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赤西仁/JIN AKANISHIによる覚醒

 今の高校生くらいの年代は赤西仁という存在を知っているだろうか.赤西仁は2010年までKAT-TUNのメンバーとして活動し,その後はソロで活動を行い,2014年に事務所を退所.今日に至るまで精力的な音楽活動を行なっている.

 ボクが赤西仁にハマったのは中学3年生の時であると明確に記憶している.そのきっかけは「そういえば,KAT-TUN辞めた赤西仁って今何してるんだろう」となんとなくの興味を持ったことにある.この機会を契機に,ボクの中で英語への興味が芽生え,「こうなりたい!」という,自身の将来像を形成するための最初の大きな起爆剤となった.

 ボクが「今何してるんだろう」と気になって調べ,実際に見た動画がこちらだ.

 これは2011年に行われた彼のソロツアー「Yellow Gold Tour 3011」のオープニングである.緊迫感のあるBGMに載せて,特殊なメイクを施した仁がエフェクトをかけたボイスで英語を喋り自分たちの「帝国」へ来たことへの歓迎を表し,そして非人間的で,まるでロボットのような仁が機械に囲まれたイスに座り登場する.

 そして最初に歌唱される曲も,いつものジャニーズのオープニングで飾られるようなさわやかでまさにアイドル的な雰囲気とは程遠いシリアスさを帯びる.歌詞は全て英語だ.

 一通り見たボクの感想は「なんだこれ!」であった.ボクにとってこのパフォーマンス・曲調はあまりに新次元すぎて,ポジティブに捉えていいのか,趣味に合わんと切り捨てればいいのかが全く分からず,とりあえず他の動画もみてみた.

 2曲目の「Christmas Morning」では,ロボットに扮する仁が電子ドラムをカタく叩きながら速いテンポの英語詞を高音で歌い上げる.これもまたパフォーマンスも発声方法もボクがいつも観てるジャニーズアイドルのそれと全く異なる.やはりこれも「なんだこれ!」であった.

 「一度気になったものは徹底的に調べる」のが無意識ながら習慣化していたボクはLIVE DVDを購入し,YouTube上にあるアメリカでのメイキング映像を全てチェックした.どうやら彼はKAT-TUNを離れてソロになった後,アメリカを拠点に活動をして世界的なアーティストとして成功したいらしい.そのために,彼の話す言語はずっと英語である.

 これを知ったのがボクがまだ中3というウブな年齢であったために,その感想は「かっけー!!」だった.今までに見てきたアイドルたちも憧れの対象として見てきたが,仁に至ってはなんだか種類が違う.全くの異なる世界で自身を試すという彼の挑戦は,ボクに「英語できるとカッコいい」や「いつか海外でなんかしたい」という気持ちを芽生えさせた.

英語への目覚め

 彼と出会ったのが中3の頃で,本当にタイミングに恵まれたなと今でも思っている.というのも,やはりこの学年は受験勉強で忙殺される期間であり,今までたいした勉強経験がなかったボクには未知すぎた.経済的な理由で塾にも行けなかったため,方法論には本当に困った.

 そんな中で仁と出会い,「英語できるとカッコいい」という印象が自分の中で築かれたのは,やる気の面で大いに役立った.

 とりあえず手始めにボクは「Real 英会話」という,会話で使われるイディオムやフレーズ,ダイアローグを学ぶためのアプリをインストールしそれをずっとやってた.

 あとは,仁の曲をひたすら和訳する作業もやった.今になって分かることではあるが,歌詞の世界では文法というよりも音やリズムを優先させる傾向にあるため,リーディング力を鍛える際に英語の歌詞のみをやるのはあまりよろしくない.

 とはいえ,仁と英語に関する様々なサイトを読みまくってたボクは「どうやら英語の歌詞はなんでもおっけーらしい」という認識がいつの間にか存在していた.そのため,そもそも文法的にはあまりよろしくない歌詞で,言ってることがよく分からないセンテンスは雰囲気で読んでいた.

 ここで非常に役立ったのは学校で習った文法が実際にどう使われているのかを見て考えるきっかけができたことと語彙を覚えられたことだ.「このtoってなんなの?あっ不定詞か.目的のやつね」って感じで,型に当てはめながら約15曲を分析し,分からない単語は辞書で調べるのだが,いつも死ぬほど聞いている曲の中で使われるフレーズなので,その意味はほぼほぼ1発で覚えられたと記憶している.この作業がある程度終わったときにはもう9月になっていたので、どうやらこの月からは過去問をやれというなんかのサイトで見てまるっきり鵜呑みにし,過去問だけをずっとやっていたら,なんか公立高校の共通試験(英語)で満点をとることができた.

 教育に投下されたお金はチャレンジ(補助的に使ってた)と過去問と学研から出版された「ニューコース」(?)という参考書のみで,あとは仁から貰った英語へのやる気だけでなんとかなった.ありがとう仁.

 今思い返すと,ボクが仁とあの時出会っていなかったらもしかすると英語講師にはならなかったかもしれないし,英語きっかけで勉強に目覚めたということもあるので,今のように社会学とか人類学とか全く触れない人生を歩んでいたことだろう.ひたすら感謝するほかない.

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違う世界への目覚め

 ボクが仁に抱く勝手なイメージとして,彼はいつも新し世界に目を向けながら自身の音楽活動を行っているように見える.時系列を無視して思いつく限りあげてみると,アメリカでの活動・中国への進出・新感覚の曲調(サビがない,サビが楽器だけとか)・自身のレーベルを設立などなどちゃんと調べようと思えばもっと出てくることだろう.

 彼は当初アメリカに本拠地を構え,そこでの活動を目指していた.実績は上々で自身が手がけた「TEST DRIVE」はアメリカの人気歌手JASON DERULOとコラボしたことも乗っかり,iTunesのダンスアルバムチャートで堂々の1位を獲得することができた.その後,「JAPONICANA」というアルバムをリリースし,それを提げたツアーを北米で敢行し,そしてその時期くらいに妻である黒木メイサと結婚をする.しかし,仁がその時にまだ所属していたジャニーズ事務所には事後報告という形で伝えてしまったということもあり,活動自粛期間を設けられ,アメリカでの活動はこれを機になくなってしまった.

 頓挫こそしてしまったが,今でも彼のこのアメリカ進出は非常に輝いて見える.「いつかオレも海外で何か大きな目標を掲げて頑張りたいなー」と思った時期もあったが,いかんせん自分の中であまりリアリティがなくて,まだ実行には至っていない.

 しかし,もっと広い視野でみたとき彼の海外進出というのは「異なる世界への挑戦」と捉えることもできるだろう.それでいうと,ボクは新しい挑戦にポジティブなものとして認識し,怖気付いてしまいチキって何かをするのをやめるという選択肢をとったことは一度もない.

 その新しい挑戦というのは具体的にいうと,塾講師としての仕事然り,自身の能力を試すために様々な塾で働いてみることであったり,形式(個別とか集団とか)を変えて挑戦したり... あとは,文系大学院への進学や,自身の今後の地図を具体化させるために大学卒業後の1年間のブランクを設定したり....,

 他の人から「そこまでする!?」とか「そんなことする!?」と思われるようなことに対して自分の価値観が「YES」を指すのであればそんな声は全く気にせずに,色々と挑戦してきた.今のところボクの中で「失敗」はない.その時は「失敗」だと思っても,未来で頑張って,そんなネガティブな過去をポジティブな過去として捉え直すようにしている.

 このような思想は仁を今まで見てきたことで形成されたものなのかなとボクは思っている.仁は自身の結婚報告を事務所へ事後にしてしまい,当初日本で行われる予定だったツアーは全てキャンセル,ドラマの出演もキャンセルされてしまい,約1年間の活動自粛を定められた.

 一般的にみるとこの活動自粛はいわば黒歴史のようなものとして認識されるだろう.しかし,その期間のなかで彼は楽曲制作を精力的に進め,活動を再開する2013年に「#JUST JIN」という今でも歌われる名曲だらけのアルバムをリリースした. あの活動自粛期間がなかったらきっと生まれてこなかった曲たちだと思うと感慨深いものがある.

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今と今後

 仁は今年,変形性腰椎症という腰の不具合を抱え,表舞台への登場の自粛を行っていた(もう復帰したと言ってもいいのかな?).偶然ながら,ボクも今年の11月くらいに腰を悪くしてしまい,第六腰椎分離と二分脊椎という症状を抱え,現在は毎日リハビリを行い,定期的に病院で治療してもらっている状態だ.

 ボクと彼は普段やってることは全く違えど,自分が抱えている身体的な苦しみを一方的に彼と共有することができているために,自身にとってキャパを超えるほどの抱えきれないストレスを少し取り除いてくれてるような気がする.

 そんな苦しさを味わいながらも,今後の仁は元関ジャニ∞の錦戸亮とタッグを組み,またまた全く新しい企画を実装していくようだ.そのイメージビデオがYouTube上に公開されているが,これがもうとにかくカッコいい.

 ボクも来年からはとうとう大学院へ進学し,今まで経験したことのないような日常を過ごすこととなる.そういう面では仁と状況は被さっているように思える.「いつまでも仁のように挑戦し続ける人間でありたい」という中3から抱いている希望の灯火が消えることはまだまだ無さそうだ.

 

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