見出し画像

芯を強くする準備、はじめます

アイデンティティについて、少し考えがまとまり始めたコズエです。こんにちは。

昔々、アイデンティティという言葉が日本に入ってきた頃、日本語に訳すのは難しい、という記事を読んだとうろ覚えしていますが、つまりは「私にとって掴みにくいもの」である、の反映だと気付きました(フラクタル心理学的に言えば)。そしてかなり長い間、アイデンティティについて時にうっすらと、時には深く広く考え続けてきました。

昨今のあらゆる差別に関する言動だとか行動だとか政策だとか見ていて、それについての色んな記事も毎日流れています。それこそ色んな立場で多くの人が意見する。それを読んで、最初のうちは怒りや意見がありましたが、だんだん脳の一欠けらにも届かないどころか、目にも耳にも入ってこないようになりました。右から左に流れてる~状態。きっとそのうち存在すら認識しなさそうな。。。きっと「お腹いっぱい!」なんでしょう。

そうして洪水のような文字を読んでいて、意識を滑り始めた頃思ったのは、個人についてくるタイトルというのは、まったくアイデンティティとは関係ないんだな、ということ。それが自分にとって大発見だったのは、それこそがアイデンティティだと長らく信じていたからだと思います。

自分の性別、生まれた環境、生まれた日から星座から血液型から名前から環境から学歴から職歴、全てが自分を構成し、だからこそ自分がここに存在すると思っていましたが、アイデンティティって、自分の存在って、そんなものを全部とっぱらった所にあるんだな、と。

たまねぎで言えば、たまねぎの芽?芯?シュレック、すごいわー

https://www.pinterest.com/pin/220465344243894558/

「オーガは玉ねぎみたいなもんだ。玉ねぎには層があって、オーガも層があるんだ」と書かれていますが、抜けてるお調子者ロバには全然通じてない。。というシーンの台詞。人間(この場合オーガ)はそんなに単純じゃないんだぞ、と言いたいんだけど。

単純じゃなくしているのは、間違いなくその玉ねぎの層であって、私についているタイトルであって、芯まで剥いてしまえば大層単純で分かりやすい芽があるわけですよ。オーガのシュレック君。彼は冒険を経てそれに行き着くんですけど。

だから、どれだけ玉ねぎの層を重ねようと、鎧を付けようと、タイトルを重ねようと、その中の芯が強くなければ、それらはやっぱり薄っぺらいのです。いついつまでも。そして自分が不安になり、もっと重ねようとする。だから私はいつまでも不安に駆られたように色んな学びに手を出したり、逆に手を出しても身につかないんだなぁ。

だって、好きでやってるわけじゃないから(いや多少は好きだけど)。

私の人生の中で「下手の横好き」が現実化したのは、英語です。成績悪かったのに、もう日本生活より長く英語で生きてるし。。。苦でもないし。逆に英語ほど、考えなくて良いほどに、努力とか苦労とか覚えてないほどに身についてきたことって、すごく少ないんです。

英語という判断材料と比べてみると、全てが薄っぺらい。だから自信がない。褒められても受け取れない。不安しかない。きっと、英語はそれだけ私のアイデンティティに一番近い層にいるんでしょう。

それだって、他にもっと上手な英語を使う人もいれば、もっと単語を知っている人もいれば、駆使する人もいる。所詮は道具。所詮は玉ねぎの層、なんですね。

私はたぶん、90歳手前まで位は生きるんじゃないかなーと予想しています(笑。家族が割合長寿なので。

そう思うと、人生まだまだ長いです。半分は超えたな。でもね、後の半分、この鎧を着てたくないなぁ、重いし(体も重いし。。。)。でも脱いじゃうと怖いなぁ。だって今までこれがあって守られてたもんね。

そんな風にここ数年?数十年?思っていました。今もちょっと思います。でも、自分を内から変えるなら、芯から強くなるなら、脱がなきゃいけないんですよね。きっと真冬の乾布摩擦をやる勢いで!(やらないけど)

ということで、ひそかにここで宣言しようと思います。

芯を強くする準備、はじめます!

本当に自由になるために。本当に幸せになるために。ホンモノ、を知るために。

素材:Hicさんによる写真ACからの写真

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?