわゆる仮説の段階の話し👆


気づきにくいギフトの気づき方

で、そんなかんじで
自分ではなかなか気づくことができない
ギフトだけれど


人と接していく中で
気づいていったり
占いとかの力を
借りてみたり
案外自分のギフトに気づくタイミングは
自分自身が思っている以上に
身近にあふれている。


サインと自己卑下の関係性

私の場合
こうして文章を書くことは
好きだけれど
実は誰かのようにうまく書けないと
自己卑下して
書くことをやめようとしていた。


書くことだけじゃない。


写真が上手かろうと
もっとうまいひといるしな、とか
編集にしたって
もっとすごい人いるしなとか
デジタル処理が好きで得意なのも
占いが好きなのも
お喋りがすきなのも
情報収集が得意なんのも
頭の中がファンタジーなのも
ぜーーーーんぶ


「まぁ、好きだけどね」


みたいなところがあって
褒められても
うらやましがられても


とはいえ私すごくないしな
たいした数字出してないしな
何者でもないしな
(キロンおうし座みが過ぎる…泣)
の嵐が止まらなかった。


「ともちゃんのセンス大好き!」
っていわれても
私センスあるかなー?
そんなすごくないしなー
って思ったり


「ともちゃんの世界観が好き」
「ともちゃんの言葉が好き」
「ともちゃんマジすごいね」
「頼ったら秒で解決する。すごいね!」


とかって言われて
嬉しい反面
とはいえ、稼げるほどの
能力じゃないんだよなー


なんて


なんて思ったり
するときが過去にあって。。


あぁ~~~
もう、ほんと
書くのが恥ずかしくなるほど
ひねくれている!!!

それ、自分だけのものじゃないよ

いいことだなと思っても
誰かにシェアしたり
発信することができなかった。


だって
すごくない私より
上手じゃない私より
素敵な人がいっぱい発信してる
って思ってたんだもの


でももし私が
いろんなひとから
「すごいね、いいね、ありがとう」と
言われている内容のすべてが
「強制融資」という名の才能だとしたら


上は激おこぷんぷん丸
ですよね。
そういう「わたしなんて」
っていう小我って。


自分が楽に息するように
していることを
いや~私なんて
まだまだだから~って
言って
やらずに逃げてたら


「はよやれや」って、
上は思うし、どつきたくなるよね。


私たぶん
そのはよやれやって
上が思ってどつきたくなる
状態だったと思う。


だから
わたしなんて~とか
言ってる場合じゃないんじゃないか
ってようやく本気で思ったのです。


勢いだけで
書いてしまったので
非常に読みにくいこと
このうえないのは承知の上で


自分のギフトとか
才能とか、やることとか
そういうのわからないってひと
とても多いと思うんですね。
実際わたしもそうだった。


どこかで何か
ミラクルなことが起きて
私の才能、ギフト
活かして稼げるみたいな
そんな能力が
ある日突然わかったらいいのに
って思ってました。


だけど
私が思ったような
ミラクルは起きずして
唐突にわかったことは


わかるヒントは
普段の生活の中に
たくさん散らばってたし
もうすでに手にしていた事。


かみこもでyujiさんが
書いてくださってますが
無意識で惹かれることや
人からの頼まれごとは
全部このギフトに当たるとしたら


え?
もしかしてあれって才能?ギフト?
ひいては強制融資⁉


なんてことに
気づいちゃうかもしれないですね。


わたしは気づいたことが
いくつもあったので
四の五の言わずに
とっとと動こうと思い
こうして記事を書いてます。


上手く書けないからって
やらない選択をせず
考えや、考え方に至った経緯などを
書いていることも
四の五の言わずにやるの一環。


2日にわたる長文でしたが
きっといつかこれを読み返しては
身が引き締まる思いに駆られる日が
くるかもしれません。


っと、、、
やっぱり締めは難しい。


おしまい!


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