科学的に見た、魚の最適な熟成手法①美味しさの最大化

本記事の概要

2010年代からの肉の熟成ブームに続いて、魚の熟成が一時期ブームになったことがある。

また、ブームになる前から、すし屋や釣り人の間では、魚を寝かせることはごくごく一般的であり、私も以前釣り場でお年寄りから「イナダは一晩寝かせたほうが格段にうまいよ!」と話しかけられたことがある。

自分でも釣りをし、魚をさばく人間として、どのように魚を熟成させると美味しくなるのか、調査をしてみたいと感じたことが筆を執ったきっかけである。

魚は生で熟成させ、基本的には生で食することになるので、①どうやったら美味しくなるのか?に加えて、②どうやれば安全に長期間保存できるのか?ということも論点となる。

実際に自分で捌き熟成させてみるにあたって、まずは先行する論文の収集・整理を行った。

魚の熟成の一般的な手法

本調査を開始するにあたり、GoogleならびにYoutubeで魚の熟成方法について調べたところ、魚の熟成方法としては以下が一般的なようであった。

乾燥熟成:低温で空気にさらしながら熟成

  • マグロやブリなど大型の魚に対しては比較的この手法が多く採用されていたようである。

熟成寿司利他 ”最新版のマグロ熟成方法です”より


真空氷温熟成:真空にかけて氷温(0-1度)で熟成


タッパーに氷水を入れて、その中に魚を入れて氷温熟成(筆者撮影)
  • サバやタイ、アジなど比較的小型の魚に対して採用されているようであった。

塩熟成:多めの塩(重量の10%など)に付け込んで脱水しながら熟成させる方法


Bocuse at Home by シェフ星野晃彦 Teruhiko Hoshino ”#50 ポール・ボキューズが生んだ世界一のサーモンマリネ 星野晃彦シェフが作る Saumon Mariné”より
  • 生食用では、和食で塩を主体で使っているケースはあまり見られず、スモークサーモンではこの方式を採用している

  • 添付したポールボキューズのレシピでは48hの熟成をかけている。

論点①どうやったら美味しくなるのか?

一般的に熟成によって魚のたんぱく質が分解されてうま味成分(グルタミン酸やイノシン酸)に変化することが、熟成魚の美味しさの理由であると説明される。
一方で、魚を長期間保存することで、独特の魚臭さが増して、「臭くて食えたものではない」状態に変化することもよく知られている事象である。
そこで、論点①どうやったら美味しくなるのか?については

A.うま味成分を最大化する熟成方法

B.「臭くて食えない状態」を回避する保存方法

の両面について調査を行った。

【サマリー】

A.うま味成分を最大化する熟成方法
・塩締めはしないほうがよい
・実は熟成させないほうがうま味は強い(グルタミン酸の増加がイノシン酸の減少をカバーできないためうま味は弱まる)
・うま味が増える以外のことで美味しくなっている可能性はある

B.「臭くて食えない状態」を回避する保存方法
・臭くなってしまった魚も、塩水であらう玉ねぎでマリネする、お酢や酒をかける、等の方法でにおいを除去できる。
・そもそも臭いを発生させないためには、冷蔵は当然として、空気にさらす、高濃度の塩に漬け込む、といった方法もある。

A.うま味成分を最大化する熟成方法

  • 魚の熟成自体は冷蔵技術の発達した戦後以降、特に和食店で多くの実績があったはずだが、科学的な研究の蓄積は限定的とみられる。特に刺身の熟成に関する先行研究は、あまり多くはない。

  • Google scholar上では以下の二本の論文が確認できた。

【論文1.最大34日の長期熟成に関する研究】

南 駿介, 髙取 宗茂, 白山 洸, 沖田 歩樹, 中村 柚咲, 髙橋 希元 
魚の長期熟成:長期熟成魚介類刺身の呈味成分およびテクスチャー” 
2021年
https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan/86/5/86_20-00014/_pdf/-char/ja

  • 上記論文では、鮨屋で一般的な、氷温熟成(内臓と頭を除去したのち、1度前後の氷温で寝かせる手法)を採用している。

  • 魚の長期熟成を通じて、以下の変化が見られた。

    • 水分含有量が4ポイント低下(カンパチで77.6%→72.3%)

    • 魚介類の主要なうま味成分であるイノシン酸はおおむね半減(カンパチで330mg/100g→200mg/100g※論文中ではμmolだがgに変換)

    • 一方、グルタミン酸(昆布に多い)等のような遊離アミノ酸含有量は1.5倍に増加(カンパチで7→11.3㎎/100g)

  • 熟成により美味しくなるメカニズムとしては以下を考察している

    • 水分が抜けたことにより、gあたりのうま味成分量が凝縮されたこと

    • 長期熟成を通じてグルタミン酸をはじめとした遊離アミノ酸が増えたことによりイノシン酸との相乗効果が強く発揮されたこと

    • 触感の変化(ぷりぷりからねっとり)により甘味を強く感じやすくなったこと

※グルタミン酸とイノシン酸の相乗効果とは言うが、筆者の手計算では、うま味強度(=グルタミン酸量+1200×グルタミン酸量×イノシン酸量)自体は熟成前のほうが高いという結果を得ている

【論文2.塩やぴちっとシートを用いた14日程度の短期熟成】

塚正 泰之 , 福田 隆志, 安藤 正史
”マダイの塩締めと短期熟成が呈味成分に及ぼす影響に関する研究”
2022年
https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan/88/6/88_21-00040/_pdf/-char/ja

  • この論文では塩締めと、塩+ぴちっとシート(釣り人がよく使う脱水シート)、無処理の3種類で氷温での熟成を行っている

  • 当該実験の結果として、

    • すべてのケースを通じてイノシン酸は減るが、グルタミン酸は増加

    • 無処理で熟成したものが一番うま味強度(イノシン酸等のうま味成分とグルタミン酸等のうま味成分)が強く、次いで塩のみ、最後にぴちっとシートとなった。

    • したがって、熟成でうま味を増やす観点では、塩は不要、ということになる。

    • さらにうま味強度(グルタミン酸とイノシン酸のうま味を総合的に算出した数値)を時系列で比較すると熟成一日目と十四日めで優位な差はみられなかった。(イノシン酸の減少を補うほどにはグルタミン酸の量が増加していない)

    • ということは、少なくとも鯛においては二週間程度の熟成はうま味を増やす意味では不要である。

    • 一方で、熟成魚については一般的にその美味しさが知られており、うま味以外の何らかの要素(例えば脂質の変化について論文中で言及あり)が影響しているのではないかと結論づけている

B.「臭くて食えない状態」を回避する保存方法

鮮度の落ちた魚の悪臭は、魚の筋肉が微生物の作用によって分解され、アンモニアやトリメチルアミンといった揮発性化合物に変化するためである。(特にトリメチルアミンが魚の生臭さの主要な成分と知られているようである)
魚臭さを回避する、という観点では以下の二つのアプローチが考えられる

  1. 発生してしまった魚臭さを調理過程で抑えて食べられるようにする。

  2. そもそも魚臭さの成分の生成を防ぐ


1.発生してしまった魚臭さを調理過程で抑えて食べられるようにする

Shizuyuki OHTA ”Fishy Odors and Masking Them” 1980
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jos1956/29/7/29_7_469/_pdf/-char/en魚肉の洗浄による抑制

    • たとえばスケソウダラ(かまぼこの材料)を2%程度の食塩水中で10分程度水さらしをすると、魚臭さの原因であるトリメチルアミンを80%除去することができる

上記論文より、スケトウダラ水さらしによる成分変化
  • スパイスや香辛料の利用

    • スパイスも、単ににおいの強さが魚臭さをマスキングするだけでは無く、魚臭さの成分であるトリメチルアミンとスパイスの成分が化学反応して、消えさるためである。

    • 効果の高いもの:ローリエ、セージ、オニオン

    • 効果が普通なもの:シナモン、キャラウェイ、クローブ、ジンジャー

    • 効果がないもの:ペッパー、ナツメグなど

    • 生玉ねぎに含まれるジプロピルジスルフィドにより、玉ねぎがとりわけ臭気抑制効果がたかいという。

  • 燻製による抑制

    • スモークサーモンを生臭いと感じたことがないように、燻製をすることで、かなりの程度魚臭さを抑制することができる

    • ただし、スパイスとは異なり、臭みのもととなる成分が化学反応で焼失するのではなく、燻製の香りによりマスキングされるためであるという。

  • 酒や酢の使用

    • 魚をワインや酢等でマリネすることにより、魚臭さを抑制することができる。

    • 発酵調味料内の各種の酸とトリメチルアミンをはじめとしたアミン類が反応して、非揮発性に代わるからであるという。

    • また、酒に含まれるうま味成分である「コハク酸」(貝に多く含まれる成分)も魚臭さのマスキングに寄与している。


2.そもそも魚臭さの成分の生成を防ぐ

魚臭さの原因成分は、魚の体内に存在するトリメチルアミンオキサイドが分解されることで生成される。
しかしながら、その分解の機序自体はまだまだ不明であるようだ。

ネット等で調べると、”微生物が魚の生臭さ成分を生成するため、1度以下にすれば問題ない”との言説が多いが、以下の論文によれば、氷点下でも生成が進んでしまうため、生成をゼロにすることは難しいようである。

一方で、同論文では”トリメチルアミンオキサイドの分解は酸素によって妨げられるため、真空にするよりも、空気にさらしたもののほうが魚臭さを抑制できる”、また”高濃度の塩により酵素の活性を抑制できる”ことを示唆している。

木村 メイコ, 関 伸夫, 木村 郁夫 ”0℃以下の温度におけるトリメチルアミン-N-オキシドの酵素的および非酵素的分解” 2002年https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan1932/68/1/68_1_85/_pdf/-char/ja

木村 メイコ, 竹内 規夫, 埜澤 尚範, 水口 亨, 木村 郁夫, 関 伸夫 ”スケトウダラ肉貯蔵中のトリメチルアミン-N-オキシドの分解機構と酸素ガスによる分解抑制” 2006年https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan/72/5/72_5_911/_pdf

論点②どうやれば安全に長期間保存できるのか?

次回以降の記事に向けて現在調査中

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