#フラクタル現象学
傷跡に触れるか触れないか
ようやく暖かくなってきた私の在住地。今日は夏労働時間の始まりで、1日9時間労働する変わりに1日半日業務が出来る、というルールを祝い、アイスクリームをいただいてきた、コズエです。日本では考えられない仕事環境でしょう~笑
友人である同僚とおしゃべりしながら行って来たのですが(会社はいくつかの建物に分かれているため、隣の建物に歩いていった)、彼女の会話の中に、これは過去、彼女にとって傷だったのだろうか
情報過多と情報過少と情報過小~デキる人間になりたい
今はともすると情報過多の嵐に埋もれてしまい、もう何が正しいの!と思ってしまうのは、私一人ではないと思います。多すぎて何を整頓したら分からないー!断舎利、こんまりメソッドたすけてー!となっていたコズエです。
そうしたらですね、情報過少のほうを忘れていました。
仕事では色んな部署の連携で情報があちこちにシェアされていきますね。私は今のところ3つの部署で働きつつ、そのインターフェースはあまり変わって
フィルタの向こうには、自分が居た。
痛気持ちいいマッサージ中に自分に出会ってしまった、コズエです(笑。今日のマッサージは本当に痛かったけど。。でもがんばる!とがんばってしまうようなやつでした。コリがほぐれてるといいけど。。
そんな痛気持ちいいマッサージを受けながら、これは、痛ければ効く!つまり、痛くなきゃ効かない!ってことで、辛くないと(マイナスがないと)効果がない!という考えの表れだとふと気づいて、この、落とし穴を掘る思考をどう
涙は心の汗さ、流すだけ流しゃいい by TUBE
私は良く泣くし、涙も流しますが、実は子供の涙は苦手です。同時に泣き叫びも苦手です。体中がびくっとするし、自分でストレスレベルがすごく上がります。だから子供が小さいときも、泣かせればそのうち寝るよ、というのが出来なかった、コズエです。
たぶん、皆心苦しくもやってるんだろうと思うのだけど、私はもう心がざわついて、罪悪感なのかなんなのか。。身を裂かれる思いというか。。人の子供でもそうです。特別正義感が
それは、自分探しをしていたからでした。
度々、周りは自分の投影でメッセージがあふれている、と書いているコズエです。そして今回も。
目に付くものや気になる記事に共通するのが
ー「社会的にマイナーな人が、自分はこうである、と発言し始めたとか、それに関連する」記事
ー「よりマイナーな人が、サポートシステムなどを通して、自分が一人じゃないと知る」記事
ー「普段じゃ目にしたことのないような特異な事件(そして怒りもいつもの半端じゃない)」に関する
逃げられないから、向き合う、でもいい。
絶好調になると、カルマというか、陰陽というか、ブーメランというか、ありとあらゆる『帰るもの、省みるもの』に襲われるコズエです。そんな気持ちでこんな写真を選んでみました(素材:写真ACより)。
1)叱られて泣いている息子に、『なぜ泣くの』と問いかける
-自分の泣いてたときは、聞いてほしかった。かまってほしかった。
だから、誰かが泣いていると無視できない
2)でも、だって、を連発する割りに、そ
ムカデ競走と二人三脚
今日書こうと思って、百足(むかで)を思ったのは、当然のことと思うコズエです。
心理学やコーチングという言葉がよく聞かれるようになって、表層意識と深層意識の関係というのは10%対90%とか、5%対95%とか、とにかく自分が自分だと思っている意識なんて言うのは流氷の塊の見えている部分だけで、実はその何倍も大きな氷の塊が水中にある、というのは、もう耳珍しくない昨今です。
それを横に広げてみれば、10
制限を外したかったら、外せるのは。。。
この所、色んな事がパターンのように起きて、デジャヴかしら?と思っちゃうことのあるコズエです、こんにちは。実際にはエッセンスを見ているとパターンが分かるということで、これも、エッセンスを見られるようになったからかもしれないです(嬉!
私は長いこと、アイデンティティというものにこだわってきました。例えば専門職についていましたが、私は○○です、と自己紹介をする時、必ずその職種は『私』の中に含まれていま
その時のメッセージに耳を傾けて。。。
先日久しぶりに専門分野のシンポジウムに参加してきた、コズエです。こんにちは。
私たちは毎日色んなことを見聞していますが、その中のどれだけを自分のフィルターに通して、その意味を観察しているでしょうか?私はフラクタル心理学を学んでから、その量はかなり増えたな、と思いますが、それでもきっと、まだまだです。
あの人がカウンセラーになったってよ。この人は講師だって。この人は会社を起こしたらしいし、その人
小さくなるか、ならないか、それが問題だ〜遠くのアナタより近くのワタシ
現在未だかつてなくミクロな自分になりつつある、コズエです。こんにちは。
ここ数年、とにかく自分の態度が巨人よりも大きかったと自覚しつつも、小さくなるって何それ?!と思いながらも頑張ってきたのですが、なんてことはない、時間が教えてくれました。
なんのことか、と言いますれば、ま一言で言えば自分がどれだけ傲慢で怠慢な人間で、それをずっと知らずにいた無知な人間だったということで、これまたフラクタル心理