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第1回 それは「おじさん」から始まった、の巻(寸志滑稽噺百席ができるまで 前編)

杉江松恋(以下、杉江) さあ、「寸志滑稽噺百席を通して立川寸志が落語を語る」という趣旨でお話をうかがいますよ。聞き手は、会のお世話をしている杉江松恋です。
立川寸志(以下、寸志) 語ってしまう立川寸志でございます。
杉江 「寸志滑稽噺百席」というのは、落語立川流の真打・立川談四楼さんの弟子であります、寸志さんが2017年から続けられている落語会です。隔月で毎回三席、滑稽噺縛りで百席を積み上げていく。順当に行けば6年半くらいか7年くらいで結願するわけです。開始当時、寸志さんは二ツ目になられてどのくらいでしたっけ。
寸志 2015年の3月になってますから、もう2年ぐらい経ってますかね。
杉江 もともと寸志さんに僕が単発で会をお願いしていたんですよね。当時かかわっていた新宿5丁目の電撃座というところで。
寸志 そこで「高齢で入門した人たちの選手権」をやるという。なんというか誰の琴線を狙ってるのかわからないような(笑)。

■おじさんはなぜきゃあきゃあ言われないのか

杉江 当時「成金」があったじゃないですか。今、芸協の真打披露をやってる、(春風亭)昇々さんとか(笑福亭)羽光さんとか、あのへんの若手世代の人たちですよ。上は(柳亭)小痴楽さんで。一番下は。
寸志 (春風亭)昇也兄さんです。
杉江 彼らがミュージックテイト西新宿店で毎週金曜日に公演をやっていた。そこに定点観測的なファンもついて、二ツ目の落語が盛り上がりつつある、という気運ができて。
寸志 そのちょっと前に、「イケメン落語家ブーム」っていうのもちょっとだけありました。
杉江 あったあった(笑)。朝のNHKで取り上げられたりしたやつですね。
寸志 そうそう。そこに出てきたのが、落語協会の(柳亭)市弥兄さんとか、小痴楽兄さんや(同じ成金の)昔昔亭A太郎兄さん、世代はちょっと上だけど(瀧川)鯉斗兄さんもそうですね。注目されて、成金はチョイ前ぐらいからやってたんですけど、そのあたりでブレイクした印象があります。松之丞の伯山兄さん、宮治兄さんもいて、「かっこよくて、おもしろくて、チームワークもいい」成金がバババッと出始めていたんですよね。その時期に、なぜあえておじさんの会をやるのか(笑)。でも、おもしろかったですよね。在京の四派からそれぞれおじさんを集めてきて。
杉江 落語協会からは、前座名柳家おじさんのさん光さん(権太楼一門)。
寸志 で、落語芸術協会からは瀧川鯉昇一門から春風亭柳若さん。いい人なんですよ。考えてみれば成金メンバーなんですけどね。
杉江 フジロックに毎年行く、でキャンプ大好きという見かけによらないアウトドア派で。お顔はちょっと山田隆夫の若いころに似ています。さらに円楽一門会から三遊亭鯛好さん。
寸志 好楽師匠のお弟子ですよね。この人が、いちばん僕に年齢近い。1969年生まれのはずですよ、確か。60年代生まれの二ツ目っていうのは、年齢非公表にしている人以外は、鯛好兄さんと僕しかいなかったんです。そのさん光・柳若・鯛好・寸志という、まあまあキャリアが同じぐらいな4人で総当たり戦やったんです。そんなのね、よくやりましたね(笑)。
杉江 名付けて「若いおじさんの会」。考えついたときは、「中年の星」って話題になって朝日新聞とかが取り上げるんじゃないか、とか思ったんですよ。
寸志 ねえ。僕もちょっとだけ思いましたけど、すぐ「違うな」と。
杉江 (笑)。やってるうちにわかりましたよ、おじさんたちがきゃあきゃあ騒がれないのは「おじさんだからだ」ということが。
寸志 おじさんだからなんですよ。これがね、おじさんでももっとかっこいいおじさんだったら話は違うだろうけど。
杉江 松重豊ぐらいの。
寸志 そうそう。それぐらいだったね。吉田鋼太郎がちょっとふざけたら「かわいい」って言われますけど。、春風亭柳若や柳家さん光がふざけたところで、「ふざけんな」って言われて終わりですからね。もちろん立川寸志、三遊亭鯛好いわずもがなですけど(笑)。
杉江 一部の物好きなお客さんは来てくれた会だったんですけど。
寸志 来てました? 来てくれてた憶えないですよ。
杉江 来てたのっ。
寸志 来てたということにしますか(笑)。
杉江 柳若さんは、あれで芸協から金一封もらったんですよ。あの会で三戦全勝して、「第一回中年の星選手権」をもらったじゃない。芸協の打ち上げが12月27日だかにあるそうなんですけど、そこで「年間で何か賞もらった人は申請しろ」って言われるそうなんです。それ、「どうかなあ。一応、あれも賞だからな」って言ってみたら金一封をもらえたって言ってました。さがみはら(若手落語選手権)と同じ扱いで。
寸志 それ扱いを変えなきゃダメでしょ、芸協は(笑)。でも、偉いですね。タイトルを獲った人にはそういうことをしてさしあげよう、と。よかったですね。柳若兄さんもそれがたぶんキャリアのピークかもしれないし――。
杉江 いや、そんなことないよ! まだ二ツ目なんだから。
寸志 まだまだ元気だからね。元気って言いかたもないけれども(笑)。

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■「勝負の土俵をそっちにもってっちゃおうか、と」(寸志)

杉江 そのときに会を見ていて思ったんですけど、柳若さんは成金メンバーとして揉まれているじゃないですか。自分と風合いの違う人ともずっとやっているし、他の一門との戦い方がうまいな、と思ったんです。で、そのとき寸志さんは(講)釈ネタをかけたでしょ。たしか(神田)愛山さんから教わったというネタでしたよ。
寸志 「笹野権三郎焼餅坂」とかじゃないですか。2回しか掛けてないからね。そのうちの1回がそこだったんだ。
杉江 それで思ったのは、落語家としては笑わせるネタを看板にしたほうが儲けが多いんじゃないかな、という結構当たり前のことだったんですよ。
寸志 ……あんまりおもしろくなかったってことですよね、それは(笑)。
杉江 いや、僕はおもしろかったですよ。おもしろかったんだけど、柳若さんは確かそのときね、「お菊の皿」やったのかな。マドンナとかロックスターの真似が入るやつ。
寸志 ああ。そういうところなんですよ。例えば「お菊の皿」なんていうのは、お菊のはっちゃける部分をライブみたいにやるとか、みんないろいろ変えるじゃないですか。そこが見せどころみたいなところがあるでしょう。僕ね、そういう勝負が嫌いだったの。そう、思い出した思い出した。僕は学生時代(東京都立大学落語研究会)から「お菊の皿」やってていたんですけど、落研だからプロをパクってやるわけじゃないですか。そのころは(春風亭)小朝師匠そっくりにやってたんです。小朝師匠のはすごくおもしろいから。
杉江 それは小朝さんのお菊がかわいいからでしょ。
寸志 かわいいし、またうまいんですよね。僕がうまいっていうのは変なんですけど、かわいさと酷薄さというのかな、お菊の情のなさみたいな変わりかたが学生にでもわかったのね。「女ってこういう両面性あるよね」みたいに。
杉江 失礼ですけど、モテない落研の男子学生にもわかると(笑)。
寸志 そう(笑)。それがすごいと思ったから真似していたんですよ。でも、プロになったら変えないといけない。みんながやっているお菊がはっちゃける部分というのは、各自が完全にオリジナルをぶち込むとこじゃないですか。そこの勝負にあまり自信がなかったっていうのがあるね。僕もいろいろ考えてネタ作ったんですよ。でも、自分でやると恥ずかしいんだ。全くおもしろくないわけじゃないけど、このネタをもっと若くてきゃあきゃあ言われる人がやってくれたらすげえウケるんのにな、俺がやるからおかしくないんだなって、思ってたの。ちょっとねじれた気持ちの時代があった。
杉江 すねてたんだ(笑)。
寸志 だから、何か勝負するときは笑いを求めるんじゃなくて、かっこよさとか滑舌の良さだとか、ちょっと珍しい話をやりがちだったんですよ。今思えば逃げていたんですけど、勝負の土俵をそっちに持ってっちゃおうか、と思ってたところはあったかもしれないですね。

■「寸志さんに落語会を頼んだら「開帳の雪隠」が出てきた」(杉江)

杉江 珍しいといえば、寸志さんには前座時代から掛けている「庭蟹」というネタがあるじゃないですか。僕はいわゆる前座噺以外のネタを寸志さんで初めて聴いたのはたしかあれだった。それで、この人はすごいなあ、って思ったんですよ。
寸志 あれはなんかの小噺として教わったんですけど、ほぼ換骨奪胎というか、骨組みだけ一緒で肉付けは全部自分で作り直したんです。そういう意味で自信があって、珍しい噺でもありますけど、ここは俺のオリジナリティを出してるぞ、っていうネタではありましたね。
杉江 僕が最初に会を頼んだとき、寸志さんは「開帳の雪隠」をやったんですよ。
寸志 ああ。よくそんなのやるなあ(笑)。申し訳ない……。
杉江 おもしろいけど、じいさんが便所にしゃがむだけの噺だもん(笑)。
寸志 あれは何つったらいいんですかね、オチ一発の話じゃないですか。こういう噺持ってると(落語家として)便利なんて感覚じゃなくて、おもしろいなと思ってやっているわけ。それこそ「後生鰻」みたいなオチ一発の噺はやっぱり好きなんですよね。
杉江 フワッとしてますよね。押せ押せで攻めていくんじゃなくて、フワッとしている。クスクスって笑えて、罪もなくおもしろい。僕もいい噺だとは思うんです。
寸志 そうそう。手数増やして、ギャグをガンガン押し込んでみたいなのとは違うじゃないですか。雰囲気もいいです。ただ、正攻法ではなくて、絡め手から行こうとしてますよね。「開帳の雪隠」なんかやる若手って(笑)。
杉江 初めてそこで会をやる会場で「開帳の雪隠」というのはねえ。
寸志 最低ですね(笑)。お江戸日本橋亭で立川流の昼席が始まったその最初の月、初日に前座のすぐ次の二ツ目が「勘定板」をやった。で、二日目に前座のすぐ後の別の二ツ目が(三遊亭)圓丈師匠作の「肥辰一代記」をやったんです。さすがに楽屋でモンダイになった(笑)。
杉江 それはモンダイにするのが正しいと思いますよ。
寸志 僕も正しいと思う(笑)。
杉江 いかに楽屋の常識が世間と違ってても、それはちょっとどうかと思いますよ(笑)。

■寄席育ち、ではないけど守るべきルール

杉江 話を戻すと、だから落語家として儲かる噺、どこで掛けても笑いがいっぱい来て、柳若さんみたいに、誰と一緒にやっても自分がわっとウケるような噺がたくさんあったほうがいいじゃない、って僕は素直に思ったんです。
寸志 笑いの多い話ですね。そこは本当おっしゃるように、寄席育ちの、グループで切磋琢磨してきたことの強みですね。二ツ目だと出番なんて前座さんの次じゃないですか。そこで邪魔にならず、ある程度盛り上げて次へつなぐ、短い時間で、って考えると、そりゃあ「開帳の雪隠」やったら怒られるわけですよ。僕も一度言われたことがあるの。二ツ目上がってすぐぐらいだったかな。「一眼国」やったんですよ。僕の「一眼国」はかなり変えてて、笑わせるんです。だから自信あってやったんですよ。でも、後でネタ帳見たある師匠に「こんなところでこんなのやっちゃダメだよ」と言われて。その後また同じ師匠から別のところで「将軍の賽」をやったことについて、叱られたんです。あれも速記本から自分で完全に作り直した噺なんですけど、打ち上げで酔っ払った席ではあるんですけど、「なんなんだ。あんな噺やって。もっと素直な噺やればいいんだ」みたいに。立川流寄席世代の師匠ですけどね。
杉江 まあ、寄席世代であればそうおっしゃいますよね。
寸志 そうそう。なんだかんだ言って立川流寄席世代はスタンダードが好みだし。僕もね、その世代に言われると「はい」って聞きますわね。
杉江 誰なら「はい」って言わないんですか(笑)。
寸志 いや、誰にでも「はい」って言いますけど、受け止め方が違う(笑)。そういう風に言ってくれる人がいることはありがたいわけだし。立川流が寄席形式の会をやってることの意味ってやっぱりそこにあるじゃないですか。こういうことやっちゃいけない、こうではない。さっきの「勘定板」や「肥辰」もそうですよ。オープニングのときにそういう噺じゃねえだろ、っていうのも含めて教えてくれる。これは当たり前なんですよ。だから、失敗してかえっていいのかもしれないね。で、「じゃあ、『一眼国』やるもんじゃねえな」「『将軍の賽』やるもんじゃねえな」って。それを前座さんが脇で見て、「ああ、寸志言われてる。そうか、こういうのよくないんだな、ダメなんだな」ってなるわけじゃないですか。その意義もあると思うんですよね。
杉江 大事なことですね。
寸志 そういう風に、珍しい噺を得意げにやることは、自分の会だったらまだしも、寄席形式の一門会なんかではやるもんじゃない、っていうのは、頭ではわかってたけど、身をもって知った。立川流でもそうなんだ、ってことですよね。
杉江 落語協会とか落語芸術協会のような、寄席中心の団体でなくても。
寸志 立川流は寄席形式の会でも1人20分持ち時間をもらうので、ある程度やりたいことはできるわけです。それでも、こういうときにはこうしたほうがいい、というのはあるんだと。そういうことがちょっと実感できていた頃だったのかもしれませんね。(つづく)

(写真:川口宗道。構成:杉江松恋。編集協力:加藤淳太)

※「寸志滑稽噺百席 其の二十七」は6月24日午後8時より、地下鉄東西線神楽坂駅至近のレンタルスペース香音里にて開催予定です。詳細はこちらから。前回の模様は以下のYouTubeでダイジェストをご覧になれます。



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